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晩秋のインターメッツォ [自分史]


 土曜日の昼下がり、都心から西の郊外へ、車を走らせる。ほぼピークを迎えたイチョウの黄葉が窓の外を走り去り、東京は今日もこの季節にしては穏やかな晴天である。

 ハンドルを握りながら、グレン・グールドが弾くブラームスのインターメッツォ(間奏曲)を聴く。ブラームスが64年にわたる生涯を閉じる、その5年前にあたる年に作曲された小さなピアノ曲の数々だ。夕陽を浴びた黄葉の最後の輝きを思わせるような曲想。それを「20世紀で最も個性的な天才ピアニスト」と呼ばれたグレン・グールドが、演奏当時は28歳の若さだったとは思えないほど、ひっそりと、そしてしみじみとした情感を込めて弾いている。

 父の魂を送る今日は、どうしてもこのブラームスが聴きたかった。

 先月の半ばに急逝した父は、白洲次郎ではないが「葬式無用、戒名不用」と生前から言い続けてきた。結果的に享年は87歳となったが、死と隣り合わせのようなことを戦時中に何度も体験した父には、長く生き過ぎたという思いがあったのかもしれない。共に戦後を力強く生きた旧友たちも、もう残り少なくなっていた。「死んだ人間にカネをかけることはない。」というのが、晩年の口癖だった。

 だから、父が逝った時は家族だけが集まって、無宗教の形で密葬を行い、それから少し時間を置いて、今週の勤労感謝の日に親族を招き、都心の高層ビルの一室で食事をしながらの「お別れ会」を開くことになった。それが三日前のことだが、その時以来の晴天が今日も続いている。
23Nov2011.JPG
(三日前の東京の晴天)

 実家に寄って、遺骨を胸に抱えた母を助手席に乗せ、霊園へと向かう。高速道路を一区間だけ走って一般道に下り、黄葉したケヤキの並木がどこまでも続く道路を西に向かって走れば、実家からはほぼ30分の距離である。道路沿いはドライブインやら車の販売店やらが並んでいたが、右に折れて霊園に近付くと、あたりには雑木林が多くなる。都市化が進んだとはいえ、武蔵野の面影が今も残る風景だ。

 管理事務所で手続きを済ませ、私たちは墓地へと向かう。それは、だいぶ以前に両親が決めて立てておいた、無宗教型の墓である。

 予定していた時刻に到着すると、既に石屋さんが来てくれていた。無宗教型だから、お坊様もいなければ、卒塔婆を立てることもない。線香もなしだ。粛々と遺骨を納め、百合の花束を墓の前に置く。それから母と私の一家、そして妹の一家が順番に手を合わせてお別れをする。

 皆それぞれに、父に伝えたい思いはたくさんあって、手を合わせている時間の中にそれを凝縮させることは難しい。私もあれこれと考えてはみたものの、結局「ありがとうございました。」としか言えなかった。

 幼い頃に父親を亡くした、そんな運命を背負ってきた父は、自分自身が父親になり、以後も父親として行動することをどんな風に思っていたのだろうか。寡黙で、愛情の表現がいかにも不器用な父だったが、私にとっての「親父の背中」とは、過去にどんなに辛いことがあっても、それは決して口に出さず、自分のスタイルも変えず、酒の力を借りることが多分にあったとはいえ、運命に耐えていく父の姿であった。

 あのような時代に青春期を送っていなければ、もっと人生を楽しめたことが幾つもあったに違いないのに、そうしたことには文句も言わず、苦労話はしなかった。その代わりに、私たちが成長し、やがて家庭を持ち、そして今度は孫たちが成長していくのを、まるで自分のことのように喜んでくれたものだ。そう思うと、父の魂を送り出す今、私の思いを煎じ詰めるとしたら、「ありがとうございました。」と言うより他に、言葉が見つからないのだ。

 生前はあれほどの雨男だったのに、今日は風のない、実に穏やかな小春日和だ。武蔵野の雑木林を彩る黄葉の、地味ながらも実に多様な色合いが、寡黙な父を送るのに相応しい。ともあれ、こんな穏やかな日に家族が集まって父の納骨を済ませることができたことを、母がとても喜んでいた。

 帰り道にふと思った。若い頃から私がブラームスを聴くのは、地味で抑制の効いた、しかしどこか不器用なその音楽性に、「親父の背中」と同じものを見ていたからなのかもしれない。

 28歳のグレン・グールドは、ブラームスが59歳の頃に作曲されたインターメッツォをしみじみと弾きあげた。その年齢差は、父と私のそれとちょうど同じようなものだ。今度は私が、父の晩年の境地に思いを馳せ、表現してみる番なのかもしれない。

Brahms - Gllen Gould.jpg

少し傾いた午後の陽を浴びながら、道路沿いのケヤキ並木は再びどこまでも続いていた。

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