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バレンタインよりも前に [歴史]

 「はじめに、神は天と地を創造された。
 地は混沌であって、闇が深淵の面(おもて)にあり、神の霊が水の面を動いていた。
 そして神は言われた。『光あれ』
  こうして光があった。」

 聖書によれば、世界はこんな風にして始まったそうである。現代の科学が唱えるように宇宙の始まりがビッグ・バンなのだとすると、光よりも前に天と地があったという訳ではなさそうだが、太古の昔から人間がイメージできる世界の始まりとはこんなものだろう。日本古来の神話ではこの世の始まりはもっと茫漠としていて、天地の区別もなく混沌とした状態であった、とされている。

 その後、初めて天地が分かれたとき、天上の高天原(たかまがはら)に最初の神々が登場する。天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)の「造化(ぞうか)三神」である。次いで二神が登場するが、以上の五神は男女の区別のない独神(ひとりがみ)だそうである。

 更に、国土の基本となる国之常立神(くにのとこたちのかみ)、雲の中から豊雲野神(とよくもののかみ)が生まれ、続いて男女5ペアの神々が生まれる。二神と5ペアを合わせて「神世七代(かみよななよ)」と呼ぶそうだが、その中で最後に生まれた男女のペアが伊邪那岐神(いざなぎのかみ、”イザナギ")と伊邪那美神(いざなみのかみ、”イザナミ”)だ。

 このイザナギ・イザナミが他の神々に命じられて「天(あま)の浮橋」に立ち、国土をしっかりと固めるために「天の沼矛(ぬぼこ)」を下界に刺してかきまわして引き上げると、したたり落ちた塩が固まって島になったという。私たちがこれまでに見聞きしたことのある日本神話というのは、一般的にはこのあたりからではなかろうか。(但し、日本列島の全てがこの時にできた訳ではなく、イザナギ・イザナミが最初の島に降り立ってから次々に新たな島を生んだとされる。いわゆる「国生み」である。)
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 イザナギ・イザナミは更に数多くの神々を生むが、最後に火の神を生んだ時にイザナミが火傷を負って死んでしまう。黄泉の国へ行ったイザナミの後を追ったイザナギが、冥界で変わり果てたイザナミの姿を見て恐れおののき、命からがら逃げ帰ってくる話はつとに有名なホラー・ストーリーだ。

 この世に戻ったイザナギが穢れを落とすために清流で「禊ぎ祓え」を行うと、左目を洗った時に天照大神(あまてらすおおみかみ、”アマテラス”)が、右目を洗うと月読命(つくよのみこと)が、そして鼻を洗うと建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、”スサノオ”)が生まれた。このスサノオが高天原で乱暴狼藉を働いたためにアマテラスが天の岩戸に一時隠れてしまった話、スサノオが高天原を追放されて出雲に下り、ヤマタノオロチを退治して櫛名田比売(くしなだひめ)と結ばれる話などが、これに続く。

 それから何十年後、或いは何百年後の話なのか、高天原を支配するアマテラスは地上の統治に取りかかる。「豊葦原の瑞穂の国」という目的地が示され、アマテラス自らが生んだ天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと、”オシホミミ”)を派遣しようとするのだが、そこはスサノオの子孫である大国主神(おおくにぬしのかみ)が統治しており、厳しい交渉を経て「国譲り」が行われる。高天原にいる神々(天津神(あまつかみ)という)に対して地上の各地の神々(国津神(くにつかみ)という)が統治権を譲る話は、後に「大和朝廷」と呼ばれる王権が各地の豪族を従えていく過程を暗喩するようなストーリーだ。

 豊葦原の瑞穂国は天津神に譲られたが、オシホミミには天津日高日子番能力邇爾芸命(あまつひこひこほのににぎのみこと、”ニニギ”)という子が生まれたので、ニニギが地上に向かうことになる。ニニギは道中に立っていた猿田毘古(さるたひこ)という国津神に先導されて、筑紫の日向(ひむか)の高千穂に降り立つ。いわゆる「天孫降臨」である。その時にニニギが持たされたのが「三種の神器」だ。言うまでもなく、それ以降の天皇家のアイデンティティーを証明する宝である。
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(ニニギが降りたとされる高千穂峰にある「天之逆鉾」)

 ニニギは地上で木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)という美しい乙女と出会う。それは大山津見神(おおやまつみのかみ)という山の神様の娘で、二人は間もなく夫婦になる。だが、姫が身ごもった時にニニギから疑いをかけられると、「この腹の子が天津神の御子ならば、火中にあっても無事に生まれることでしょう」と言って家に火をかける。そして、その火の中で三人の子が生まれた。長兄が火照井命(ほでりのみこと、後の海幸彦(うみさちひこ))、末弟が火遠理命(ほおりのみこと、後の山幸彦(やまさちひこ))だ。

 獲物をとる道具を交換することを提案した山幸彦が、海幸彦から借りた釣り針を紛失して途方に暮れていると、海の潮をつかさどる神に導かれて綿津見神(わたつみのかみ)の宮殿に連れて行かれ、豊玉毘売(とよたまびめ)と結ばれる。山幸彦はやがて兄から借りた釣り針を取り戻して帰国し、兄を服従させる。(この兄は九州南部の隼人族の祖先だという。) ニニギ→山幸彦という天津神の系譜が山や海を象徴する勢力とそれぞれ婚姻関係を作りながら、総じて山の勢力が優位に立つというストーリーは何を暗示しているのだろう。

 国に戻った山幸彦だが、彼を追って豊玉毘売が海を渡ってやってきた。彼の子を身ごもり、出産が近いという。波打ち際に鵜(う)の羽で屋根を葺いた産殿を急ぎ建てたが、それが終わらぬうちに子が生まれ、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと、”ウガヤフキアエズ”)と名付けられた。出産の様子を見てはならぬとの約束を破り、八尋もある和邇(サメ)が這い回っているのを山幸彦が見てしまうと、豊玉毘売は恥ずかしさのあまり海に帰ってしまう。何やら「鶴の恩返し」のような話だが、このパターンの伝説は世界各地に残されているそうである。

 ウガヤフキアエズを育てるため、豊玉毘売は妹の玉依毘売(たまよりびめ)を海中から乳母として派遣する。やがてウガヤフキアエズはこの乳母と結婚し、4人の子供をもうけた。その中の末弟が神倭伊波礼毘沙古命(かむやまといわれびこ、”イワレビコ”)である。

 日向の高千穂にいたイワレビコは長兄と話し合い、国土をより良く治めるために東方へ遠征することを決断する。宇佐→筑紫→安芸→吉備を経由して瀬戸内海を難波に向かうまでは、各地の勢力の協力を得て順調だったが、生駒山の東を越えて大和へ入ろうとすると、長髄彦(ながすねひこ)の軍が待ち受けていて、東征は困難を極める。イワレビコは紀伊半島の南端に回り、熊野から上陸。再び幾多の困難を乗り越え、霊剣や八咫烏(やたがらす)、光り輝く金色の鵄(とび)などに助けられながら、ついに長髄彦を倒し、大和の地を平定する。辛酉(かのととり)の年の春元旦、イワレビコは畝傍山(うねびやま)に近い橿原に大宮を築き、初代神武天皇として即位。わが国の皇統の系譜がここに始まったとされる。
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 神武天皇の名は、「日本書紀」では始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)とあり、それは第十代・崇神天皇の御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)と読みが同じであることから、神武天皇の話は皇室の話をより古く見せるための造作であり、実在する天皇は崇神が最初ではないかとの諸説がある。

 また、筑紫から瀬戸内海を経て大和を目指したが攻めきれず、一旦南に回ったという話は、第十五代・応神天皇にまつわるエピソードによく似ているとの指摘がある一方、大和に入ろうとしてなかなか入れなかった所に、皇位簒奪(→皇統の断絶)の可能性がある第二十六代・継体天皇の即位との類似性を見る意見もあるようだ。更には、ウガヤフキアエズの「ウガヤ」に伽耶(朝鮮半島南部)との関連性を指摘する諸説もある。いずれにしても、遥かな過去の「この国のかたち」について、様々なヒントを与えてくれる神話である。

 神話と史実はもちろん別物であるが、長い歴史を持つ国には、独自の建国の神話があるものだ。それは長い長い歳月の中で祖先たちによって代々受け継がれ、その国の文化の中に深く練り込まれてきたものである。それを「史実でないから教えない」、まして「戦前のファシズムの時代を想起させるから教えない」というのは、愚かなことだ。

 バレンタインよりも前に、すべきことがあるはずだ。「建国記念の日」を単なる土曜日の中に埋没させてしまってはいけない。

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