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私のルーツ - 駿東・愛鷹山 [山歩き]


 土曜日の朝、下りの湘南電車に揺られながら、私はウトウトしていた。

 前夜に飲み会があり、帰宅したのは11時に近かった。それから家族と何だかんだとおしゃべりをしていて、寝たのは日付がかわった後だ。それで4時半起きだったから、少々つらい。だから、東京駅を5時46分に出る沼津行きの電車に乗り込むと、早速居眠りを決め込んでいたのである。

 家を出た時、頭の上の空は快晴だが、西の空に雲が多いのが気になっていた。湘南電車に乗ってからもそれは同じで、多摩川を渡って神奈川県に入ると、空の青い部分の方が少ない。丹沢の大山はよく見えているが、行く手の先にある箱根の山には雲がかかっている。前日までの天気予報では、今日は移動性高気圧に次第に覆われて「晴れ時々曇り」のはずだったのだが・・・。

 午前7時ちょうど、二宮の駅に到着。大勢の学生さんたちに混じって電車を降りる。北口の階段を降りると、山仲間のH氏がクルマで待っていてくれた。それから秦野中井ICで東名に入り、裾野ICまで一走り。駿河の空は更に雲が多い。愛鷹山登山口のバス停付近から林道に入り、山神社前の駐車場に着いたのは8時過ぎだった。
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(森の中の山神社)

 8時15分、計画書通りに山神社前を出発。その名の通り、ご神体は山そのものなのだろうか。そう言われてみれば神がおわすのも不思議ではないような深い杉の森と苔むす岩の中を、登山道が続いている。

 高度を少し上げて杉の森が終わると、そこから先は落葉樹の雑木林だ。とたんに瑞々しい新緑が輝き始める。やがて、その新緑に埋もれるようにして建つ避難小屋が現れた。そして、そこから一登りで富士見峠に出ることになった。山神社を出てから30分。いいペースだ。
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 富士見峠からは右へ。標高1086.5mの黒岳を往復して来よう。明るい落葉樹林の中をせっせと登ると、北側の展望が広がる一画があった。本来なら大きな富士山がそこから眺められるはずなのだが、今日はそれも雲の中だ。そこから更に5分ほど先にある黒岳の頂上も、あたりの眩しいばかりの新緑がせっかくのお膳立てをしてくれているのに、肝心の富士の眺めは何もない。その代わりに、下界にあるクレー射撃場から盛んに銃声が響き渡っていた。
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(黒岳山頂)
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(時に青空も広がるのだが・・・)

 黒岳の往復に35分をかけて富士見峠に戻る。ここからは尾根伝いに越前岳(1504m)まで、標高差500mを登りつめる山道だ。このあたりは火山だったと聞いていたが、岩がゴロゴロという感じではなく、それなりに普通の山道だ。山の緑も思っていたよりもずっと深い。だが、地肌が露出すると大雨などの時には浸食が進みやすいようで、山道が戦争の時の塹壕のように深くえぐられた箇所が幾つもあった。
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 富士の広大な裾野の南に、死火山の愛鷹山があおあおと隆起している。『駿河記』に、
 ──足鷹(愛鷹)山は元(もと)平地なりしが・・・・
 とあって、平安期の延暦年間の富士噴火により十日ばかりでできたという。しかし、地質学的には根拠がない。
(『箱根の坂』 司馬遼太郎 著、講談社文庫)

 「愛鷹山(あしたかやま)」というのは、幾つかの顕著なピークを持つこのあたりの山々の総称で、箱根あたりから眺めると、富士の裾野がのびやかに駿河湾へと高度を下げていく、その途中でもう一度隆起を見せた、なかなか立派な姿の山塊である。その最高峰がこれから目指す越前岳で、この山塊の最も北側に聳えている。
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 富士見峠からちょうど30分で、稜線の左手、つまり南側の展望が初めて開けた場所に出た。「鋸岳展望台」という名の通り、位牌岳(1457.5m)から鋸岳にかけての奇異な形の稜線が新緑を纏っていて綺麗だ。
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 越前岳への登りはここからが本番である。登山道の侵食が進んでいるので、両側の木の枝につかまり、木の根に足をかけて登るような箇所もあり、案外つらい登りだ。尾根の左側は崩壊気味の崖が続き、登山者が近付かないようにロープが張られていた。

 朝、山神社を出発してから殆ど休みなく歩き続けてきたので、このあたりの急登がさすがにこたえ始めていた。それでも、ミツバツツジの若い葉や、まだ花を残しているマメザクラなどに励まされながら登り続け、10時50分に越前岳の頂上に到着。先ほどの鋸岳展望台からちょうど一時間である。

 越前岳の山頂はそれなりに賑やかな場所だった。北の十里木からの登山道を上がってくる人たちが多いようだ。「天気予報は晴れって言ってたのにー。」という声があちこちから聞こえてくる。それはそうだろう。愛鷹山に登りに来て富士山が見えなかったら、その「がっかり感」は並大抵のものではない。例年この時期の天気は難しいものだが、今年は格別で、寒気が入り込むたびに天候が不安定になっている。
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(越前岳頂上。富士山はどこだー?)

 ともあれ、私たちはこの日初めて10分間の休憩。山頂からは駿河湾の海岸線が見えていた。
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(駿河湾が見える)

 昼食にはまだ早い。先へ進もう。越前岳から今度は稜線を真南へ向かう。いきなり急な下り。道は多少荒れ気味の箇所があって、再び両手両足での格闘だ。本当にどんどん降りてしまう。つい先ほどまで眼下に眺めていた鋸岳の稜線が、今はもう目の高さだ。そして、下りが終われば次の山への登り返しが待っている。それは呼子岳という山体のやや尖ったピークなのだが、この登りがきつい。特に頂上直下は、左手に張られたロープを使って「腕力」の助けを借りながら登りたくなるような急斜面。ヒーヒー言いながら、私たちは呼子岳に着いた。11時50分。越前岳から50分間の格闘だった。
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(越前岳を下ると鋸岳の稜線が近づく)

 他に誰もいない小さなピークの片隅で、私たちは昼食を温める。そこから見下ろす谷の新緑が本当に綺麗だ。お目当ての富士の姿は見られなかったが、こんなに若々しい、溢れんばかりの緑に出会えたことを、私たちは今日の大いなる幸せとしようではないか。こればかりは山に来なければ見ることが出来ないのだから。
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(呼子岳の山頂)
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(大岳へと続く稜線。山道は廃道になった)

 山の上から見下ろす駿河湾の海岸線は、地図で確認してみると、鉄道の駅で言えば吉原や富士あたりになるようだ。私は幼稚園に上がる頃、父の仕事の関係でその地域に住んでいたことがある。だから、私の中に残る幼い頃の記憶で最古のものの1つは、よく晴れた冬の朝に家の前から眺めた、真っ白な富士山とその手前に連なる愛鷹山なのである。考えてみれば、それはもう半世紀以上も前のことになる。両親が残してくれたアルバムにはモノクロの写真しかなかった時代のことである。だが、その後実際にこの山に登りに来たのは、今日が初めての機会になった。

 私が今昼飯にありついているこの呼子岳のピークも、あの時に見えていた愛鷹山の中の一つだったのだろうか。その時の私は、その愛鷹山を見ながら何を思っていたのだろう。将来はどんな大人になることを夢見ていたのだろう。そう考えると、ちょっと不思議な気分だ。そしてその分だけ、眼下に見下ろす新緑が眩しさを増した。
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 山を下る。呼子岳から歩き始めてほどなく割石峠。文字通り、大きな石を縦に割ったような鞍部だ。その部分だけを眺めていると、北アルプスのどこかの、キレットという名前の付いた険しい所に来たような気になる。
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 割石峠からは水の涸れた沢の源頭を下る道だ。最初が急な下りで、次第に緩やかになっていくのだが、足元は岩がゴロゴロ。そして道は沢を離れたりまた戻ったりで、案外手ごたえのある下山路である。第二ケルンと名付けられた地点まで、呼子岳からたっぷり50分。そこから先は少し人の手が加えられたような道になり、いつの間にか幅の広くなった沢を最後に渡ると、そこからは林道だ。14時15分、山神社前の駐車場に到着。呼子岳からは1時間50分の下りだった。

 「思っていたよりハードだった。」というのが、同行してくれたH氏の感想だが、まさにその通りだろう。「富士山の展望台」などといっても、河口湖・西湖の南側にある足和田山などとはスケールが違う。そして、富士山に気を取られてばかりいないで、この山自体の価値を私たちはしっかりと認識するべきなのだろう。富士の裾野にあって、海にも近く、そして緑がとても豊かだ。神様はそのために、今日はわざと富士山を隠してくれたのかもしれない。

 心を洗われるような新緑に囲まれて過ごした半日。私にとっては自らのルーツをちょっぴり辿るような山歩きでもあった。朝早くからお付き合いいただいたH氏には、改めて御礼を申し上げたい。

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