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帰り道 (1) 仙山線 [鉄道]


 土曜日は明け方に目が覚めた。窓のカーテンを手繰ると、国道を走る車もまだ数が少ない仙台郊外の景色が、始まり出した朝の光の中にある。今日は素晴らしい晴天の一日になりそうだ。

 出張先での仕事は、昨夜のうちに終わった。土曜日の今日は東京の家に帰るだけなのだが、真っ直ぐ帰るにはどうにも天気が良すぎる。家族とのスケジュールを考えると、午後の早い時間に東京駅に着けばいいのだから、今日は早朝から動き出して少し遠足でもしてみようか。

 そうなると「善は急げ」で身支度を始め、7時前にビジネス・ホテルをチェックアウト。路線バスと地下鉄を乗り継いでJR仙台駅へ出ることにした。8番ホームの階段を降りると、8時15分発の仙山線・山形行き快速電車が待っている。
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 今日のような機会があったなら、仙山線には一度通しで乗ってみたいと思っていた。幹線鉄道ではないが、隣接する二県の県庁所在地同士を直接結び、しかも仙台市と山形市以外は通らない。全区間が単線で、仙台近郊は立派な通勤電車だが、途中で山を越える区間は急勾配が連続するローカル線という、二つの顔を持っている。そして電化はされていて、それも日本における交流電化の発祥の地なのだ。「乗り鉄」派には興味津津の路線なのである。

 この仙山線、最近は仙台市郊外のベッドタウン化で平日の通勤・通学時は大変な混雑であるそうだが、今は土曜の朝の下りだからのんびりしたものだ。仙台駅を定刻に発車した電車は東北本線をオーバークロスして西方向へと進路を変え、マンションの建ち並ぶ都会の景色の中を走っていく。東北福祉大前の駅で学生さんたちが降りると、車内はすっかり閑散としてしまった。それからしばらくは丘の中腹を横切るような景色が続き、トンネルを一つ越え、左に見えていた広瀬川を渡ると、間もなく愛子(あやし)駅だ。ここで乗客が更に降りる。Suicaが使えるのもこの駅までで、仙山線の電車はいよいよローカル色を強めていくことになる。

 仙台からこの愛子までが、仙山線で最初に開通した区間である。昭和4年9月のことだ。その後、昭和6年に愛子から作並までが延伸。昭和8年には山形側の羽前千歳・山寺間が開業。そして最後に残ったのが、5.4kmのトンネルを掘って標高1264mの面白山(おもしろやま)の南麓を越えなければならない山寺・作並間だった。そして、単線規格でこれだけ長いトンネルを蒸気機関車で走り抜けるには排煙の問題があったのか、この区間は当初から直流電化が行なわれ、昭和12年に開通している。
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 仙山線は、全国の鉄道網幹線と幹線を結ぶ支線や地方路線の敷設を目指した改正鉄道敷設法(大正11年)の別表に、「宮城縣仙臺ヨリ山形縣山寺ヲ經テ山形ニ到ル鐵道」と記された路線である。確かにこうした国策でもなければ、自然体ではなかなか実現の難しいルートだったのではないだろうか。

 愛子までは仙台への通勤圏で、単線鉄道ながらピーク時は一時間に4本の上り列車が出る仙山線だが、そこから西は列車本数がぐっと少なくなる。しばらく田園地帯を走った後、広瀬川上流の谷を上っていくところにある熊ヶ根という駅などは、昼は3時間もダイヤが空いている。その谷をしばらく進んだところにあるのが作並駅だ。日本における「交流電化発祥の地」として知られる駅である。

 一般に、直流方式は送電ロスが大きいので、路線に沿って変電所を幾つも作らねばならず、地上設備のコストが高いと言われる。そこで、大都市圏ほどの輸送量のない地方路線を対象に戦後になって交流電化が検討されたのだが、交流は交流なりに乗り越えねばならないハードルが、主として車両の方にあった。高電圧(2万ボルト)で送電しているから、変圧器を車両に積む必要があり、直流モーターを動かすには整流器も必要だ。そして、そうした高電圧での受電に耐えられるパンタグラフを用意しなければならない。

 そうした交流用機関車や電車の様々な試験が、昭和30年からこの仙山線の熊ヶ根・陸前落合間で行なわれ、同32年からは作並・仙台間で交流電化の下での営業運転が始まった。作並から西側は直流電化だったから、作並駅は日本初の交直セクションが置かれる駅となった。そして昭和43年には、既に直流電化が進んでいた奥羽本線の福島・米沢・山形・羽前千歳の区間が交流方式に変更され、併せて仙山線の羽前千歳・作並間も交流になった。だから、作並駅の交直セクションは今はない。
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 停車時間が長ければ、作並駅の片隅にある「交流電化発祥地の碑」をこの目で見てきたかったが、あいにく対向列車待ちもなく、山形行きのドアは閉まる。そこから先、カーブを切るたびに列車はいよいよ山奥深くへと入っていく。真っ青な空の下、広葉樹の森の新緑が本当にきれいだ。

 東北地方の背骨にあたる奥羽山脈。南へ行くほど山々の標高は高くなるのだが、その東側を走る東北本線の沿線から山脈の東西を結ぶ鉄道が、全部で7路線ある。北から順に、花輪線(大館-好摩)、田沢湖線(大曲-盛岡)、北上線(横手-北上)、陸羽東線(新庄-小牛田)、仙山線(羽前千歳-仙台)、奥羽本線の米沢・福島間、そして磐越西線の郡山・会津若松間である。
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 これらの中で最も険しい路線は板谷峠を越える奥羽本線だが、仙山線の急カーブと急勾配はそれに続くぐらいのレベルではないだろうか。電車は深い切通しを幾つも通りながら勾配を登り、更に谷の奥深くへ入り込む。周辺には道路がないから、とにかく窓の外の世界は大自然そのものだ。緑は益々深い。

 そして、とうとう電車は闇の中に吸い込まれた。全長5,361mの仙山トンネルである。面白山の地下に来た訳だ。頭の上を南北に走る尾根は太平洋と日本海の分水嶺で、それを越えれば山形市になる。電車は案外速いスピードで暗闇の中を駆け続け、ようやく外の光が明るくなると面白山高原駅を通過する。今度は一転して長い下り勾配。谷の中をぐんぐんと下りていく。眼下の流れは立谷川という、やがて最上川へと続く川である。

 この電車は快速運転だから、作並を出てからもう20分近くも走り続けていて、まだ一つも駅に停車していない。だが、谷を下ると外の景色にはだいぶ民家が増えてきた。そして、扇状地の始まりのような所で川を渡ると速度を落とした。

 間もなく、山寺の駅に着く。

(to be continued)

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