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帰り道 (3) 車窓からの山々 [鉄道]


 JR仙山線の山寺駅には、ちょっとした展望台が用意されている。展望台というより櫓(やぐら)のようなものだが、そこに立つと正面に立石寺の全景を眺めることができる。カメラのレンズをズームにしてみると、岩の上に立つお堂がよく見えている。
yamadera 10.JPG

 次の山形行き電車が来るまで、私はそこからの展望をしばし楽しんでいたのだが、ふと左を向いた時、西の彼方に雪を抱いた山並みがうっすらと見えているのに気がついた。この時期にこれほどの雪を残しているのは、関東以西ならよほどの高山だが、東北地方は少し気候が違うようだ。

 私は遠くへ出かける時に、鉄道地図を持っていくことにしている。既に行ったことのある地域を訪れる時でも、この地図を持っていくと新しい発見が案外あるものだし、今日のように遠くに見える山の見当をつける時などには便利である。今回もその地図を取り出して調べてみたところ、その雪の山並みは山形県の朝日連峰で、中でもピラミダルな姿が印象的な山は大朝日岳(1871m)だということがわかった。
Mt Asahi.JPG
(大朝日岳)

 大朝日岳は学生時代に登ったことがある。5月の連休の頃だったと記憶しているが、山形駅からスキー客で満員の月山行きのバスに乗り、登山用の格好をした私たちだけが途中で降りて別の路線バスに乗り換えた。山里から稜線へのアプローチが長かったこと、豊富な雪を踏んだこと、天候に恵まれて大朝日岳からの眺めが最高に良かったこと、そして朝日鉱泉に下りてからも人里への林道歩きが長かったことなどを覚えている。もう34年も前のことだ。

 そんなことを思い出していると、構内放送があって、10時36分発の電車がやってきた。終点の山形まではちょうど20分ほどである。今朝ここまで乗ってきた電車と比べても、車内はまた一段と空いている。

 ここから先の仙山線は、扇状地からゆっくりと左カーブで山形盆地へと下りていくルートだ。先ほどまでは深い山の中にいたのに、景色は急速に広々としてきた。そして、次の高瀬駅に着く頃だろうか、右の車窓の彼方に、驚くほど豊富に雪を抱いた山が横長の姿を現した。出羽の月山(1964m)である。電車の窓ガラスに少し緑がかった色がついているので、写真は妙な色合いになってしまったが、この月山の堂々とした姿は本当に印象的である。
Mt Gassan.JPG
(月山)

 電車はすっかり高度を下げ、山寺では高い位置に見えていた大朝日岳も、町並みの向こうに見え隠れする程度の高さになってしまった。そのうちに奥羽本線のレールが右から寄って来て合流する。奥羽本線のこの区間は、「ミニ新幹線」規格の山形新幹線を走らせるために標準軌(1435mm)に改軌されたので、今走っている狭軌の仙山線(1067mm)とは軌間が異なる。えっ、その二つが合流するの?と思っていると、合流したすぐ後に標準軌部分が左に分かれて並走を続け、羽前千歳駅に到着。ここから先は山形駅まで、奥羽本線のレールは見かけ上は複線ながら、西側が狭軌、東側が標準軌という異なる二つの線路がそれぞれ単線で走っている訳だ。

 次の北山形を過ぎると、右から左沢(あてらざわ)線の線路が合流。そして城跡のお堀が見えてくると、間もなく終点の山形に到着である。

 山形駅では、11分の接続で出る東京行きの山形新幹線「つばさ138号」が待っている。お昼前の時間帯(11時08分)に出る列車だから、予想通り車内はガラガラだ。発車してすぐに、左手に山形蔵王が大きな姿を見せる。そして最初の停車駅・かみのやま温泉駅を出ると平地の景色が終わって両側に山が迫り、それがもう一度平地に出ると赤湯駅に到着。JR東日本から山形鉄道が引き継いだフラワー長井線の車両が停まっていた。
Flower Nagai Line.JPG

 列車は米沢盆地に入ったことになる訳だが、そこから米沢駅までの間、右の車窓の彼方に残雪で真っ白な山並みが現われた。これまた35年ぶりに眺めることになったのだが、山形県と新潟県の県境に連なる飯豊連峰である。
Mt Iide.JPG
(雪を抱く飯豊連峰)

 大学一年の夏に旧友のT君と飯豊に登った時は、上野から夜行列車に乗った。郡山から磐越西線に入る夜行の急行があり、山都駅あたりからバスか何かでアプローチしたのではなかっただろうか。飯豊山(2105m)の主稜線はハイマツがものすごく深く、この標高にしては夏も冷涼な気候だったのが今も強く印象に残っている。帰りは北へ下りて米坂線の小国駅を目指したのだと思うが、今は記憶が定かでない。若くて体力があり余っていたのか、とにかく一年中色々な山に登った年だった。

 その懐かしい飯豊連峰の眺めとも、米沢駅を過ぎればお別れだ。米沢盆地南端の関根駅を通過すると、両側には急速に山の景色が迫り、路線は上り勾配が始まる。次の大沢駅あたりからは更に急勾配になり、さすがの山形新幹線もだいぶトロトロとした走りになった。このルートのクライマックス、いわゆる板谷越えはもうすぐだ。
yonezawa-fukushima.jpg

 なおも急勾配を上り続け、短いトンネルを越えると、防雪用のシェルターの中に駅のホームが見えた。辛うじてシャッターを切ることが出来たのだが、これが峠駅。奥羽本線で最も標高の高い駅である。
Touge Station.JPG
(峠駅を通過)

 急勾配の続く板谷峠は全国有数の鉄道の難所で、かつては東から赤岩・板谷・峠・大沢という連続する四つの駅がスイッチバックの駅だった。こんなところに明治32年に鉄道が通ったのは信じられない早さだが、蒸気機関車のパワーには限界があったのか、戦後の昭和24年にこの区間だけいち早く直流電化が行なわれ、板谷越えに電気機関車が投入されたという歴史も持っている。山形新幹線の開業を機に各種の改良工事が行なわれたので、今はスイッチバックのお世話になることもないが、機会があれば一日6往復しかない普通列車に乗って、この峠をゆっくり越えてみたいものである。

 峠駅を過ぎるとすぐに第二板谷峠トンネル(1629m)に突入。上り列車はここから下り勾配が続く。とたんに列車のスピードが上がり、トンネルを抜けると阿武隈水系の狭い谷をぐんぐんと下りていく。赤岩駅を通過し、カーブを繰り返しながら福島盆地に出たあたりで、右手に吾妻連峰の大きな姿があった。ここからだと吾妻小富士が独立した一つのピークとしてはっきりと見えている。
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(吾妻連峰の眺め)

 平地を走りながら都市の景観が少しずつ増えていくと、間もなく福島駅だ。山形を出てからの1時間と13分の間、私は殆ど電車の窓に貼り付いたようになっていたが、福島で「やまびこ138号」とドッキングすると、ここからはいつもの東北新幹線のルートだ。東京までの1時間半を、リクライニングを倒してゆっくりしようか。

 仙台を出たのが朝の8時15分だったから、まだ4時間ほどしか経っていないが、今朝は思いがけずも充実した時を過ごすことができた。やはり、旅はしてみるものである。

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コメント 2

H

福島にいた時、東大顛から姥湯、滑川温泉に下りて峠駅へ行ったことを思い出しました。学生時代、米沢白布高湯に籠っていたのですが、あの頃はスイッチバックだったような気がするけどなぁ。9月下旬から10月初旬の頃は本当に紅葉がすごいです。乗るならその時期がいいですよ。
by (2012-06-10 18:21) 

RK

コメントありがとうございまs。
板谷峠のスイッチバックは、平成2年まで残っていたそうです。
「山形新幹線」を走らせるためにレールの幅を標準軌(1435m)に変更した、その改軌工事の際にスイッチバックが廃止されたようです。

紅葉も見てみたいところですが、何にせよ列車ダイヤが少ないですね。
by RK (2012-06-11 08:35) 

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