SSブログ

梅雨明け十日 [季節]

 「海の日」の三連休が明けて、朝から真夏の太陽が照りつけた7月17日(火)に、関東甲信地方の梅雨明けが発表された。早速日本各地には今年一番の暑さがやってきて、こういう時には必ず話題になる館林では39.2度を記録した。いよいよ夏も本番である。

 今年を含めて、21世紀に入ってからの12年間の記録から平均値を割り出してみると、関東甲信地方では梅雨入りが6月7日、梅雨明けが7月19日、従って梅雨の期間は42日間というのが相場であるようだ。それに対して今年は梅雨入りが6月9日、明けが7月17日、期間は38日間だったから、タイミングといい長さといい極めて平均的な梅雨だったと言えるかもしれない。
rainy season.jpg
(関東甲信地方の梅雨入りと梅雨明け)

 もっとも、梅雨の期間中には必ず日本のどこかが大雨による被害に遭っている。昨年はそれが新潟・福島両県の県境あたりだった。(おかげでJR只見線には未だに復旧していない箇所がある。)そして今年は、何といっても九州北部の豪雨だろう。久留米に住む友人が先週末に写真付きのメールを送ってくれたのだが、巨大な濁流となった筑後川の画像には実に生々しいものがあった。

 話は40年以上前にさかのぼる。

 人類が地球以外の星に初めて足跡を残した、米アポロ11号の月面着陸。それは1969(昭和44)年の、日本時間では7月21日の早朝の出来事だったのだが、当時私は中学一年生で、その日は夏の臨海学校で千葉の富浦へ合宿に行っていたから、テレビでリアルタイムにそのニュースを見るような機会はなかった。

 調べてみると、この年の関東甲信地方の梅雨明けは7月14日だから、私たちが富浦の海で泳ぎ、宇宙の彼方で人類が初めて月に降り立ったのは、その梅雨明けから一週間ほど経った頃のことになる。一般に、梅雨明け後の十日間ほどは夏型の天候が安定すると言われるが、確かに私の中に残るこの時の臨海学校の思い出は、来る日も来る日も青い空と白い雲、穏やかな内房の海、そしてみんな真っ黒になって東京へ帰って来たこと、といったところだろうか。

 太平洋高気圧の勢力が強くなって梅雨前線が北へ押し上げられる、その時に前線が通過する場所では強い雨が降ることが多い。子供の頃は、梅雨の終わりといえば激しい雷雨があったりして(大体それは夜だった)、それが止むと一転して太陽が照りつける夏空がやって来た。梅雨というのは、そんな風にかなり明快に明けたものだった。

 アポロ・イレブンの年から8年が経った1977(昭和52)年の夏、私は大学生になっていて、久しぶりにビッグな夏休みを迎えることになった。その年の関東甲信地方の梅雨明けは7月21日。私たちは、その梅雨明けを待っていたかのように、ザックを担いで穂高の岳沢へと向かった。最初の一週間は後輩たちの夏合宿の面倒を見て、それが終わってからもOB連中と共に周辺の山々を好き勝手に登っていたから、合わせて二週間ほど山の中にいたことになる。それは今からふり返ってみても、梅雨明け直後の好天がずっと続いた二週間だった。

 当時の気象観測データについて、本当は上高地のデータが取れればいいのだが、それがないので松本の気象観測データを近似値として使うことにすると、この1977年の梅雨明け前後は以下のように再現することができる。
Summer in 1977.jpg

 これを見ると、この年は梅雨明け後に夏型の天気がしっかりと続く、かなりパワフルな夏だったことがわかる。7月21日から8月の上旬まで、私たちが穂高の山の中で過ごした二週間は、ちょうどスッポリとこの晴天の期間に入っていたのだ。確かに、途中で雨らしきものがあった日は1日だけだったと思う。

 後輩たちの夏合宿が終わり、山に残るのは私たちOBだけになってから、「山三昧」の日々の中で、旧友のT君と私は岳沢から少し「遠征」に出てみようと、槍ヶ岳まで行ってみることにした。ツェルト(簡易テント)一つを持って、初日はゆっくり出て穂高岳山荘のそばに幕営し、翌朝は早くから槍を目指した。北穂高岳から飛騨側がスッパリと切れ落ちた「飛騨泣き」を下って「大キレット」の底に降り、そこから大きく登り返して南岳へ。そして目標の槍ヶ岳に到達すると、あとは槍沢をひたすら下り、梓川に沿って上高地まで。
a long long way to go.jpg

 一日の行程が、沿面距離にして26キロ。累計の高度差は上りが1500m、下りが2900mという道のりで、槍沢を下りきったあたりで夕方近くになってしまった。それよりも何よりも、長い距離を歩いてさすがに体がエネルギー切れを起こしてしまい、足に力が入らない。当時の山岳部の伝統で私たちは自炊主義だったのだが、この時ばかりはそうもいかず、徳沢園に着いた時に山小屋で一杯の蕎麦を食べて、何とか元気を取り戻したものだった。上高地の小梨平キャンプ場に着いたのは、夜も9時に近い頃だっただろうか。今思い出してみても、よくもまあ毎日毎日山ばかりやっていたものである。

 この年のようにパワフルな梅雨明けもあれば、梅雨明け宣言が出た後は冴えない夏になった年もある。後者の代表例は昨年(2011年)の夏だろう。梅雨明け宣言の前までは晴れて暑い日が続いていたのに、梅雨明けが宣言された途端、皮肉なことに梅雨の戻りのようになってしまった。そこから8月の上旬にかけて、本来なら夏山のベスト・シーズンにあたる時期なのだが、冴えない天気ばかりでアテが外れた登山者も多かったのではないだろうか。(私は8/6~8/8の日程で、あの懐かしい岳沢を再訪したのだが、晴れの日でも毎日昼過ぎから激しい雷雨になる、ちょっと不思議な天候だった。)
Summer in 2011.jpg

 もっとも、昨年は東日本大震災に伴う原発事故の影響で、私たちはかつてない規模の節電を余儀なくされていたから、「失速した夏」も結果的には都合が良かったのかもしれない。

 さて、今年も梅雨が明けた。とりあえずは猛暑日が続いているが、この先はどんな真夏になるのだろう。何も考えないでよかった学生時代とは異なり、この夏は仕事もなかなか気を抜けないし、家族のこともあるので、休みを取って高い山を目指すのも一回出来るかどうかというのが現状ではあるが、暑い夏はせっせと汗をかいて、元気に過ごしていきたいと思う。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。