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富士山麓の轍 (2) [鉄道]


 明治20年という早い時期に建設の免許出願が行われた、御殿場-甲府-松本を結ぶ「甲信鉄道」構想。その4年後の刊行になる『工學會誌』第百十一巻に掲載された工学士・佐分利一嗣の論文『甲信鐵道』には、その起業の沿革が詳しく述べられている。

 東京・京都を結ぶ幹線鉄道は東海道ルートか、中山道ルートを取るべきか。明治新政府の中でも意見が割れたこの問題は、どうせインフラ投資を行うならば開発の進んでいない地域に投下するのが効果的という考え方から、明治16年にいったん中山道ルートに決まったが、山間部を通るために建設費用が膨大になることから、明治19年に東海道ルートへの変更がなされた。

 中山道鉄道が来なくなったことを契機に、信州松本地方の発起人が松本から諏訪経由で甲府に至る鉄道建設を発意。これに、甲府から御坂山地を貫き、御殿場に出て東海道線との接続を果たそうとする山梨地方の発起人が合流し、東京の発起人とも合同したのが甲信鉄道構想の始まりであったという。

 著者の佐分利は明治20年2月から3月にかけて現地調査を実施し、ルートを確定。私設鉄道条例に基づいて同年5月26日に発起人が甲信鉄道会社(資本金450万円)を設立し、御殿場・松本間の鉄道敷設を請願。7月11日に仮免状が下り、18ヶ月以内に線路の実測を行って図面を調整し提出せよとの指令を受けた。これに従って佐分利らは計画ルート上の本格的な測量を実施し、翌21年3月に完結。図面の最終調整と工事予算の見積り、事業の採算性の精査等を経て同年9月21日に最終的な免許申請を提出している。
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(甲信鉄道の計画ルートの内、甲府・御殿場間)

 ところが、同年11月に内閣より沙汰があり、「甲信鉄道の設計を鉄道局にて調査したところ、妥当と認めかねる件があるので、今後更に同局と協議の上取り計らうこととすべし。」との内容であった。以後、甲信鉄道の技師たちは鉄道局と協議を重ねたが、「開業後の収入は予算より少なく、実際の工費は予算より多額となり、遂には収支不償の難に陥るのではいか。」という鉄道局の懸念は払拭できない。

 結局、翌22年の9月9日に内閣より通知があり、「甲府・御殿場間の計画は妥当でないので、なお詳細調査を続けるか、または既設鉄道に接続するための別ルートを選定し改めて出願すべし。」として松本・甲府間だけの免許が下ることとなった。甲信鉄道側は大いに驚き、佐分利も
 「今に及んで甲府御殿場間の線路妥当ならずと云うが如きは従来取運の事跡に対して実に不審の至りに堪えず、疑問百出大いに其了解に苦しみたり。」
と憤懣をぶつけている。

 だが、甲信鉄道の計画ルートを地図上で眺めてみると、当時の鉄道局の懸念にも無理からぬものがある。

 御殿場から富士吉田を経て御坂山地の南側までは、既に見たとおり明治30年代には鉄道馬車が開通した地域であるから、勾配を緩和するためのスイッチバックの導入や、篭坂峠を越えるトンネルの建設などは必要であったとしても、鉄道敷設が技術的に不可能という地域ではないだろう。ところが、御坂山地をトンネルで越え、富士川の支流である芦川の狭い谷に沿って甲府盆地を目指すルートは、どう見ても相当な難所である。(佐分利はここに長さ2.7kmの長大トンネルを掘ったり、急勾配を上下するための「斜面鉄道」を提案したりしているのだが、これらの点は、後でもう少し詳しく見てみたい。)

 松本・甲府間の免許だけでは甲信鉄道側も工事に着手する訳に行かず、甲府以東のルートについて同22年の暮から再び調査測量を開始。佐分利はその結果を取りまとめ、図面を調整して政府に最終的な出願を今まさに行おうとしていた明治23年3月のことだった。
 「恰(あたか)も我国経済社会の恐慌に遭遇し、凡百の営利事業は其途に苦しみ、更に新事業の興ることなきの時勢に際せしを以て暫く其取運を止め休養再び時機の至るを待たんと欲し、遂に今日に及べり。」

 明治23年は、資本主義下の日本が初めて経済恐慌を経験した年として知られている。当時、国内では私設鉄道の開設がブームになっていたが、この恐慌によって数々の鉄道建設計画が冷や水を浴びせられた。甲信鉄道もその一つになった訳だが、前年にもし松本-甲府-御殿場の全区間にゴーサインが出て、建設途上でこの恐慌に巻き込まれていたらどんなことになっていたか、それを思うと甲信鉄道はアンラッキーであったとばかりも言えないような気がする。

(To be continued)

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