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南の最高峰 [山歩き]

 3月2日(土)の夕方5時半、新宿区内の公共施設の会議室に出向くと、室内では会合の準備が始まっていた。

 普段はロの字形に並べられた机が、今日はちょっとしたスクール形式になっている。中央にはスクリーンが用意され、パソコンに繋げられたプロジェクターの設定に余念がないのは、私より10年先輩のWさんだ。今日の講師のEさんと同時に会場に着いた私は、資料の配布を手伝う。そうこうしている間に出席者が三々五々現れ、開会の午後6時までには、用意されていた座席がほぼ埋まった。

 「皆さん、本日はお集まりいただきましてありがとうございます。・・・」
 いつものように、W先輩の司会で会合が始まる。メンバーはみな、私の出身高校の山岳部のOB・OGたちだ。総勢26名の最年長は、私より23年も先輩のKさん。今年中に傘寿を迎えられるとは思えないほどお元気だ。そして、更に驚いたことには、かつて教員として山岳部長を務められていた(私の在学時には既に退官しておられたが)、95歳のT先生までがお見えになった。

 出席者がそれぞれ手短に自己紹介を行った後、さっそく本題に入る。今年の1月19日に南米の最高峰アコンカグア(6962m)に見事登頂をされたE先輩によるそのご報告である。(南米というだけでなく、南半球及び西半球の最高峰でもあるそうだ。)
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 Eさんは私の4年先輩で、現役高校生の頃は春夏秋冬の合宿にお付き合いいただき、大変お世話になった方だ。昨年、還暦を迎えて勤め先をリタイアされ、以後は自適の生活を楽しんでおられる。アコンカグア遠征は、ご本人にとっては長いスパンで計画をされていて、リタイア後最初の大きな計画であったようである。一緒に登頂されたパートナーは、京大山岳部出身のAさんという、E先輩よりも更に8年年上の方だった。

 今年のお正月の三ヶ日が明けた1月4日に日本を出発。チリの首都・サンチアゴを経由して山麓の町メンドーサ(アルゼンチン)に翌日到着。そこで荷上げのための業者と打合せ、買出しなどを始め、1月7日に登山許可証を取得。実際に入山を始めたのは1月8日だそうである。

 麓から標高4,300mのベースキャンプまではラバで荷物を運んでくれ、そこから先は自分で担ぐ。前進キャンプを作って荷物を上げては、またB.C.に降り、今度は前進キャンプで体を慣らしてからその先のキャンプを作る。それでも一気にその先を目指すのではなく、再びB.C.に降りたりする。要は、高度を上げるに従って食欲が落ちたりするので、B.C.に戻っては体力を蓄える。そのためには高度4,300mのB.C.の環境にまずは適合できなければならない。メディカル・チェックを受けて、数値に問題があれば下山を命じられるそうだ。
cerro aconcagua 02.JPG
(C2の様子)

 ヒマラヤの8000m級の山々の場合は、酸素マスクを付けて登頂する姿がよく紹介されるが、アコンカグアの標高だとそれは使わず、下から登って来る間に体を高度順化させて、最終的に登頂を目指すことになるようだ。だから、行程の中でいかに自分の体を高い標高に慣らしていくかがポイントになる。

 Eさんらは、事前に(昨年の秋だそうだが)富士山での合宿を2回行い、今回も現地では、①宿泊標高差は一日500m以内、②宿泊地よりも高くまで登り、下って泊まる、③ハーハーするほど頑張らない、④水分補給を心がける、をとにかく徹底したという。株価などの推移を見るのに用いられる「ローソク足チャート」でEさんの行動実績を見てみると、なるほどそれが見事に実行されている。
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(行動実績。縦軸は標高)

 1月8日の入山から22日の下山まで15日。計画上は更に5日の予備日を見込んでいたそうだが、それらを使うことなく登って来られたのは、何といっても天候に恵まれていたからだそうである。入山中の貴重な写真の数々をプロジェクターで見せていただき、今日の会の出席者一同は心を奪われている。色々な質問が出され、それに対するEさんの的確な答えに一同が頷く。下山後に現地で日数が余ったので、アサード(羊や牛の焼肉)とワインを毎日楽しまれた様子なども含めて、私たちはEさんのご報告に時を忘れて聞き入っていた。
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(アコンカグア頂上)

 前述のように、Eさんは還暦の年にアコンカグア登頂を果たされた。そして、奇しくも今から60年前、つまり1952(昭和27)年の1月26日に、早稲田大学の山岳部が日本人初のアコンカグア登頂に成功している。しかも同隊の関根隊長は、私たちの山岳部のOBであった。そうしたことに不思議な縁を感じつつ、還暦を迎えてからも私たちにはまだまだ出来ることがあるという、人生へのエールもいただいて、E先輩の報告会は大成功のうちに終わった。時刻は夜の8時半を過ぎていたが、それから近くの居酒屋に場所を替え、私たちの間での山談義が夜遅くまで続いたことは言うまでもない。

 集まったメンバーの中では私が最年少だったが、先輩の皆さんから大いに元気をいただいた。やはり、山の仲間はいいものである。そういえば、2月は仕事の忙しさにかまけていて、一度しか山に行けなかった。そろそろ何か企画することにしたい。

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