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私家版 三丁目の夕日'64 (2) [鉄道]


 もう半世紀近く前、私が渋谷区内の小学校に通っていた頃のことだ。

 あれは5年生の時だったか、図画工作の授業で、「働く人」というテーマが与えられたことがあった。どんな職業でもいいから、人々が働く様子を絵に描いてみようという訳である。

 当時の区立の小学校だったから、一学級に四十数人がいたのだが、その内の9割方の子が水彩絵具で描き始めたのは、黄色いヘルメットを被り、掘削機やツルハシを持って土木工事に携わる人々の姿であった。先生がそのように誘導した訳でもないのに、大多数の子がイメージした「働く人」は見事なほどに一致していたのだった。

 考えてみれば無理もなかった。時代は昭和40年代の初め。東京オリンピックが終わってからも、渋谷の街ではあちこちに建設の槌音が響き、いたる所で道路が掘り返されていたのだ。だから、土木工事は学校の行き帰りに子供達が毎日目にするものだった。今は東急ハンズなどが並ぶ宇田川町の界隈は私の小学校からも近かったのだが、オリンピックを契機にして町並みが見る見る変わっていったことを覚えている。

 因みに、天邪鬼の私はその時に敢えて土木工事を題材に選ばず、山手線の最後部で車内アナウンスをしている車掌さんの絵を描いた。圧倒的なマジョリティーと同じことをするのが面白くなかったというよりも、幼い頃から汽車を見て育った「三つ子の魂」そのものだったのだろう。

 渋谷といっても、「スペイン坂」とか「文化村通り」などという地名はまだ全くない時代。PARCOも西武も勿論登場していない。渋谷駅の真上に建つ東横百貨店は、戦前からある関東では初のターミナルデパートだったし、現在のヒカリエの場所に建っていた東急文化会館とその最上階にあった五島プラネタリウムは、「モダンな渋谷」の象徴であった一方で、地下鉄銀座線のガード下にはアコーディオンを弾く傷痍軍人が立ち、路地裏に入れば夜鳴きそばの屋台がひしめいていた。高度経済成長の光と影が同居し、喧騒の中であらゆる物がごちゃ混ぜになったのが、渋谷という街だった。
sweet memories.jpg
 

 新たなものが後から後から継ぎ足された、渋谷の「ごちゃ混ぜ感」を象徴するようなものが、渋谷駅の難解極まる構造だろう。平面図を見るだけでも、合計で8本の鉄道路線が集まる様子は壮観そのものだが、これらの駅が地上3階から地下5階に分かれているのだから、手に負えない。
shibuya station (map).jpg

 下図は東京メトロのHP上にある渋谷駅の構内立体図である。無論これはメトロの部分だけだから、渋谷駅の全体図を作るためには、これにJR山手線と埼京線、東横線と井の頭線のホームに至る部分や出口の数々を書き加えねばならない。仕上がりは想像を絶する立体図になることだろう。
amazing shibuya station.jpg

 このカオスの中で、3月16日から東横線の駅が地下5階に移り、東京メトロ副都心線に直結することになる。新しい列車ダイヤはもう発表されていて、例えば渋谷駅に到着する東横線の上り列車が一番多い平日の朝8時台を見ると、24本の到着列車のうち渋谷で折り返しは4本だけ。副都心線の池袋または和光市まで乗り入れるのが計11本、西武池袋線への直通が7本、そして東武東上線への直通が2本となっている。横浜のみなとみらい線も含めれば5本の鉄道路線が、よくぞこれだけつながったものだ。

 これで通勤・通学が便利になる人々も多いと思われる一方で、乗換がかえって不便になるケースもあるようだ。とりわけ、渋谷で東横線からメトロの銀座線に乗り換えて表参道や青山一丁目まで乗っていた人々は、今後は圧倒的に半蔵門線へと流れることになるだろう。その半蔵門線は東急の田園都市線と直結していて、それでなくても平日の朝の混雑は大変な路線である。東急電鉄はそれらを予測して分散乗車を呼びかけているが、果たしてどうなるだろうか。
dispersion.jpg

 JR渋谷駅の東側、明治通りが走りバス・ターミナルのある広場の上にある、延々と長い横断歩道橋から、改めて渋谷駅を眺めてみると、東横線ホームのカマボコ形の屋根が印象的だ。周囲に新しいビルが次々と建ち上がる中で、東急東横店の古ぼけた躯体と東横線のカマボコ屋根だけは、もう半世紀近く前になる私の小学生時代のイメージをそのまま残している。そうだからこそ今日も大勢の利用客で忙しない東横線のこのターミナルがあと数日で使われなくなることが、どうしても信じられない。そして、いずれ再開発が始まって、このカマボコ屋根自体がいつか姿を消してしまうことも。
kamaboko roof.jpg
tokyu shibuya terminal.jpg

 地下5階の東京メトロ副都心線のホームに降りてみると、3月16日から代官山まで地下を走る東横線の新しいルートは、もうできている。まだ見ぬ先へと続く線路は、この街の新しい時代の象徴なのかもしれない。東横線と副都心線の直結によって、また新たな混乱が起きるのかもしれないが、渋谷には昔からカオスが付き物だ。それによって、この街はまた新種のエネルギーを放出していくことだろう。
a tunnel to the future.jpg

 私は中学を受験して、その後渋谷から引っ越しをすることになったので、この街に住んだのは7年足らずのことだった。小学校の同級生たちとは、もう長い間会っていない。米屋の子、鰻屋の子、電気屋の子・・・、地域の商店街から通っていた同級生も大勢いて、下校後は鍋島松濤公園で一緒に遊んだりしたものだが、そういう昔の商店街も全く姿を消してしまった今、彼らはどうしているのだろう。

 気がつけばすっかり日が暮れた渋谷の街。今夜は何だか独りで飲みたくなった。

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