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私家版 三丁目の夕日'64 (1) [鉄道]


 渋谷という街の名前は、私にとっては小学校の鐘の音のような響きを伴っている。

 東京オリンピック開催の前月、私はこの街の小学校に大阪から転校してきた。二年生の二学期が始まる時である。ジャイアンツの野球帽一色のクラスの中で私一人が南海ホークスのマークを付けていて、当初は絵に描いたような村八分に遭ったことを、以前にもこのブログに書いたことがある。

 オリンピックに向けた大規模なインフラ整備の一環として自治体にも色々な予算がついたのか、私が通うことになった小学校は、元の場所から移転して、当時としては最新鋭の鉄筋コンクリート3階建の新校舎になったばかりだった。すぐ隣の渋谷区庁舎や渋谷公会堂とワンセットのようにして、オリンピックが始まるまでに建てられたのである。

 区立の小学校ながら、いわゆる「越境」が珍しくなかった。私の学級でも電車通学をしていた子が4~5人はいたと記憶している。いずれも東急の沿線に住んでいたので、たまに彼らの家に遊びに行く時は、渋谷駅から東横線に乗ることになった。因みに、その東横線渋谷駅も東京オリンピックの年に建て替わったものだった。渋谷は、オリンピックを契機にしてその姿が最も大きく変わった街の一つだったのだ。

 渋谷から東横線の各駅停車に乗ると、最初の駅が代官山。子供の頃はここで降りたことがなく、従ってその当時の駅の姿や駅前の様子を知ることはなかった。その代わりに覚えているのは、プラットフォームが短いために中目黒寄りの電車二両分がトンネルの中に入ってしまい、その車両だけはこの駅でのドア開閉をしなかったことだ。それは、井の頭線の神泉駅とよく似ていた。

 現在の代官山駅は、中目黒方のトンネル内にプラットフォームを延伸し、渋谷方にあった小さな踏切を廃止してその方向へもプラットフォームを延伸したために、昔のような「ドアカット」は解消されているが、それは時代が平成になってからのことである。
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 その代官山駅が、再び大きく変わろうとしている。今年の3月16日から東横線の渋谷駅が地下に移り、東京メトロ副都心線と直結するため、東横線は代官山駅の渋谷方で地下に潜り、そのまま渋谷まで地下を走ることになるからだ。

 地下の新ルートは既に出来ていて、3月15日の終電が通った後、代官山駅構内の途中から新ルートに至る部分を僅か4時間ほどで整備するのだという。STRUM工法(Sifting Track Right Upper/ Under Method)と呼ばれるもので、鉄道の既存ルートの真上もしくは真下に新ルートを予め建設しておき、新ルートへの接合部分を切り替え日に短時間で作り上げてしまう、日本独自の技術なのだそうである。直近では、昨年夏の京王線調布駅の地下化の際にも採用されたという。

 Xデーの3月16日が目前に迫った今、渋谷から一駅乗って代官山で下りてみると、駅全体が工事現場のど真ん中にあるかのようだ。プラットフォームから線路を見下ろすと、その線路の下に明らかに何らかの物が既に作られているのが見え隠れしている。プラットフォーム自体も今は仮の姿であるようだ。そして、プラットフォームの渋谷方のすぐ先に、鉄骨で門構が建てられている。
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(代官山駅下り用プラットフォームから渋谷方を眺める)
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(既に設置された門構をくぐって入線する電車)

 東急電鉄のHPには、代官山-渋谷間 約1.4kmの地下化工事の概要が図解されている。
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 これによれば、新しいルートは代官山駅プラットフォームの途中から渋谷方が下り勾配になり、現在の渋谷1号踏切の手前で地下に入る。従って3月16日の未明に、下り勾配が始まる地点から地下に入る地点までの現在のルートを切り取り、鉄骨の門構の上にそれを載せておき、地下に入る線路を整備するということなのだろう。(プラットフォームもその下り勾配に合わせたものになるはずだ。) 始発電車が走る前に試運転も必ず行うから、当日の工事は文字通り時間との戦いとなるのだろう。
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 代官山の駅前から線路に沿って渋谷方向へ歩いていくと、道は下り坂が続いている。右手に渋谷1号踏切。東横線の新ルートはそこでは既に地下に入っているので、この踏切は廃止になるそうだ。
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 線路に沿って更に坂道を下ってガードを潜り、道路が線路の右(南)側に回り込むと、その先にJR山手線・埼京線の線路を跨ぐ歩道橋がある。その上から渋谷方向を眺めると、JRの線路をオーバークロスする東横線のトラス橋が目の前だ。双方の電車が縦横に行き交うこの眺めも、3月16日からはもう見られない。この鉄橋もいずれ姿を消すのだろうか。
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 この横断歩道橋からもう少し渋谷方向に、東横線の高架が渋谷川と並行する場所がある。大正15年に丸子多摩川・神奈川間で営業運転を開始した、東京横浜電鉄(当時)の線路が渋谷まで延びたのが昭和2年の夏。現在の高架がその当時の面影をどれほど残しているのかはわからないが、このアングルから眺めた東横線にはどこか懐かしさが漂っている。ファッショナブルな今の渋谷のイメージとは正反対の、何ともくすんだ色合いの風景だが、それに出会えたことが妙に嬉しい。私が子供の頃は、鉄道の沿線というとこんな眺めが多かったように思う。
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 明治通りに出て渋谷方面に向かうと、やがて並木橋の交差点。左側には自動車用の新並木橋と、歩行者用の並木橋が渋谷川の小さな流れを渡っている。東横線の開業当初はこのあたりに並木橋駅が設けられていたそうだ。渋谷駅から僅か500mほどの距離で、戦後すぐに廃止になったという。

 並木橋まで来れば、渋谷の駅前はもう目と鼻の先だ。私が子供の頃からは大きく姿を変えたとは言え、渋谷駅の周辺は私にとってはセピア色の思い出が今も残る懐かしい場所である。せっかくここまで来たのだから、今日はもう少しだけタイムスリップを続けてみよう。

(To be continued)

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