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冬と春の狭間 [季節]

 前週のことになるが、2月22日の土曜日の午後、久しぶりに家の近くの植物園を訪れた。

 何せ、直近は二週続けての週末の大雪だった。その前は、1月から週末には何かと予定が入り、自分一人の時間がなかなか取れなかった。この日も朝から都内の実家で一つ用事があったのだが、それは昼前に片付き、夕方まで少し時間が出来た。それならば、ちょっと植物園まで足を延ばしてみようか。そういえば、今年はまだ梅を見ていなかった。

 植物園の正門から、いつものように正面の坂道を登ると、その先にソメイヨシノの木が並ぶ広場がある。もちろん桜の花の季節はまだ先なのだが、木々の様子にも足元の芝生にも、冬枯れのピークを通り越してかすかな春の兆しが垣間見えるような気がした。この日の明るくて穏やかな太陽の輝きがそう思わせてくれたのだろう。
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 その奥の分類標本園には、先週の大雪の跡がまだ少し残っていたが、融け残った雪と明るい太陽の取りあわせは、この季節ならではのものかもしれない。
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 東京都心について言えば、今年の冬は例年よりも寒さの厳しい日が続いていたような印象があるのだが、昨年12月22日の冬至以降、先週末までのちょうど二ヶ月間の気象データは以下の通りだ。
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 この期間について、毎日の気温を平年値と比べると、冬至(12/22)から小寒(1/5)までの二週間は、元日が暖かかったことを除けば、総じて平年よりも気温が低めだった。その次の小寒から大寒(1/20)までの二週間は更に平年より寒い日が多く、今冬の寒さを象徴しているようだ。その後、大寒から立春(2/4)までは、今度は一転して暖かい日が多く、とりわけ1月の後半は平年よりだいぶ気温の高い日が続いた。(私も1月最後の週末は京都でかなり暖かい日を過ごした。)

 それが、立春の翌日から気温は一気に急降下し、二度の週末が大雪に見舞われたが、雨水(2/19)を過ぎてからは平年並みの気温に戻りつつあり、冬と春がせめぎ合っているようだ。二十四節気とはよく出来たもので、確かに二週間毎に季節が動いているように見える。

 一方、冬至からの毎日の日照時間を累計してみると、大寒から立春までの暖かかった期間に晴天が続き、平年よりも日照時間が長めに推移していたが、その後の二度の大雪もあって、2月末の時点では累計時間が平年と同じになった。日差しの総量では平年並みの冬が続いているといえるだろう。

 この植物園は、江戸時代には幕府が設けた小石川養生所だった。その頃からある井戸の近くには一本の寒桜の木があって、毎年この時期に濃い桜色の花が咲く。今年はそれがもうピークをやや過ぎた様子だった。ということは、二度の大雪の前から咲き始めていたのだろうか。寒い冬こそ元気に花を開く。その様子は見ていて気持ちがいいものだ。
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 冬と春の狭間で、吹く風は冷たいけれど太陽の輝きに力強さを感じ始める今頃の季節。私にとっては、ガブリエル・フォーレ(1845~1924)の室内楽を聴くことが私的な歳時記のようになっている。それも、彼の晩年の作品になる二つのピアノ五重奏曲(Op. 89及び115)を選ぶことが多い。重厚な音の重なりが流れるように展開していく弦楽四重奏に、細かな装飾音と共に絡まっていくピアノ。短調のメロディーと弦楽の渋い響きにピアノが淡い彩りを添えているところが、不思議なほど東京の今の季節感にマッチしているのだ。
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 代表作の「レクイエム」で知られるフォーレは、牧師の家庭の生まれだそうである。音楽家の家系ではなかったが、幼い頃から教会のオルガンに触れるうちに、その楽才を見出されていったという。宗教音楽学校に通うことになり、グレゴリオ聖歌や対位法など、古典をしっかり教わったそうだが、そこで出会った師がカミーユ・サン=サーンス(1835-1921)だった。

 19世紀という時代を俯瞰してみると、リヒャルト・ワグナー(1813-83)やロベルト・シューマン(1810-56)、そしてフレデリック・ショパン(1810-49)らは、フォーレにとって一世代前の音楽家たちである。ヨハネス・ブラームス(1833-97)や、師と仰ぐサン=サーンスは一回りぐらい年上だ。当然のことながら、ロマン派音楽の影響は大きかったことだろう。(フォーレが残した前奏曲、夜想曲、舟歌などのピアノ曲は、どこかショパンを意識したようなところがある。)

 卒業後は教会のオルガニストなどを務める一方、サン=サーンスやセザール・フランク(1822-90)らと共に「国民音楽協会」の創立に参画。彼が26歳の時だ。それはちょうど普仏戦争の年で、フォーレは歩兵部隊に従軍を志願したこともあったそうである。

 やがて、サン=サーンスの後任としてパリのマドレーヌ寺院のオルガニストとなり、51歳でパリ国立音楽院作曲科の教授に就任。その時の教え子の一人が、あのモーリス・ラヴェル(1875~1937)であったという。

 19世紀後半から20世紀の初頭まで、後期ロマン派の時代から近代音楽の登場までの期間を音楽家として生きたガブリエル・フォーレ。20世紀を24年も生きたのに、軸足はどこか19世紀的だ。その点、活躍の時期がかなり重なっているクロード・ドビュッシー(1862~1918)とは随分と対照的なのだが、それでもそうした新しい音楽を批判することもなく、教育者として古典から同時代のものまで幅広い題材を取り入れて、多くの後進を育てた、そこに功績を見るべきなのだろう。そして、彼の作品に一貫してみられる独特の気品、高雅な精神世界には、時代を超えて愛すべきものがある。
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 カリンの林を抜け、針葉樹林の林を過ぎると、植物園内の道は坂道をおりて日本庭園の池に出る。そして、その先にはお目当ての梅が咲いていた。

 多くの木々が一斉に開花する桜とは違い、梅は木によって咲く時期が様々だ。誰に導かれる訳でもなく、寒風の中にただ一人花を開き、微かな芳香を放つ。そんなところが、とりわけ禅僧たちに愛されてきたのだろう。この園内でも、梅の木々はどれもみな実にマイペースだ。それがいい。
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 先に挙げた二つのピアノ五重奏曲は、いずれもガブリエル・フォーレが聴覚障害を患ってからの作品だという。音が歪んで聞こえるという障害。彼のように極めて繊細かつ微妙な和音を追求していった作曲家にとって、それはもしかしたら、音が全く聞こえないことよりも辛いものであったかもしれない。だが、この二つの作品を聴いても、彼がそんなハンディーキャップを背負っていたなどとは想像することが出来ない。とりわけ最晩年の作品になる第二番は、他者の追随を許さない孤高の美しさに満ちていて、私たちの心の内面に迫る。だからこそ、一人で過ごす時間に聴きたくなるのだろう。

 それは、この国の風物に譬えれば、寒風の中に一人咲く梅の木であるかもしれない。
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 明日は3月を迎えるが、寒さがまた戻って来るそうだ。暖かい季節の到来を楽しみに、冬と春の狭間を歩いて行こう。

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