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球場へ行こう [自分史]

 水曜日の夕方、18時前に仕事を片付けた私は、足早に都心へと向かっていた。

 建物の前で係員に切符を見せて、簡単な手荷物検査を受け、回転ドアを通って中に入る時に感ずる、独特の風圧。そして次の瞬間に、人々のざわめきとラッパや鐘太鼓、そして場内アナウンスの声が両耳に飛び込んで来る。三塁側の内野自由席のエリアに向かい、空いている二席を確保したところで、あらためて球場全体を見渡してみると、今シーズンに向けて張り替えられた人工芝の緑が鮮やかだ。ゲームは四番打者の空振り三振で1回の表が終わったところだった。

 北海道日本ハムファイターズ対福岡ソフトバンクホークスの第5回戦。ファイターズが札幌に本拠地を移して以来、このカードは東京ではなかなか見られなくなった。そのせいか、平日のナイトゲームながら観客の入りは悪くない。家内が或るところから内野自由席の招待券をいただいて来たので、今夜は二人で観戦である。私にとっても、球場に足を運んでプロ野球を見るのは5年ぶりぐらいのことだ。
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 確保した席の位置を家内にメールしている間に、一回の裏が進む。少し球がバラつきながらも簡単に二死を取ったホークスの先発・寺原隼人が、ファイターズの三番・大谷翔平を打席に迎えた。昨年のプロ入り以来、投手と外野手の「二刀流」を続けているこの若者は、今日の試合では3番のDHだ。

 家内からの返信メールが届いたのと、快音と共に歓声が上がったのが、ほぼ同時だった。飛球の行方を追ってレフト寄りに背走していたホークスのセンター・柳田悠岐が、動きを止める。ボールは左中間の前列に飛び込んだ。その途端に一斉に湧き上がる一塁側。大谷の今シーズン第一号の本塁打が出た。

 ゲームは二回の表。一死走者なしで打席に入ったのは、六番・サード松田宣浩。打撃では今シーズンはまだ本調子でなかったその松田のバットからライナー性の飛球が放たれた。ファイターズのレフト・中田翔が殆ど動かないまま、打球は一直線に左中間席に飛び込む。今度はレフト側の外野席がお祭り騒ぎだ。早くも両軍からソロ・ホームランが1本ずつ出て同点。今日の試合は打ち合いの展開になるのだろうか。

 この回のホークスの攻撃が終わったところで、家内がやって来た。食べ物を用意して来てくれたので、さっそくそれをつまむことにする。テレビで野球を見る時は「ビールに枝豆」が必須なのだが、東京ドームは生ビールがエラく高いから、今日は我慢してレモンサワーを二人で分けよう。今夜はビールよりも、久しぶりに球場の中にいること自体が嬉しい。
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 私が小学校に上がる頃、父の転勤で一家は二年ほど大阪で暮らすことになった。その間に父に連れられて見た最初のプロ野球が、大阪球場の南海ホークス対阪急ブレーブス。それ以来、私にとって野球といえばホークスだった。昭和25年のセ・パ両リーグの発足以後、昭和41年までの17年間に、ホークスは実に9回のリーグ優勝を遂げている(その内、日本一は2回)。私が初めて見た昭和38年のシーズンは2位だったが、翌39年からは3年連続のリーグ優勝だった。子供心を惹きつけるのは、やはり強いチームなのである。

だが、それ以降の南海ホークスはジリ貧の歴史だった。

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(戦後のホークスの63年間)

 それまでの常勝球団だった西鉄と南海に代わり、阪急ブレーブスが急速に台頭。昭和40年代といえば、パ・リーグは阪急の時代になった。そして昭和47年にパ・リーグが二シーズン制を始めると(その制度導入の理由も、阪急ばかりが優勝していたことにあったのだが)、その年の前期にホークスが辛うじて優勝。捕手兼監督だったノムさんは、阪急攻略のために後期の試合の全てを実験に使い、阪急とのプレーオフを3勝2敗で征してリーグ優勝を決めたのが精一杯だった。(だから、この年は前後期の勝敗を合計すると、ホークスは3位だった。) 以後は長期低迷の時代が続く。

 私は浪人時代から大学生の頃にかけて、日本ハムファイターズ戦でホークスが東京に遠征して来ると、時々試合を見に行ったものだった。もちろん東京ドームなどない時代で、当時の後楽園球場は水道橋の駅からスコア―ボードの背中が見える位置にあった。パ・リーグに人気のない時代だったから、土曜の午後のデーゲームでも観客は1万人ぐらいだっただろうか。(それだって水増し発表だったのかもしれない。) その頃に三塁側に陣取っていた物好きは、大阪出身者か、或いは漫画『あぶさん』の愛読者ぐらいのものだったのだろう。それに比べれば、今日の試合は観客数が23,212人だそうで、立派なものである。

 試合は三回の裏に寺原が再びソロ・ホームランを喰い、更に四回裏には単打と四球で走者を貯めた後、ファイターズの七番打者・大引啓次に左中間への3ランを打たれてしまった。続く五回の表は一死二・三塁から内野ゴロの間に1点を返したのだが、その裏には二番手投手の嘉弥真(かやま)新也が、二死を取った後に走者を貯めて、今度は六番打者の佐藤賢治に3ランをかっ飛ばされた。5回を終わって2対9。ホークスにとっては何とも重い展開になった。
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(ホークスの三番・内川聖一。今夜はチャンスに一本が出ない。)

 私が社会人8年目の昭和63年秋、南海電鉄からダイエーへ、ホークスの身売りが発表された。関西国際空港の開業に関連した大阪・難波の再開発計画を進めていた親会社にとって、お荷物の赤字球団はこれ以上持ち続ける訳にはいかなかったのだ。私は一年間の研修に出ていたロンドンで、そのニュースを知った。本拠地は福岡に移るが、ホークスの名前だけは残るという。子供の頃からのファンとしては複雑な心境だったが、博多に行ってどんな球団に生まれ変わるのかが楽しみでもあった。

 当初は、貧乏球団をそのまま平和台球場に持って来て、ユニフォームだけ一新したような状態だったが、平成5年のシーズンから広い福岡ドームが本拠地になる。大型トレードや新人ドラフトを通じて戦力の強化を図り、平成7年には球界の至宝・王貞治を監督に迎えた。万年Bクラスだったチームが、年を経るごとに力を蓄えていく。そして、その5年目のシーズンになる平成11年、ダイエーホークスは遂にリーグ優勝。そして中日ドラゴンズを倒して日本シリーズも制覇した。リーグ優勝も日本一も、26年ぶりのことだ。駐在先の香港で接したそのニュースは、私には感慨深いものがあった。

 6回の表、ホークスの攻撃。一死一塁の場面で、七番・センターの柳田悠岐が打席に入る。場内は「ギータ! ギータ!」の大声援だ。(彼の名字の「やなぎた」から来ている。) 大卒でプロ入り4年目の25歳。身長188センチ。強肩・強打・俊足。まだ粗削りだが、そのフルスイングは凄まじく、ダイヤモンドの原石のような魅力を持つ選手である。遠からずホークスの看板選手になることだろう。家内も、実はギータ君のファンなのである。

 そのギータが打った! 高く上がった打球は円弧を描きながら左中間のスタンドへ。2点が入った。全員総立ちのレフト席。花火のような大歓声の中、ダイヤモンドをゆっくりと一周するギータ君の姿に、家内も両手を叩いて大喜びだ。我家の息子と一年しか歳が違わないから、家内にしてみればつい「母の目」で見てしまうのだろう。その見事なホームランを目の前で見ることが出来て、今日は本当に来た甲斐があった。

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(ホークス期待の星 柳田悠岐)

 平成11年・12年、そして15年にリーグ優勝を飾ったホークスだったが、過重債務に苦しんでいた親会社ダイエーが自主再建を断念せざるを得なくなり、平成16年の秋に産業再生機構に支援を要請。既に始まっていたオリックスブルーウェーブと近鉄バファローズの球団合併問題もあって、大規模な球界再編が噂されたのだが、結局はIT企業のソフトバンクが球団を買収することで決着を見ることになった。

 資金力のある親会社の下で、本業に専念できるようになった球団。だが、福岡ソフトバンクホークスになってからは、FA制度や選手のメジャーリーグ挑戦など、戦力の流動化が激しくなった。加えて、レギュラーシーズン終了後に上位3チームによるプレーオフを行うという妙な制度が始まったこともあって、リーグ優勝を続けることはどのチームにとってもハードルが高くなった。確かにソフトバンクの名前になってからは、ホークスの戦績は年度ごとの振れ幅が大きくなっている。
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 ギータの2ランで勢いが出たホークス。7回表には四番・ファーストの李大浩のソロが飛び出し、その裏には四番目投手として左投げの森福充彦が登場。敗戦処理などで出て来る投手ではないから、秋山幸二監督は、「7回で4点ビハインドでも、まだ試合は諦めないぞ。」というメッセージを送ったのだろう。

 続く8回表。二死満塁で打席には五番・ライトの長谷川勇也。昨年の首位打者で、シーズン200安打にあと2本だった。今年も打撃好調である。そして迎えたフルカウント。場内の三塁側は大騒ぎなのだが、最後はファイターズのリリーフ・増井浩俊のフォークボールに、バットが空を切ってしまった。今夜のホークスは、塁上に走者をためながらも、「ここで一本」が出ない。
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(二死満塁で打席が回ってきた長谷川勇也だったが・・・)

 その後、8回裏と9回表に両軍それぞれ1本ずつのソロ・ホームランが出て、試合は結局6対10で終わった。14安打を放った一方で11残塁。相手に5本の本塁打を打たれ、それだけで9点を献上している。今夜のホークスは、いささか大味な野球をしてしまった。
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 それでも、実に久しぶりのプロ野球観戦を、家内と二人で十分に楽しめた。いただいた招待券で入って、ギータ君の一発を含めて両軍計9本のホームランを見ることが出来たのだから、これは儲け物というべきだろう。(確かに東京ドームは本塁打が出やすい球場だ。「ドームラン」という言葉もあるぐらいで。)

 7歳の時に父に連れて行ってもらった大阪球場。学生時代に足を運んだ後楽園球場。息子を連れてダイエー・近鉄戦を見た福岡ドーム。そして今夜は家内と二人で過ごした東京ドーム。ホークスを応援するようになってから、考えてみればもう半世紀を過ぎている。

 球場の中ではビールを我慢したから、家に帰ったら家内とワインでも軽く飲むことにしようか。
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