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長さ1㎝の病変 (4) [自分史]


【11月2日(日)】

 入院5日目。病院食は五分粥になった。昨日は完全に液体だけの食事だったのが、今朝になってやっと形のあるものが出て来ると、そのありがたみもひとしおである。

 この日は昼過ぎで点滴も終了となり、私の右腕はやっと解放された。トイレへ行くにも点滴を吊るした台を押しながらの移動だったので、それから解放されると一気にフットワークが軽快になる。五体満足とはこのことかと実感。入院以来初めてのシャワーを浴びて、爽快な気分を味わった。

 ここまでの経過が順調なので、担当の医師からは「このまま行けば11/4(火)に退院ですね。」とのスケジュール感が示された。

【11月3日(月)】

 文化の日。晴の特異日だけあって、朝から窓の外には富士山が見えている。快晴とまでは行かず、時間が経つにつれて雲も湧いてきたが、それでも穏やかな日和が一日続いた。

 病院食は、ご飯の代わりに全粥であること以外は、もう通常の食事とそれほど変わらない。敢えて言えば油を使った料理がないことぐらいだ。午後からは家族三人が来てくれて、病棟とは別棟のスターバックスで一時を過ごす。オープンエアのテーブル席が割と気分のいい所なのである。もう病室に置いておく必要のない物は家族に持って帰ってもらったりして、我家はもうすっかり退院モードだ。祝日だからなのか、この日の夕食には尾頭付きの小さな鯛が出てきた。
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【11月4日(火)】

 退院予定日の朝、いつものように5時半過ぎに目が覚めた。朝一番から何となく腹の中が緩い感じがあったので、トイレに向かう。病棟の廊下を歩く間、頭が妙にぼんやりとしていて気分が悪かった。

 そして、トイレの中で私は体内の異変を知った。それはおそらく、5日前の手術で十二指腸の腫瘍を切除した、その傷口からなのだろう、結構な量の出血が起きていたのだ。

 すぐにナース・ステーションに向かい、看護婦さんに事実を伝える。その間に全身から冷や汗が出て、動悸が激しくなった。看護婦さんの指示に従ってナース・ステーションの前にある機械に腕を通すと、血圧の急激な低下と心拍数の急増は明白だ。それは、私が今までに経験したことのないような貧血状態だった。

 これから当直医の指示を仰ぐことになるが、この状態で退院することは最早あり得ない。エレベーター・ホールから直ぐに家内に電話をして状況を知らせた。時計はちょうど午前6時を指している。窓の外は11月の青空が妙にきれいだった。

 病室で腕に再び点滴が繋がれる。当直医が速やかに連絡を回してくれた結果、担当医がこれから病院に急行し、朝の7時半から内視鏡で処置をして下さるという。そして7時には家内が病室に現れた。家からタクシーを飛ばして駆けつけてくれたようだ。

 予定の時刻に私はストレッチャーで院内の内視鏡センターに運ばれ、処置の準備が始まる。そして、そこに担当医の姿が見えた。
 「F先生、朝早くからこんなことになってしまい、申し訳ありません。」
 私はそう申し上げたかったのだが、内視鏡を通すためのマウスピースをくわえているので、物が言えない。その内に静脈麻酔が効いてきて、私は眠りに落ちていった。
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 目が覚めると、私はいつもの病室に戻されていた。時計を見ると午前11時をだいぶ過ぎている。そして、ベッドの横の机に家内の走り書きが置いてあった。私が眠り続けていたので、一旦家に戻り、午後の面会時間が始まったらまた来てくれるという。担当医から家内に説明があり、処置は無事に終わったということも記されていた。5日前の手術の際に、傷口を3個のクリップで止めていた内の2個が外れていたので、止め直して補強を行ったとのことだった。各種の消化液の通り道となる十二指腸では、手術の後にこうしたことが起こるのは珍しくなく、想定された事態の一つなのだそうである。

 ともかくも、術後の療養期間はこれで振り出しに戻ることになった。退院予定日の朝、あと3時間もすればベッドを明け渡していた筈だったから、まさにゴールの10m手前でスタート台に戻されたことになる。点滴が再びつながれて、今日・明日は絶食、明後日から重湯・・・となるはずだから、入院生活はまだ5~6日続くのだろう。最短コースで退院するつもりだった私にとっては、もちろん無念なことだ。

 とは言うものの、もし退院した後に今日のような出血を起こしていたら、こんなに迅速な対応は受けられなかったに違いない。しかも起きたのが朝食前で胃の中が空だったから、あんなに直ぐに内視鏡で処置を受けることが出来た。そう考えれば、今回のことはまさに不幸中の幸いだったと言うべきなのだろう。やはり、物事には「起承転結」があるものなのだ。

 失われた血液の再生産が体の中で早速始まったのか、私は再び眠りに落ち、午後3時近くまでよく眠った。面会時間が始まると家内が現れ、そして山仲間のH氏が再びお見舞いに来てくれて、山の本を更に二冊置いていってくれた。
(To be continued)

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コメント 2

北京現人

今回は大変でしたね。
普段、病院に縁が無い方にとって、ショックなことが多かったと思います。
本人も、ですが、ご家族はもっと心細かったと思います。連絡を受け取った時も何となく普段の明るさ、無かったです(苦笑)。
でも、今回の入院を通じて普段、当たり前のように思っていたことに対して~それは家族との絆も含めて~より深い感謝の気持ちが強くなったことと思います。結局、最後は家族ですよね。なんだかんだ言っても。
まぁ我々は快気祝いの宴席と山行を楽しみに(しかし、ご家族に心配かけない程度に)またご一緒できれば、と思っております。

by 北京現人 (2014-11-11 22:48) 

RK

コメントありがとうございます。
ご指摘の通りで、色々な意味でいい勉強をさせていただいたと思っています。それも、ただ最短コースで退院するだけだったら学べなかったことまで・・・。時には回り道も必要なんですね。
これからも、自分の心身のことで極力人様の世話にはならないよう、気をつけて行きたいと思います。

by RK (2014-11-14 06:03) 

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