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長さ1㎝の病変 (5) [自分史]


【11月5日(水)~9日(日)】

 10月30日に私が受けた十二指腸の手術。退院時に病院から交付を受けた診療明細書によれば、それは「内視鏡的十二指腸ポリープ・粘膜切除術」というのだそうだ。手術の翌日から、絶食(10/31) → 重湯(11/1) → 五分粥(11/2) → 全粥(11/3) というステップで毎日の病院食が通常食に近づいて行き、その間の経過も順調だったのだが、術後5日目の11月4日早朝になって、切除によって出来た傷口からの出血が発生したため、再び内視鏡を呑んで止血術を受けた。

 振り出しに戻った私の療養生活。病院側も「念には念を入れて」という判断になったようで、今度は絶食(11/5) → 重湯(11/6) → 三分粥(11/7) → 五分粥(11/8) → 全粥(11/9) と1ステップ増えることになった。病院の中で退屈な日々が続いたが、まあ仕方のないことだ。幸いにして出血が再発することはなく、今回も日々の経過は順調であった。

 本を読む時間がたくさん出来たことはありがたいが、さりとて病院のベッドで日夜本を読み続けるというのも、なかなか難しい。それと、入院当初は自分のことにばかり意識が向いていたが、日が経つにつれて院内の色々なことに目を向けるようになるものだ。特に今回は病室が四人部屋だったから、薄いカーテンで仕切られただけの四つのベッドで展開されるそれぞれの人間模様が顕わになり、それはそれで考えさせられることが多かった。何しろ自分にとっては子供の頃以来、実に半世紀ぶりの入院なのだから、そこでの生活は殆ど初体験に近いものなのだ。
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 率直に言えば、長さ1㎝の良性腫瘍の切除を、それも開腹手術ではなく内視鏡的に行い、ただその後の傷口の治癒を待っていればいいだけの私など、入院患者の中では相当お気楽な存在であった。そもそもが高齢者ばかりだし、重篤な病状を抱えた患者や、既に相当長い間入院生活を続けていると思われる患者は実に多いのだ。そして、毎朝の医師の回診の時間などに、そうした病状の内容が嫌でも聞こえてきてしまう。もしそれが自分だったら気持ちが萎えずに闘病生活を続けることが果たして出来るだろうか、と思わざるを得ないような話まで・・・。

 そんな中の或る日、前日に空いたばかりのベッドに一人の若者が入ることになった。当初、私は特に気にも留めていなかったのだが、暫くしてわかったのは、彼は日本語が殆ど解らず、しかしながら日常会話的な英語は出来る中国人らしいということだった。(ベッド同士がカーテンで仕切られているから、この時点では相手の姿をまだ見ていない。見舞い客と思われる人々との間で交わされる中国語が聞こえて来ただけだ。)

 そんな彼がどういう経緯でこの大学病院に入院することになったのかは、知る由もない。だが、それから病室で現実に起きたのは、彼と看護婦さんたちとの間で、コミュニケーションが殆ど成り立たないということだった。トイレに行くとか行かないとか、身振り手振りで何とかなる話ならともかく、症状の確認や治療日程の説明、そして服用薬の説明などは、看護婦さんたちが英語では殆ど対応出来ないのである。それぞれに正確を期すべき事項だから、それが通じないのは患者本人にとっても大いに不安であるに違いない。

 カーテン越しに聞こえてくるそんな様子を見るに見かねた(いや、聞くに聞きかねた)私は、英語の通訳を買って出ることにした。話してみると、彼は上海出身の学生で、日本で留学生活を始めたばかりだという。ベッド脇の机の上には、ひらがなとカタカナの練習帳が置いてあった。明日の日中に大腸の内視鏡検査を受けるようで、看護婦さんはそれに関する諸々の連絡事項を彼に伝えたかったらしい。

 私自身がまだ点滴を繋いだ状態だったので、看護婦さんには大いに恐縮されてしまったが、ともかくも英語によって中国人の学生さんとの意思疎通は出来たので、多少のお手伝いにはなったようだ。彼は結果的に私よりも早く退院することになったのだが、それまでの間は私が何度か通訳をしたので、彼の退院時には私のベッドまで挨拶に来てくれた。まあ、世の中、困った時はお互いさまだ。だが、こうした言葉の問題はこれからの日本では頻繁に出てくることだろう。

 どこの病院でもそうなのだろうが、夕食は18時からだ。19時に面会時間が終了し、概ね21時には各病室とも消灯になる。私たちの普段の生活と比べればずいぶんと夜が早いのだが、電灯が消された後に病棟全体が朝までシーンとしているのかというと、決してそんなことはない。介護的なことを必要とする患者さんが多く、真夜中でもナース・コールが頻繁に鳴っている。そのたびに急ぎ足で廊下を歩く看護婦さんたち。それが役目なのだとはいえ、本当に大変な仕事だなあと思う。
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 当たり前かつありふれたコメントながら、健康でいること、普段通りに日常生活を自力で送ることが出来るということは、何とありがたいことなのだろう。短い間でも入院生活を経験してみると、そのことを痛感せずにはいられない。けれども、人は常に老いて行くから、自分の体が思い通りにならなくなる日が、いつかは必ずやって来る。

 厚生労働省の発表によれば、2013年の我国の平均寿命は、男性が80.21歳で世界第4位、女性が86.61歳で2年連続の世界一だそうである。一方、「日常生活に介護を必要としないで、自立した生活が出来る生存期間」として健康寿命という概念があり、2010年の厚労省調査では男性が70.42歳、女性が73.62歳となっている。両者の差が「介護を要する期間」だから、この数字をそのまま使えば、日本人の男性では人生の最後の9.8年、女性の場合は13.0年を、他人に世話してもらうことになる訳だ。

 出来ることなら、「介護を要する期間」を持たずに人生を終えたいものだ。老いた後に子供たちには負担をかけたくない。それは誰しもが思うことだろう。私自身は、すごく長生きをしたいという気持ちはないが、それでも生きている以上は自立した生活を続けて行けるよう、今回の入院を一つの契機に生活習慣を見直して行こうと、強く思った。

【11月10日(月)】

 退院日の朝を迎えた。12日前に入院した時と同じように、空は夜明けから素晴らしい快晴だ。冠雪の富士山が朝焼け色に染まっている。

 午前8時の朝食前に担当医が私のベッドまでやって来てくれた。

 「顔色も良さそうですね。では、退院後もお大事になさってください。」

 先生との最後の会話は短かったが、私は出来る限りの謝意を伝えた。お世話になった看護婦さんたちにも一人一人お礼を申し上げたかったが、彼女たちは交替制だし、朝のこの時間も忙しそうだ。

 退院日は朝の9時半までにベッドを明け渡すことになっているので、朝食後は色々なことがテキパキと進んでいく。ナース・ステーションで婦長さんに退院の挨拶をし、12日間を過ごした病棟からエレベーターで地上階に下り、診察券を機械に入れれば精算が出来る。それで全てが終了。退院日といっても実にあっさりとしたものだ。

 迎えに来てくれた家内と一緒に家に戻る。会社への出勤は翌日からと決めていたので、今日はゆっくりさせてもらうことにして、午後からは足慣らしのために二人で散歩に出た。12日間の入院生活で私はさすがに足が鈍(なま)っていて、家に向かう間も何となく足元がフワフワした感じがあったのだ。

 都バスとメトロを乗り継いで、下谷の鷲(おおとり)神社へ。この日は今年の「一の酉」で、それにしてはシャツ一枚で外を歩けるほどの暖かい日和になった。関東の風物詩・「酉の市」の発祥の地とされる神社だけに、月曜日の午後早い時刻ながら、境内の前には既に長い列が出来ている。

 日本武尊をお祀りする拝殿に向かって、家内と二人で二礼二拍手一礼。12日間の入院を経験した直後だけに、いつもより私たちは神妙になっている。

 今回の入院にあたり、今年の5月以降多くの人々にお世話になった、そのことのありがたさ。個人的な事情を汲んでくれた職場への感謝。そして、色々と心配をかけながら、それを通じて確かめ合うことになった家族の絆・・・。胸の中に浮かび上がる様々なものを10秒間で一まとめにせざるを得ないほど、境内は大賑わいだ。

 所狭しと並べられた縁起熊手の鮮やかな色と、威勢のいい掛け声に包まれながら、今朝までの「病院にいた私」は、急速にフェード・アウトしていった。
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コメント 2

もりママ

やっぱり、入院手術ということだったのですね。

私も、2月に2週間の入院生活(末娘の出産以来21年ぶり)をして、色々考えさせられました。
先日治療終了後3か月目の検査結果が出て、98%治癒と言われました。あと、3か月で完治かどうかわかります。

RKさんも、予後を大事に、ゆっくり回復してください。
くれぐれも、無理しないでね。
また、ご一緒に山歩きができる日を、楽しみにしています。
by もりママ (2014-11-16 01:14) 

RK

M先輩、コメントをありがとうございました。

退院して来てからは、今のところ無事に過ごしております。
月内は刺激物やアルコールの接種、そして激しい運動がご法度になっていますので、一応おとなしくしています。(散歩やハイキング程度なら構わないと言われているので、そのうちにソロで近場をゆっくり歩いて来ようとは思っていますが。)

M先輩は二週間の入院生活だったのですね。退院後も節制を心掛けておられたのでしょう。98%までの治癒、何よりです。更に100%までの完治を心よりお祈りいたします。

RK
by RK (2014-11-16 11:10) 

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