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春の巡礼 - 上高地・小梨平 (4) [山歩き]


寒い夜

 寝袋の中で最初に目が覚めたのは、夜の11時を回ったところだった。就寝から3時間ほど眠ったことになる。その後はほぼ30分おきに寒さで目が覚めては、寝ている態勢を立て直すことの繰り返し。雪の上に冬用テントを張って寝るというのは、学生時代を思い出してみればそんな感じだったかな。テントの中は明らかに氷点下で、頭も寝袋の中にしっかり入れていないと顔が冷たいし、足の先も冷たい。寝返りを打った時にテントに触れると、とたんにその冷たさが寝袋を通して自分の体に伝わってくる。早く朝にならないか、そればかりを考えていた。

 午前5時半に近い頃、先輩たちが眠る四人天からガサゴソと音が聞こえ始めた。私と同じテントに寝ていたT君も起き出して、点灯。コンロにも火をつけてひとまず暖を取る。テント内に置いていた水のペットボトルや山靴などが凍っていた。そういえば、学生時代の積雪期の合宿では、山靴は寝袋の中に入れて寝たものだった。今回はたかだか標高1,500mの上高地だからと、あまり深く考えていなかったが、思っていた以上に夜は冷え込んだようだ。それでも、夜中にも風がなかったのは幸いだ。

 テントの外に顔を出したT君は、空に星が出ているという。この冷え込みの強さからすれば、夜中はずっと晴れていたのかもしれない。それならば、穂高の稜線も今日はすっきりと見えるかな。

素晴らしい朝

 テントの中で靴を温めたりしているうちに、外も次第に明るくなってきた。テントを出て、昨日の夕方に山を眺めた場所に行ってみると、穂高には雲一つなく、岳沢の全容が目の前に広がっていた。太陽に直接照らされる前の、モノトーンに近い世界だ。
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 写真にはプロ級の腕前を持つSさんが、大きな三脚を立ててその岳沢にレンズを向けている。聞いてみれば朝の4時半からその場所に立っていたそうだ。今日の山の夜明けはそれほどの努力に値する被写体なのだろう。雲が晴れて神が現れたような昨日の夕方の穂高は息を呑む美しさだったが、今朝の穂高連峰は真水のようにすっきりとしていて、これはまた別の美しさを見せている。
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 朝日を受けて山肌が赤く染まる、いわゆるモルゲン・ロートを私たちは期待して待っていたのだが、よく晴れているのに、どうもそれは起こりそうにない。東の彼方に雲があって直射日光が当たらないのかもしれない。それは諦めるとしても、この季節にこれほどの快晴に恵まれたとは、何という幸運なのだろう。

 ひとしきり岳沢の眺めを楽しんだ後、私たちはテントに戻り、朝食の準備を始める。凍ったパンをコンロでトーストし、マヨネーズを塗ってハムやチーズを乗せ、凍ってシャキシャキ感たっぷりのレタスを更に乗せる。ソーセージを炒め、コンソメ・スープで温まり・・・。結構豪華な朝食で私たちはみんな笑顔だ。今日はこれから山に登る訳ではないから、時間に追われることもない。テントの中でこんなにのんびりとした朝食を楽しめるとは、何とも贅沢なことである。

 時計は朝の8時を回っていた。再び外に出ると、快晴の空は一段と青みを増して、岳沢の稜線はその尾根と谷の一つ一つをくっきりと見せていた。山はご機嫌そのものだ。
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 これほど鮮やかな積雪期の穂高を実際に目の前で眺めることは、私の残りの人生の中で再びあるだろうか。奥穂南稜の頭に舞う雪煙を眺めながら、私たちはもうテンションが上がりっ放しだ。
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岳沢道へ

 リーダーのE先輩が立案された計画では、午前11時を目途にテントの撤収を開始。それまでは岳沢道を少し入ってみたりしながらこの周辺で遊ぶことになっていた。それぞれにワカンを履いたり、スノーシューを履いてみたりして小梨平を出発。9時前に河童橋に出ると、スノー・ハイクを楽しむ人々が行き交い始めていた。
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 橋を渡り、夏は治山運搬路になっている道を岳沢の懐に向かって進む。夏は緑陰の中の道で、入山ボッカの日は下をうつむいて歩くことが多いから気がつかなかったのだが、木々の葉が落ちた今は、この道の正面に穂高の吊尾根が見えていて何とも気分がいい。
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 9時15分、岳沢道の入口に到着。治山運搬路はその先も雪の上にトレイルがあって、明神池の方からクロカン・スキーの一隊がやって来るのだが、ここから分岐して岳沢の中へと入って行く岳沢道に人間が残したトレイルは何もなかった。あるのは雪の上に点々と続く小動物の足跡だけ。岳沢道は文字通りのケモノ道になっていた。
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 高校山岳部の夏合宿のベース・キャンプだった、私たちの聖地・岳沢。こんなに素晴らしい天候の下、出来るものならばこの岳沢道をどこまでも登って山に近づきたいが、今の季節にそれは叶わない。それでも、樹林の中を9番プレートの少し先あたりまで行ってみようかということになった。
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 雪の山では木の幹などに残された赤布がルートの目印になる。雪深い岳沢道に入り込んで、最初の赤布はすぐにあったのだが、それ以降は全く見つからない。深い雪に埋もれてしまったのだろうか。針葉樹林の中だから、雪が積もればどこも同じような景色だ。方角に見当をつけて登ってみたものの、GPSで現在地を確認すると、夏道を少し左に反れているらしい。といって、右を見ても正しいルートの目標になりそうなものは何もない。30分ほど格闘してみたが、結局9番プレートを見つけることも出来ず、私たちはそこで引き返すことにした。それでも、雪を踏んで岳沢の懐の中へ少しでも入り込めたことに、私たちは満足していた。聖地巡礼の目的は十分に果たせたと思っている。
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(巡礼者たち)

 河童橋の近くまで戻ってきてもう一度穂高の稜線を眺めると、天狗沢の上部に雪煙が上がるのが見えた。晴天で気温が上がり、雪崩が起きたのだろう。
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 あの天狗沢を間近に見上げる場所に、かつての高校山岳部は夏のベース・キャンプを張っていた。私たちにとっての聖地の中心点はそこなのだ。初めて訪れてから今年の夏で42年。そんなに遠い昔のことになったということが、自分でもまだ実感出来ずにいる。今日も一緒に来ている同期生のT君も、きっとそうなのではないだろうか。

下山

 小梨平のテントに戻り、撤収を開始。荷造りが終わって12時過ぎに再び河童橋に出ると、今朝早く坂巻温泉を出た山岳部の先輩方と出会った。彼らは今日は日帰りの上高地往復なのだが、絶好のお天気の下、ここまでの雪の道を大いに楽しまれたことだろう。

 先を急ぐ私たちは、昨日のバス道を下る。ひっそりとした上高地バスターミナルで、頭の上高くに聳える穂高の眺めをもう一度目に焼き付けておこう。
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 下りもいいペースで、一時間も歩けば大正池のビューポイントに出る。湖面が凍っていなければ「逆さ穂高」が見られたに違いないが、それにしても素晴らしい眺めだ。ここを去ってしまうことが、本当に惜しい。
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 14時過ぎに釜トンネルの上高地側出口に到着。少し遅れて下山してきたT君の到着を待って、釜トンネルに入る。今度は下り勾配だから、我々の歩みも速い。

 黙々と歩くうちに、トンネルの出口の光が見えてきた。考えてみれば、今回の私たちにとって、釜トンネルは俗界と巡礼の道とをつなぐトンネルでもあったのかもしれない。世代を超えて6人の高校山岳部出身者が集まり、聖地を訪ねて二日間のタイム・トラベルをした。昔のように雪を踏み、昔のようにテントの中で夜の寒さに耐え、そして昔と全く同じように穂高の稜線を見上げて心を躍らせた。そんな二日間を過ごせたことは、私たちにとって一生の宝物になることだろう。
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 今回の計画を立ち上げて下さったE先輩、そして同行いただいた諸先輩と同期のT君に、心からの感謝を捧げたい。

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