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青と緑 - 燧ヶ岳・会津駒ヶ岳(1) [山歩き]

   
 8月5日(金)の午後5時過ぎ、旧友T君が運転する車は東北自動車道の西那須野塩原ICを降り、国道400号を山に向かっていた。

 遅れていた関東甲信地方の梅雨明けを気象庁が発表したのが7月28日(木)。東北南部も翌29日に梅雨明けとなったのだが、今年は梅雨前線の北上型ではなく消滅型での梅雨明けで、宣言の後も日本の北半分では上空に寒気が残ったために天候の不安定な日が続き、特に東北地方以北では連日の大雨となっていた。

 T君と私は、当初の予定では8月3日(水)午後の出発で夏山に出かけることにしていたのを、直前になってその日程を2日後ろにずらすことに決めた。その甲斐あって、今日は関東地方にも元気な夏空が広がり、午後3時に新宿西口でT君と集合した時には都心も大変な暑さで、登山用の荷物を抱えてT君の車に乗り込んだ私は汗まみれになっていた。

 午後5時半頃、国道400号沿道のファミレスで夕食をとる。少し早めだが、ここから先の道中にはそういう場所も殆どないようなので、今のうちに済ませておこう。ついでに隣のコンビニで今夜の寝酒と明日の朝食を調達することにして、午後6時過ぎに私たちは再び車を走らせた。

 T君と目指す今年の夏山は、燧ヶ岳(ひうちがたけ、2346m)と会津駒ヶ岳(2133m)の二座である。いずれも南会津の最南端にあり、特に燧ヶ岳の場合はそのすぐ南側の尾瀬沼が福島県と群馬県の県境だ。今夜はその燧ヶ岳の北側の登山口がある国道352号の御池駐車場に車中泊の予定で、先ほど夕食をとった場所からそこまで、山の中を抜け、平家の落人伝説のある桧枝岐(ひのえまた)村を経て、まだ97kmほどを走らねばならない。
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 栃木県側から南会津へ。これから走る97kmはその大半が山の中の道である。それもそのはずで、地図を眺めてみると、那珂川、利根川、そして阿賀野川の三つの流域にまたがるルートなのだ。従って、必然的に分水嶺の山々を越えていくことになる。これから順に国道400号、121号、352号を走るのだが、日暮れの時刻とも重なって、沿道の風景はどんどんと寂しくなっていった。
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 塩原温泉郷を過ぎて、那珂川流域から利根川流域へ、栃木県の中で最初の分水嶺を長大トンネルで超える。それが1988年に竣工した全長約1.8kmの尾頭(おがしら)トンネルだ。その建設を推進した地元政治家・渡辺ミッチーの銅像が塩原側に立っているのだそうだが、私たちはそれに気づかぬまま通過してしまった。

 トンネルを出ると、ほどなく国道121号と合流。そこから先は国道400号、121号、352号が重複する区間で、道路脇には三つの国道のプレートが縦に並ぶ全国でも珍しい標識を見ることができる。地図を見ると、東武鬼怒川線と会津鉄道との間を繋ぐ野岩鉄道の線路がほぼ並行して走っているはずなのだが、夕闇の迫る中、それは車窓からは見えない。
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 やがて、短いトンネルを越えるといよいよ福島県に入る。同時にそれは、利根川流域を越えて阿賀野川の流域に入ったことを意味している。文字通り、関東と東北の境といっていいだろう。

 沿道はすっかり寂しくなった。国道といいながらもセンターラインのない箇所が多く、車の通行量は極めて少ない。そして携帯電話の電波も入らない。そんな地域にも「道の駅」があったりするのだが、この時刻にはもう店を閉じていて灯もない。なおも走り続けると、やがてT字路の上を単線鉄道のアーチ橋が横切る箇所に出た。桧枝岐へはそこを左折することになる。国道400号及び121号とはそこでお別れで、これからは352号独自のルートだ。
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(写真はGoogleのストリートビューによる)

 夜の闇はいよいよ濃くなり始めたが、道路の左側に並行する鉄道の架線がかろうじて見えている。先ほど見た野岩鉄道の続きで、この区間は会津鉄道の線路である。旧国鉄・会津線を引き継いだ三セク鉄道だ。会津若松方面から会津田島までは戦前に開通しており、今見ている会津滝ノ原(現・会津高原尾瀬口)までの区間が完成したのは昭和28年だった。

 一方、鉄建公団が進めていた野岩線(国鉄日光線・今市⇔会津線・会津滝ノ原)の建設が、国鉄再建法の施行によって凍結されたため、既に着工していた新藤原・会津滝ノ原間の建設を三セクの野岩鉄道が引き継いだのが昭和57年。この区間はJR発足の前年の昭和61年秋に会津鬼怒川線として開業し、4年後の平成2年には会津鉄道の南端が電化されて、東武鉄道からの直通列車が会津田島まで運行されるようになった。要は、大正11年の改正鉄道敷設法の別表に記載された予定線「栃木県今市ヨリ高徳ヲ経テ福島県田島ニ至ル鉄道」が、68年の歳月をかけて、東武鬼怒川線と接続する形で実現したことになる。

 なお、旧国鉄・野岩(やがん)線及び野岩鉄道というネーミングは、「下野国」(栃木県)と「岩代国」(福島県会津地方)を結ぶことに由来するのだそうである。

 さて、日はとっぷりと暮れて、国道352号に並走していた会津鉄道の築堤も見えなくなった。対向車も殆どない寂しい道を走り続け、幾つかの集落を抜けると、再びT字路に。それを左折すれば、いよいよ桧枝岐村へのラストスパートだ。
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 宵闇の中を15kmほど走ると旅館の灯の数々が現れ始める。だがそれもしばらくの間だけで再び深い闇が始まり、道路も上り坂に入った。七入(なないり)という地区で、標高が1,000mを少し超えた所だ。それからはヘアピンカーブが続き、高度をぐんぐんと上げていく。そして、その坂道をほぼ登り切る手前で左側の駐車場へと道が分かれた。450台ほどのキャパを持つ御池(みいけ)駐車場。ここが今夜の目的地だ。時刻は午後8時10分になろうとする頃だった。

 車を停めて外に出ると、頭上にはたくさんの星が出ていた。考えてみれば、一昨年の夏から今年まで、私にとっての夏山は三年連続で前夜が駐車場での車中泊だ。そして、一昨年の鳥海山も昨年の北アルプス・扇沢も、駐車場では今夜のように星空がきれいだった。これならば、明日もきっと好天に恵まれることだろう。空の青と夏山の緑が楽しみだ。

 後部座席を倒して寝る場所を作り、T君と二人で寝酒の缶ビールを開けると、程なく私たちは眠りに落ちていた。
(To be continued)


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