SSブログ

光の春 - 丹沢・大山 [山歩き]

 晴れた日に東京の都心から富士山を眺めると、その左側に連なる一群の山々が目にとまる。神奈川県の北西部に位置する丹沢の山々なのだが、その一群の左端に、ほぼ二等辺三角形のピークを持つ均整の取れた姿の山がある。それが大山(1,252m)である。
Sunset2.jpg
(2008年12月撮影)

 東京は晴れていても、丹沢・大山のあたりは曇っていることが結構多い。相模湾からの湿気を含んだ海風がこれらの山々にぶつかり、雲が湧くのだという。大山の別名は雨降山(あふりやま)である。古来、宗教登山の盛んな場所だった。山の上にある阿夫利神社は崇神天皇の時代の創建とされ、それが事実なら3世紀頃のことになる。「阿夫利」の読みは前述の雨降山と同じ「あふり」であり、農民にとっては雨乞いの神様であったそうだ。

 2月21日の日曜日、山仲間5人でこの大山に向かった。小田急線の伊勢原駅から路線バスとケーブルカーに乗ると、海抜682mの阿夫利神社駅まで上がれるので、山頂までは標高差570m。一時間半ほどの登りだ。雪の山道を歩くのは殆ど初めてというメンバーも含めて、比較的簡単にスノーハイクを楽しめるコースである。今週、関東南部では二度の降雪があったばかりだ。行けばそれなりの積雪が待っているのではないか。

 伊勢原駅からバスで大山の裾野とも言うべき台地を登っていくと、20分ほどで終点の大山ケーブルというバス停に着く。実際のケーブルカーの乗り場までは、そこから長い石段を上がり、昔ながらの土産物屋が両側に並ぶ道を15分ほど歩くことになるのだが、その佇まいはなかなかレトロである。「大山講」の時代はさぞかし賑やかだったことだろう。石段を登り詰めたところにある大山ケーブル駅から小さな車体のケーブルカーに乗ると、終点の阿夫利神社駅までは6分ほどだ。

 大山は神仏習合の山である。「崇神天皇の時代」に阿夫利神社が開かれた後、天平勝宝4年(752年)には東大寺の開山でもあった良弁僧正によって、雨降山大山寺が建立された。平安時代になって大山寺は真言宗の寺となり、弘法さんが実際に住職になったことがあるそうだ。

 高い山に神社と寺が並立し、しかも寺のご本尊がおどろおどろしい不動明王だったりすると、大抵そういう所には山伏が集まるものだ。中世以降、「大山不動」では修験道が盛んになり、武家の信仰を集めたという。だが、明治の初年の廃仏毀釈はこの山にも及び、大山寺の本堂伽藍は破壊され、神社を離れて下に降り、現在の位置になったそうだ。だから、ケーブルカーの終点の一つ手前に大山寺の駅がある。

 ケーブルカーを降りた私達は、阿夫利神社下社の社殿に向かう。二礼二拍手一礼。社殿の奥におわすのは大山津見大神(オオヤマツミ)である。イザナギとイザナミの間に様々な神々が生まれたという、いわゆる「神産み」によって登場した神々の一人である。その名は「大いなる山の神」という意味であり、酒造りの神でもあり、軍神でもあるという。私達はその大いなる山の神様に、今日一日の無事を祈る。
阿夫利神社下社.jpg
 社殿の左奥の鳥居をくぐると、いきなり急傾斜の石段を上がる。これを降りる時はちょっと怖いだろうなと思うほどの急傾斜だが、我慢してそれを登るとだいぶ高度を稼ぐことになる。その先に続く山道は鬱蒼とした杉の森の中である。よく踏まれた、歩きやすい山道を順調に上がっていくと、15分ほどして、山道に半ば凍結した雪がだいぶ残るようになった。私達は靴底に滑り止めを装着し、先を進む。
006.JPG
 杉の森は次第に落葉樹の森へと変わり、梢の間から空が見えるようになる。頭上は晴れているが、南西の相模湾の方面には盛んに雲が湧き、太陽が見え隠れするたびに雪の輝きが変化を繰り返す。あたりは雪景色だが、空は明るく、風がなく、太陽が現れた時の光は暖かい。暑がりのS君はもう既に、彼のトレードマークである半袖ポロシャツ姿になっている。だが、途中で立ち止まって一息入れている時に、雲が流れて太陽を遮ると、また肌寒さがやってくる。
008.JPG
 思えば、ちょうど二週間前の冬晴れの日に奥多摩の浅間(せんげん)尾根を歩いた時は、山はまだ冬一色だった。それが、今日の山では「沈黙の冬」と「光の春」がどこかせめぎ合っているように思えた。一昨日の金曜日は二十四節季の「雨水」。一年が二十四の小さな季節に分かれているとすれば、概ね二週間毎に次の季節がやって来ることになる。今年は一月の初旬からちょうど二週間おきに、今日を含めて四回山に来た。そのたびに小さな季節の入れ替わりを体で感じることができるのは、そして、そのことを分かち合える山の仲間がいつもいてくれるのは、何と幸せなことだろう。

 山の斜面をジグザグに登っていた山道はいつしか尾根筋を辿るようになり、順調に高度を稼いでいく。気温が下がるために雪はよく締まっており、踏みしめるとキュッキュッと小気味の良い反応が返ってくる。樹々の梢の間からは大山の山頂部分が次第に見え始める。空を流れる雲は朝より少し増えてきたようだ。歩き始めてから1時間半になろうとする頃、前方に鳥居が見えてきた。もう山頂直下である。益々深くなった雪を踏みながらもう一登りで山頂前社の社殿が現れた。私達はその少し先の、大雷神(オオイカツチ)を祀る山頂奥社前の見晴台でテーブルとベンチを確保した。

 見晴台から展望が開けているのは相模湾の方向だけである。雲が湧き、遠くはだいぶ霞んでいるが、相模湾の海岸線と江ノ島、三浦半島の西側が見えている。その他の方向は樹林の中なのだが、それにしても今日は風がない。風防も立てずに私達はガスコンロを点火し、昼食を始めた。T君は得意の冷凍鍋焼きうどんを温め、H氏はこれまた得意の「ラーメン雑炊」、暑がりのS君はさすがにヤッケを着込んで握り飯と味噌汁・・・。紅一点のO女史は、冬が旬の金柑の実を持ってきてくれた。爽やかな甘味とほのかな苦味が口の中に広がる。山に来て自然の中で味わうフルーツは格別である。食後のお茶まで入れて、今日もまた一時間近くゆっくりすることになった。

 12時半を少し回った頃、私達は大山を降り始めた。尾根道からはまだ上がってくる人々が続く。大山は比較的簡単に登れる山とはいえ、ジーンズにスニーカーのような出立ちの登山者もいて、足元が滑る下山はこれで大丈夫かと他人事ながら心配になる。

 10分ほど降りたところで、行きに上がってきた道から右へ分かれる別の尾根道をとることにする。ヤビツ峠へと向かうイタツミ尾根と呼ばれるコースだ。その先の柏木林道が途中で崩落しており、登山者は歩行禁止との表示が出ていたが、行きにすれ違ったおじさんの話では、その道はもう歩けるし、一週間前にも踏み跡があったという。イタツミ尾根の方が雪が多くて快適そうだから、おじさんの話を信じて、私達はそのコースを選んだ。
016.jpg
 想像していた通り、イタツミ尾根には豊富に雪があり、冬山の風情がしっかりと残っている。尾根沿いにゆっくりと高度を下げていくと、途中で谷を隔てて塔ノ岳(1,491m)・丹沢山(1,567m)方面の展望が開ける所があった。二週間前に見た奥多摩の雪景色とはまた違う、丹沢という山の深さを感じさせるスケールで目の前に広がる山々は、雪の中で眠っている。大山で冬と春がせめぎ合っていたとしたら、丹沢はまだ冬が優勢であったようだ。私達はその境目を歩いていることになる。
013.jpg
 快適なスノーハイクを楽しんでいると、高度が下がるにつれて雪も少なくなり、やがて私達は滑り止めも外した。雪が溶けたぬかるみを気にしながら、山頂から1時間ほどでヤビツ峠に到着。そこからは全く雪のない山道を更に進む。「登山者歩行禁止」の表示が再び出ていたが、向こうから上がってきた靴跡も残っており、行ってみることにする。

 この山道はアップダウンが極めて少なく、一定のペースで高度を下げていく、登山者にかなり配慮して作られた道だった。よく踏み固められてもいて、凹凸が少なく歩きやすい。だが、山の斜面に等高線を辿るようにして作られたために崩れやすい箇所があるようで、ところどころ谷側に石垣が組まれている。途中、上の斜面から木が根こそぎ谷底に落ちていたのを二三回見かけたが、山道そのものはしっかりとしていて、危険な箇所は一つもなかった。やがてヒノキの森を過ぎ、沢を渡ると、その先はコンクリートの細い道となり、ヤビツ峠から一時間ほどで蓑毛バス停に着いた。

 上りも下りも歩きやすく、光の春を感じながら快適なスノーハイクを楽しめた山行であった。無事に下山をさせてくれた「大いなる山の神」に感謝を捧げつつ、酒造りの神でもあるという大山津見大神に敬意を表するために、私達が新宿のいつもの居酒屋へ向かったのは言うまでもない。

コメント(0)  トラックバック(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

不器用な生き方同盟罷業 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。