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セイゴオ雨読 [読書]

 暦の上では「啓蟄」を迎えたというのに、この週末は冷たい雨が降り続いた。日本列島の南沖に長い停滞前線がある。そこで寒気と暖気がせめぎ合っており、そのこと自体は春が近付いていることの明らかな兆候なのだろうが、列島はまだ寒気の勢力下にある。

 友人達と一月初旬からちょうど二週間おきに挙行してきた日曜日の山歩きも、今回は早々に中止を決めていた。残念だが、天候ばかりは運をそれこそ天に任せる他はない。頭を切り替えて「晴耕雨読」で過ごすことにする。

 読書は好きな方だが、読みたい本を何冊かまとめ買いすると、その中の一つぐらいは机の上に積みっ放しになることがあるものだ。優先度の高いものから読み始めるのはいいが、買ったものを全部読破しないうちに、何かと用事が出来てしまったり、割り込みで目を通さなければならない読み物が出てきたり、或いは他に興味の向くものが急に現れたりするので、ついつい放置したままになってしまうのだ。

 驚くべき多読家で、博覧強記という言葉はこの人のためにあるような「セイゴオ先生」こと松岡正剛氏の著作は、洋の東西、過去と現代、古典とサブカルチャー、古美術とポップアートなどを縦横無尽に飛び回る内容であるだけに、私にとってはちょっと腰を入れて、しかも頭の中を柔らかくする体勢が取れていないとなかなか読み進めないものだ。だから、同氏の『日本という方法』(NHKブックス)も、だいぶ以前に買い求めてはあったのだが、他のことにかまけているうちにまだ手付かずにいる。この週末に「晴耕雨読」を決め込んだのを期に、再びセイゴオ・ワールドに飛び込んでみることにした。
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 「日本という方法」とはちょっと不思議な日本語だが、それは「日本人が外来の自然や文物や生活を受け入れ、それらを通して、どのような方法で独特なイメージやメッセージを掴もうとしたか」ということを説明するための用語であり、もう少し具体的には「日本的編集」という方法だという。

 「日記を書くことも、俳句を詠むことも、筆で山水をスケッチすることも、幕府のシステムをつくって役職名をあてがうことも、会社の経営も、プランニングも、今晩の献立を考えることも、サッカーやラグビーのゲーム進行も、創作ダンスも、それぞれ『編集』なのです。」

 「(中略) 編集にも時代によって人によって、メディアやツールによってその特徴が変わる。たとえば言葉や文字の情報も、漢字だけで書くか、漢字仮名交じりで書くか。屏風に描くか、版画に刷ってたくさん配るか、連歌にするか、発句だけにするかなどの編集方法の選択の仕方によって、その特徴が変わります。」

 そのように外からの情報を編集しながら二千年の歴史を紡いできた日本。その方法に着目しながら日本社会や日本文化の様相を浮き彫りにしてみようというセイゴオ先生の試みにおいて、キーワードになるのは「おもかげ」、「うつろい」、「あわせ」、「かさね」、「そろえ」、「一途で多様」といったものである。そうした切り口から万葉仮名の誕生、和漢並べ立ての文化、神仏の習合、「うつろい」と浄土教的無常観、主と客と数寄の文化などが語られていく。

 「実は、和風旅館と洋風ホテルが並立して今日の社会文化のそこかしこにあるということのルーツは、もとはといえば『唐様』と『和様』とがそれぞれ尊ばれた編集文化の再生がおこっていたからなのです。日本美術史でいえば『唐絵』があるから『大和絵』が自覚されたのです。つまり『中国』というものがあるから、それに対して『和』が成立しうると考えた。(中略) 近代の話でいえば、洋画が導入されると、それに対して『日本画』が成立してくるのです。それまでは日本画などという言葉はなかったのです。」

 「日本の『神祇令』は『祀』(唐王朝における天の神の祭祀)と『祭』(土地の神の祭祀)についてはそのままとりいれるのですが、そこに天皇の即位儀礼や大祓の儀礼を加えました。また、『亨』(死者の霊の祭祀)と『釈奠』(祖師の祭祀)については (中略) 日本各地の民俗行事の多様性に任せてしまった。それでどうなったかというと、神仏習合と一口に言っている状態がそれほどの混乱もなく、王法と仏法の関係として、および神と仏の関係として、それなりに説明がつくようになっていったのです。 (中略) このようなアワセ・カサネ・キソイ・ソロエという方法を積極的に評価したいのです。」

 セイゴオ先生は決して歴史学者ではないが、通常の歴史の読み物がどうしても政治、経済、文化を分けた書き方になっている中で、それらを(時間軸も含めて)縦横無尽に駆け巡ることによって、立体感のある歴史の捉え方に大きなヒントを与えてくれる。セイゴオ節に対して歴史学者からは色々と言いたいこともあるのだろうが、我々は頭を柔らかくし、視野を広げることを学べばそれでいいのではないだろうか。

 セイゴオ節によって浮き彫りにされる日本の歴史と文化。それは上古から中世までは非常に説得力があり、同時に日本人の柔軟性としたたかさを強く感じるのだが、近世以降になると、さすがに「おもかげ」や「うつろい」だけでは語りきれない感がある。何よりも、日本自体に自分の軸がないから、外来のものに対してその都度右顧左眄を繰り返し、初めから戦略的に対応することが出来ていない。四方を海に囲まれた島国なのに、昔から「海防」への意識に乏しく、海洋国家として積極的に海の向こうへ乗り出していくこともなかった。法律も、ある理念に基づいた制定法をまず作るということがなく、現実の後を追う形の判例法や慣習法で対応してきた。セイゴオ先生の言葉を借りれば、やはり日本は「主題の国」ではなくて「方法の国」なのだろう。だから21世紀の今もなお、技術力はあるのにビジネスの世界でグローバルなスタンダードを先に作ってしまうことは苦手にしている。

 古来、日本人は山中の磐座(いわくら)や古木に神威を感じ、時に神様が訪れる場所としてその一角を清め、注連縄を張ったのが神社の始まりだった。社(やしろ)とは屋代(屋根のある代)。つまり神様の代りになるものに屋根をあてがったものだ。代(シロ)はそういう意味だから、苗代とは田植えが出来るようになるまで苗を育てておく仮の場所なのである。外から何かが入ってきた時、それを一旦苗代で受け止め、日本の気候の中で小さく育てた上で、時期を見て田に植える。それも「日本という方法」の一つなのだろう。議会制民主主義も、株式会社制度も、M&Aのようなビジネスの手法も、直輸入ですぐ田に植えることはしなかったのだ。
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 世界中で大きく報道されたトヨタ自動車のリコール問題。米議会の公聴会に呼ばれた豊田社長は、「会社のグローバルな成長スピードが速過ぎて、現地で起きている問題に対し現地で的確に判断する体制が整っていなかった」と証言していた。だとすれば、今のトヨタですら、グローバルに展開するビジネスを本当に自分のものにするためには、苗代で咀嚼する時間がもう少し必要だったということだろうか。

 新興国の台頭により世界の多極化が進む中、ビジネスの世界では新たなグローバル・スタンダード作りをめぐる競争が始まっている。日本にとって、方法論だけでは益々厳しい時代になりそうだ。

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