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春や襲ひし - 三国山・生藤山 [山歩き]

 中央本線の藤野駅は、桂川沿いのわずかな平地に設けられた島形のホームが一本だけの、小さな駅である。ホームの最後部(高尾寄り)にある跨線橋を渡って駅舎を出ると、その先はもう下り坂で、猫の額のような駅前ロータリーに9時8分発の路線バスが待っている。

 そのバスは、我々と同じ列車でやってきた登山客でほぼ満員となり、定刻通りに駅前を発車すると、踏切を渡り、中央自動車道をトンネルでくぐって、町の北側に続く里山の中を分け入っていく。ほどなく着いた陣馬登山口のバス停でかなりの人が降り、そこから更に7~8分ほどの鎌沢入口というバス停で降りたのは、我々七人以外には若い男性が一人だけだった。残りの乗客は終点の和田から陣馬山を目指すのだろうか。
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 昨日の日曜日は彼岸の中日。今日はその振替休日である。週間天気予報を前から見ていて、今日の方が天気が良さそうだったので、山歩きのメンバーを募ったところ、総勢七人となった。いつもの中学時代の同級生達に加え、我々より一回りも若いOさんや、職場の先輩H氏のご子息R君も初参加してくれたので、今日は賑やかである。目指すは三国山(960m)・生藤山(しょうとうさん、990m)を越えて和田峠から陣馬高原下までの約12kmのコースである。

 バス停から県道をはなれ、鎌沢の集落を抜ける舗装された林道をゆっくりと登る。あたりは山の急斜面に茶畑が続き、山の佇まいと人の暮らしとが一体となった、どこか懐かしい里山の穏やかな景色が続く。車10台分ほどのスペースの駐車場を過ぎると、林道は山の斜面を直登するような急坂になり──後から考えれば今日のコースでここが一番つらい登りだったのだが──そこを我慢して登り続け、鎌沢休憩舎というベンチが用意された場所で一息入れていると、「ケキョ、ケキョ・・・」とまだ舌足らずなウグイスの声が聞こえた。お彼岸の空は澄み、陽の光はまぶしく、風がなくて穏やかな陽気である。
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 それにしても、20日(土)の夜半から始まり、昨日の夜まで吹き荒れた強風は凄まじかった。朝鮮半島から日本海を東に進む低気圧が短時間のうちに急速に発達し、そこに向かって南や西から強い風が吹き込んだのだが、21日(日)は早朝から首都圏の電車は殆どが止まり、空の欠航も相次いだ。鎌倉・鶴ヶ岡八幡宮の大イチョウの木が倒れてしまったのは10日ほど前の強風の時であったが、昨日の荒天の方が遥かに強烈だったから、いずれにしてもあのショッキングな出来事は時間の問題だったのかもしれない。

 明治の詩人・小説家の国木田独歩は、明治29年9月から翌年4月まで現在の渋谷区松涛町のあたりに住んでいたのだが、その間に書いた日記の一部を、彼の代表作となった『武蔵野』に引用している。

 「三月十三日──『夜十二時、月傾き風急に、雲わき、林鳴る。』
 同二十一日──『夜十一時。屋外の風声をきく、忽(たちま)ち遠く忽ち近し。春や襲ひし、冬や遁(のが)れし』」

 このように、昔からお彼岸の頃には春の嵐がやってきたのだろう。鎌沢休憩舎の先から始まる山道に足を踏み入れると、そこから先は青くて若々しい葉をいっぱいにつけたスギやヒノキの小枝が無数に散らばり、倒れてしまった若い木が幾つもあるなど、強風の跡が生々しく残っていた。

 だが、春の足音は嵐だけではない。スギの植林を抜けて落葉樹の梢の向こうに丹沢の山々が見えるようになると、南向きの稜線では落葉樹の芽吹きが始まろうとしていた。枝の一つ一つに、淡い色の芽がごく微かではあるが頭を出していて、それだけで木々が冬枯れの時とは明らかに違うふくらみを持って見える。このコースは桜の木も多く、つぼみがだいぶ大きくなっていた。一週間後に同じ山道を歩けば、驚くほど春が進んでいることだろう。
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 緩やかな尾根道を登っていくと、やがて甘草水という湧き水の出る場所があり、そこからは富士山が大きな姿を見せていた。その右側には三ツ峠山、そしてその右の彼方には真っ白な南アルプスの悪沢岳と赤石岳が見えて、仲間から歓声が上がる。そこから更に20分ほど歩くと、麓のバス停から短い休憩時間も含めて2時間足らずで三国山の山頂に着いた。東京都の檜原村、神奈川県の相模原市、そして山梨県の上野原市の境になる山である。登山者は思っていたよりずっと少ない。南西の方向に展望が開けたこの山頂で我々は荷物を降ろし、コンロで湯を沸かして昼食をとることにした。

 陽は高く、寒過ぎず暑過ぎず快適な天候である。展望のきく方角からは、扇山(1,138m)、権現山(1,312m)、滝子山(1,590m)、三ツ峠山(1,785m)など、昨年から今年にかけて仲間達と登った山々を眺めることができる。今年新たに登ってみたい山々の姿もある。そして天涯の富士は早くも春霞の中に姿が薄っすらとしてきた。空の様子が刻々とかわっていく様子が、またいかにも春である。暖かい食事を楽しみ、遥かな山々を眺め、そして記念撮影をして、私達は先へと進む。
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 三国山から先は、生藤山、茅丸、連行峰と、標高千メートル前後のピークの上り下りを繰り返す道になる。いずれのピークも樹林の中で展望がないので、それらをやり過ごす巻き道を選ぶことにした。(それでも、この日の最高峰になる茅丸(1,019m)にだけは敬意を表してH氏と私でピークに上がってみたのだが、やはり落葉樹に囲まれていて展望はなかった。) その代わり、巻き道は生藤山の北側を歩くことになるので、落葉樹林の彼方に奥多摩の山々を眺めることができる。夏は葉が茂って展望は全くきかないコースだが、晩秋から春先にかけては木の間越しながら遠くの展望もあり、気分のいいところだ。

 このあたりは今朝の登り始めの山道よりも標高が高いので、春の訪れはまだであったが、雪は全くなく、山道も枯葉もしっかりと乾いている。冬はこの時間になると霜が解けて山道がぬかるむものだが、今日はそれもない。思い出してみれば、ちょうど一週間前に笹子雁ヶ腹摺山に登った時は、登山口の笹子峠(1,050m)が既に深い雪の中にあった。一週間で一気に春が進んだということだろうか。

 連行峰からは和田峠に向けて山道はぐんぐんと高度を下げ、再びスギやヒノキの森の中を歩くようになる。春分を迎えただけあって、森の中に射し込む陽は午後になっても明るく、つるべ落としに森が暗くなってしまった昨年12月の大岳山とは大違いだ。ここでも昨日の強風で吹き落とされたスギの小枝が一面に散らばっており、和田峠にだいぶ近付いたあたりでは、ちょうど風の通り道になったのか、途中で折れた何本ものヒノキが無残な姿を見せていた。「生木を裂く」とはこういうことを指すのか、そのささくれだった傷跡が何とも衝撃的だ。
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 今日は下山後のバスの時刻との兼ね合いから、途中であまりのんびりできないコースであることは、予めメンバーに伝えてあった。それを皆が意識してくれたのか、下山は予定より30分ほど早く和田峠に着いた。ここからは舗装道路を陣馬高原下のバス停まで3.5キロほど歩く。下り坂が結構きつく、膝が痛くなりそうな道だ。おまけに景色が単調で、正直言って飽きてくる道である。今はまだいいが、暑い時期にはなかなかつらいものがありそうだ。香港で暮らしていた頃、山歩きのトレールが終わると、そこから下は決まってこのような舗装道路で、かんかん照りの中を街まで降りるのに閉口したことを思い出してしまった。

 結局、陣馬高原下のバス停にちょうど15時頃に到着。歩き始めからは約5時間半。昼食の1時間を除けば歩行時間は4時間半足らずである。最後の道路歩きがやや単調だが、思っていたよりも登山者が少なく、山に訪れつつある早春を体感することのできる、地味ながらいいコースだった。思えば昨年の4月29日に仲間達と三ツ峠山へ行った時、帰りの富士急行線の車窓には心を洗われるような新緑があふれていた。そんな季節まであと一月。これからは駆け足で山の春がやってくる。

 次はどこへ行こうか。新宿の居酒屋で開いた恒例の「反省会」でも、そのことが話題の中心になったのは言うまでもない。

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コメント 2

T君

 最初は「ちょっとマイナーな鎌沢入口から何で登るんだろ?」と思っていましたが、「春の初め(冬も)は南の尾根から」という大原則を踏襲したのですね!
 最初の林道には、泣かされましたが、でも、これでデッドポイントを難なく越え、無理なく暖機運転も終えられました。コース取りの計算、重ね重ね、「さすが(元)キャプテン」と、いわざるをえない!
 
by T君 (2010-03-24 03:35) 

RK

今回はスケジュール通りに行動できたものの、時間を意識し過ぎて皆さんを急かしてしまったかもしれません。(下山後のバスが1時間に1本だと思うと、どうしても乗り遅れたくなくて・・・。)
お花見の頃には、もう少しゆっくりできるプランも考えたいと思います。

by RK (2010-03-30 08:26) 

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