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知らないことの罪 [読書]

 あれは今からちょうど10年前の夏だ。私がまだ香港で単身生活をしていて、夏休みに遊びに来た家族を連れて二泊三日で台北を訪れた時のこと。蒋介石の名を付けた国際空港に到着し、入国審査を終えて私達が税務申告のカウンターに向かうと、私が差し出したパスポートを見て、係官が
「ニホンジン? あっ、家族旅行ですか? 台湾へようこそ!」
と流暢な日本語を話しながら、人懐っこい笑顔を見せた。

 私はそれまでに仕事で何度か台北を訪れたことがあったので、台湾のそうしたところはある程度経験済みではあったが、台湾が初めての家族三人は、同じ中華文化圏といっても中国本土とは全く異なる台湾の親しみやすい味わいを、この瞬間に感じ取ったようだった。

 戦前の台湾が日本の統治下にあったことから、その時代に日本語教育を受けた世代の人達は、今でも日本語が上手だ。私も仕事を通じてそうした方々に接する機会があったが、日本人である我々が恥じ入ってしまうほど、正統な美しい日本語を話す人が少なくない。戦前は彼らも「日本人」だったのである。

 しかし、日本の敗戦から65年にならんとする今、彼らは既に相当な高齢に達している。そうした世代の人々と対面し、その日本語によって紐解かれる彼らの人生、歴史の荒波、そして台湾という国の悲哀。それをそのままノートに書き取るようにして作られたのが、今日たまたま書店で手にすることになった『台湾人生』 (酒井充子 著、文芸春秋)という本である。

台湾人生.jpg

 1969年生まれの著者は、新聞記者をしていた頃に或る台湾映画を見て感動し、初めて台湾へ一人旅に出た。20世紀も間もなく終わろうとする頃だったようだ。その映画のロケ地を訪れ、帰りのバスを待っていると、地元のおじいさんが流暢な日本語で語りかけてきた。子供の頃にとてもかわいがってくれた日本人の先生がいたが、戦後は連絡が取れなくなってしまった、今でもその先生に会いたいと。バスが来るまでのほんの数分の出来事だったのだが、そのことがずっと彼女の頭から離れなくなった。「どうしてもっとゆっくり話を聞いてあげなかったのだろうか」と。おじいさんはなぜ流暢な日本語を話し、日本人の先生を今も慕っているのか。おじいさんのような台湾人がいることの背景にある近現代の歴史を、その時の著者は知らなかったのだ。

 2000年の夏、あの時の「バス停のおじいさん」にもう一度会いたい一心で、著者は台湾を再訪する。その頃には著者は新聞記者から映画制作の世界へと転身していた。同じバス停の近くで、今度は戦前の軍歌を歌う日本語世代の元気なおじいさんに出会い、この人達の語る日本語を記録に残しておかなければ、という思いを新たにする。台湾のような国があることを息子や娘にも是非知って欲しいと思い、私が家族を連れて台北を訪れていたちょうどその頃に、著者は彼女自身の構想を固めつつあったことになる。そして映画『台湾人生』が昨年公開された。本書はその映画をもとに編集されたものである。

 「日本は敗戦して台湾を放棄したんだけど、しかしそれだけ長い間付き合って、文化、生活も慣れてくると、深い情が残って忘れられませんよ。いまだれも気づかんけど、台湾の原住民が世の中のことを知るようになったのはやっぱり日本の力なんです。だから恩は恩。いまの青年たちは、どういうわけでこうなったか、だれのお世話で、どう努力して、どういう関係だったか、ということを自分で歴史を反芻しないといけない。そうしないと、今後どうするかということを考えられない。歴史を知って、自分の立場を知ったら、いかに努力するかという方向がわかりますよね。」
(1928年生まれ、台湾原住民パイワン族出身者)

 このお年寄が語る「日本の力」とは、下関条約で台湾を領有した日本が、多額の国家予算を投入して台湾のインフラ整備を行い、治安の維持、衛生の向上、そして教育の普及に力を注いだことを指しているのだろう。多くの少数部族に分かれていた台湾では、日本語教育によってともかくも言語が統一され、異なる部族の間でようやく意思の疎通がはかられるようになったという。このお年寄は一昨年に他界したのだが、最後の言葉が日本語であったため、家族は誰も理解できなかったそうだ。

 「もし日本人の若者に会ったら、わたしが日本にいた当時のことを話して聞かせます。飛行機を作って、アメリカと戦争したと言ったら、ありがとうとみんな言いますよ。ぼくたちは日本のために働いて報われることはなかったけれど恨みはありません。大和は第二の故郷です。」
(1929年生まれ、台南縣出身)

 この方は、神奈川県大和市の海軍工廠で少年工として終戦まで勤務した。そして台湾に戻ると、今度は大陸からやってきた国民党の支配の下で大変な苦労を味わうことになる。日本軍の下で働いた台湾人は、国民党からすれば非国民だったのである。

 「でもやっぱり、日本人好きなの。いろんなマナーもいろんなしきたりもお茶でもお花でも池坊でも、わたしちゃんと生けますよ。そういうマナーをわたしは二十歳までひととおり習ってきたんですから、ほんとうの日本人ですよ。
 いまの日本人の若い人よりもわたしは日本人。なんでその子を捨てたの? そして情けもないの? それがわたし一番悔しいの。台湾人のね、悔しさと懐かしさとそれから何と言いますか、もうほんとに解けない数学なんですよ。絶対解けない。」
(1926年生まれ、基隆市在住の女性)

 「捨てた」とは、敗戦後のサンフランシスコ講和条約で日本が台湾に対する全ての権利を放棄したことと、1972年に日本が中華人民共和国と国交を回復し、台湾(中華民国)との国交を断絶したことの二つを指すのだろう。因みに、サンフランシスコ講和条約に准じて1952年に日華(日中ではない)平和条約が締結されたが、日本の最高裁はそれをもって、台湾人は日本国籍を失ったとしている。

 著者が自ら告白しているように、明治の日本が台湾を領有することになって以降直近に至るまでの台湾の近現代史を、日本の学校で教わることはまずないだろう。清朝にとって「化外の地」であった台湾が日本の統治下で近代化を迎えたことも。太平洋戦争では多くの台湾人の軍人・軍属が前線に送られ、末期には台湾の各都市が米軍による爆撃を受けたことも。そして、日本人が引き揚げた後にやってきた国民党政権によって台湾人が弾圧を受け、知識階級の人々の多くが投獄・殺害された二二八事件や、それに続く38年間もの戒厳令の時代のことも。そしてその台湾自身も、国民党の独裁時代には言論の自由がなく、自国の歴史は封印されてきたのである。

 私自身にしても、読書を通じて遅まきながらそうした史実の数々を知ったのは、香港駐在時代に仕事で台湾をたびたび訪れるようになってからのことだ。だが、この『台湾人生』を読み、歴史の荒波に翻弄されてきた人々の日本語に触れてみると、台湾という土地を舞台に近代日本がしてきたこと、してこなかったことについて、今の日本人がそれを全く知らないというのは、殆ど罪悪に近いことではないかとさえ思えてしまう。それを知らずに「これからはアジアの時代」などと言ってみたところで、空疎に響くだけのことだ。

 人生の晩年に台湾を初めて訪れた作家の司馬遼太郎は、その時の体験をもとにした紀行文の中で、珍しく台湾を巡る政治問題に言及した。李登輝総統(当時)と対談するくだりで、「中国のえらい人は、台湾とは何ぞやということを根源的に世界史的に考えたこともないでしょう」というような発言をそのまま載せたために中国の強い反発を買い、日中文化交流協会の代表理事を辞任することになったのだが、そうなることを覚悟の上でこの対談録を世に出した、そしてそれほどまで台湾に魅せられた司馬遼太郎の思いと共通するものが、『台湾人生』の著者にもあったのだろうと思う。

「一九四五年に分離するまで、そこで生まれて教育をうけた台湾の人々が、濃厚に日本人だったことを、私どもは忘れかけている。」
(『台湾紀行』 司馬遼太郎 著、朝日新聞社)

台湾紀行.jpg
 
 世界における中国本土のプレゼンスが大きくなればなるほど、私にとって台湾は気がかりな存在である。

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コメント 2

T君

僕は、台湾には行ったことはないのですが,患者さんで台湾の(本人の弁では日本の経団連に相当する団体の副会長)陳さんを思い出しました
外来のたびに「先生,台湾に来て下さい」といわれ、『えっ、経団連の副会長!』と思うことしばし…
 陳さん一人で台湾の国(?)民性を推し量ってはいけないと思いつつ、「本土にあこがれる日本人」の感触(神津島から調布飛行場経由で外来受診する患者さんと同様?)を感じました
 少なくとも、韓国より日本に近いですよね
by T君 (2010-04-21 03:28) 

RK

韓国は自国の文化にプライドがあり、歴史的にも先進文化を日本に伝えたという自負がありますが、台湾は日本の統治下で近代を迎えたことと、戦後の国民党による支配がよほどひどかったこともあってか、親日的な雰囲気がありますね。(但し、近代日本の興亡によって台湾が大きく翻弄されたことは紛れもない事実で、そこは我々もきちんと認識しなければなりませんが。)

台湾を訪れてみると、街中の様子や鉄道の沿線風景のそこかしこに good old Japan が残っていることを感じます。
by RK (2010-04-21 08:56) 

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