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台湾鼎談 [自分史]

 茅場町の路地裏の小さな台湾料理屋に三人が顔を揃えたのは、木曜日の夜の7時をだいぶ過ぎた頃だった。

 その日は梅雨の中休みと言うべきか、夏の太陽が照りつける暑い一日だった。おまけに一年で最も日の長い時期だから、夜7時になっても外は薄明るく、路地裏に漂う空気はまだ昼の熱気を幾分か残している。

 日本とは不思議な国で、冬はまともに寒くなり、すっかり葉を落とした木々が北風に揺れる頃は立派に北国の風情なのだが、季節が夏に向かう頃は街中の様子がどんどん東南アジアのようになっていく。夜になり、テーブルや椅子を軒先に並べたカジュアルな酒場で人々が賑やかに飲み食いを楽しんでいる様子は、台北やバンコックの夜市(ナイト・マーケット)にどこか似た雰囲気なのだ。

 今夜はまさにそんな夜になった。三人揃ったので、ともかくも生ビールで乾杯!ツマミはもちろん、台湾では定番のシジミの紹興酒漬けである。蒸し鶏や中華ハムの類もビールのツマミにはもってこいだ。
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 それにしても、台湾を想い出しながら半年に一度はこの三人で集まるようになって、もう何年になるだろう。

 勤め先がそれぞれ異なる私たち三人が、台湾という国を舞台に仕事の関係で知り合ったのは、今世紀に入ってからのことだった。或る台湾企業が現地で行っている事業に対して、日本企業が一部出資をして合弁事業とする、その計画を実現することが私たちの仕事であった。その事業とは、どこの国にもあるインフラストラクチャーである。そして、T氏はその計画の当事者、Y氏と私はそれぞれ異なる角度からT氏の会社をサポートする立場にあった。その私は、当時まだ香港に駐在していた。

 これは一種のM&Aである。A社が行う事業の内容を精査し、その事業価値を算出し、B社が出資すべき金額をA社との間で交渉。そこで値段の折り合いがつけば、後は合弁に係る諸々の契約交渉である。この一連の仕事のキックオフとも言うべき、A社の事業内容の精査(業界用語ではデュー・ディリジェンスという)が始まる時に、私たち三人は台北で初めて顔を合わせた。一月の、台湾といえども寒い日であった。そして、数多くの書類を読み込みながらA社の事業の中身に入り込んでいく日々を通じて、私たち三人は急速に親しくなっていった。
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(空心菜の炒め物)

 M&Aというと、映画化された小説『ハゲタカ』のようなイメージが一般的にはあるのかもしれないが、案件の性格や進み方は個々に千差万別である。当事者が常に敵対的な関係にあるわけでは決してない。だがいずれにしても、会社は生身の人間の集まりであり、机の上に置かれた書類や、まして数字だけで会社の全てを語れるはずがない。やはり会社と会社の「お見合い」を通じて、お互いに相手をよく認め合えるかどうかが大きなポイントの一つなのだと私は思う。

 その点で私たちが恵まれていたのは、この事案を進めようとしていたT氏の会社と、相手側の台湾企業との間で、次第に信頼関係ができて行ったことだ。もちろん、これはあくまでもビジネスであり、その交渉自体はお互いに真剣勝負であるが、人間同士の場合もそうであるように、会社と会社の交渉も、その底流に相手に対する敬意がお互いにあれば、色々とハードルが出てきても、何とか折り合って前へ進もうとするベクトルが働くものだ。その点、この案件は日本企業と台湾企業の組み合わせであったことが幸いしたとも言えるだろう。
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(マコモダケとエビの炒め物)

 台湾は、我々にとっては「古き良き日本」の面影をそこかしこに残した国である。国の主なインフラを戦前の日本が造ったというような事情もあるが、民家の佇まいや農村の風景、鉄道の駅の様子などに、どこか懐かしい日本の姿が残っている。そして、若い世代も含めて親日的な人々の多い国だ。

 この案件がだいぶ進んだ頃、A社の事業の現場を見に行く機会があった。それは、台湾島の南西部で北回帰線が横切るところ、嘉義という都市の郊外であった。私は香港から台湾南部の高雄まで飛行機に乗り、そこから鉄道で嘉義へと向かったのだが、ちょうど10月に入った頃だったか、高雄からしばらくの間は亜熱帯の景色が続いていたのが、やがて気がつくと車窓の両側は金色の麦畑で、日本のどこかの農村のような風景が広がっていた。そしてたどりついた嘉義駅のホームは、何とも懐かしい昭和30年代の日本のような佇まい。そんな様子をY氏が
「ここは、子供の頃に鹿児島本線のどこかの駅で見たような景色だ。」
と表現していたのは、まさに言い得て妙である。

 ついでながら、私たち三人はいずれも鉄道少年として育ったクチなのである。だから、有名な阿里山鉄道が出ている嘉義で仕事ができたことは、私たちにとっては願ってもないことだった。そして私たちは、中国本土とは人も風土も全く異なる台湾に魅せられていった。

 今から思えばこの案件がピンチを迎えたことも何度かあり、契約交渉も押せ押せになって、最後の方は徹夜に近いようなこともあったが、ともかくも2002年の12月に、日台の両社は友好裏に合弁事業の契約調印に漕ぎつけることができた。当事者のメンバーに恵まれた案件だった。M&Aという手法は欧米に由来するものだが、交渉当事者のスピリットはアジア的なものであり、いわば亜魂洋才ともいうべきディールになったことが、私には嬉しかった。T氏によれば、台湾のインフラとしてその事業は今も順調で、配当も出ているというから何よりである。
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(豚の角煮をバンズに挟む「台湾バーガー」は美味)

 私はそれ以来、台湾に足を運ぶ機会はなくなったままだが、あの時にお世話になった台湾の人達のことを、今も懐かしく思い出すことがある。嘉義の事業所のトップで、日本の蕎麦が大好きだったAさん、同じくそこのベテランで大相撲のファンだったBさん(彼の贔屓は魁皇!)、台北在住でとても立派な日本語を話し、日本の政財界にも詳しかったご高齢のCさん。我々の交渉相手だった台湾企業の愛すべき人達、そしていつも的確にサポートしてくれた台北の弁護士事務所の面々・・・。皆どうしておられるだろう。

 そんなことを今夜も思い出しながら、話題はこれからの時代のことにも及んだ。地球温暖化への対策として対応が急がれるCO2の削減、スマート・グリッドの導入、そして電気自動車の時代。私たち三人はあれから仕事の持ち場が変わりつつも、台湾で一緒に取り組んだ仕事を軸にして、今も色々なことを語り合うことができる。何ともありがたいことである。

 小さなテーブルの上で日本と台湾、過去と未来を行ったり来たりしながら、沖縄の泡盛によく似た「紹興焼酎」と、大変熟成した味わいの15年物の紹興酒が一本ずつ空いた。

 台湾を語るには、路地裏の小さな店が、やはりいい。

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