SSブログ

いのちの夏 - 今倉山・二十六夜山 [山歩き]

 梅雨が明けた。

 7月14日に早々と梅雨明け宣言が出されながら、その後も雨が続いて結局いつ梅雨明けしたのかよくわからなかった昨年とは対照的に、今年はかなり明快に梅雨が明けた。17日の土曜日から、日本列島は太平洋高気圧に覆われている。

 6月6日を最後に、雨で一ヶ月半もブランクが空いてしまったが、18日は友人たちとの山歩きに出かけた。いつものT君に加え、女性陣はOさんとHさん。中学時代の同級生4人での梅雨明け山行である。卒業して38年にもなるのに、このメンバーだと何やら理科の野外学習にでも出かけているような気分になるから不思議なものだ。

 新宿から早朝の電車に揺られ、大月で富士急行線に乗り換えて都留市の駅へ。そこで接続4分の路線バスに乗り、道坂トンネルの前に降り立ったのが8時40分。今日はここから歩きはじめて今倉山(1,470m)に登り、稜線伝いに二十六夜山(1,297m)を経て「芭蕉月待ちの湯」という温泉を目指す。5月中旬にT君と二人で偵察済みのコースである。待ちに待った梅雨明けだが、我々と共にバスを降りた登山客は他に3人ほどだった。
DSCN2943.JPG

 前回訪れたのは、爽やかな五月晴れの日曜日だった。標高1,000mのこのあたりも落葉樹の新緑が始まりだしたばかりの頃だったが、それからちょうど二ヶ月を経た今はむせ返るような緑の中にある。大気もまだ梅雨の湿度をそのまま残していて、歩き始めるとすぐに汗が出る。その汗を拭き拭き明るい森の中をジグザグに登る山道をたどると、15分ほどで今倉山と御正体山(1,682m)を結ぶ稜線に出た。

 稜線に上がれば少しは風も涼しいだろうと期待していたのだが、今日は風が弱く、この標高では冷風とはいかない。呼吸を整えて今倉山の登りに取りかかる。その山道は、これまでにも増して命の氾濫であった。足元には夏草が繁茂し、地面に落ちたドングリが根付いたのか、背の丈が20センチほどの幼木が若葉を開いている。そうした多様な緑の組み合わせを眺めていると、まるで琳派の絵を見ているようだ。5月には木々の間から遠く丹沢の山々が見通せたが、今はすっかり葉が繁っていて、見えるのは頭の上の青い空だけである。その樹林の中ではセミが鳴き、汗まみれで歩く私たちの周りにはブンブンと羽虫が飛び回る。別に刺される訳ではないが、つい手で追い払ってしまう。
DSCN2950.JPG

 「四月十五日から七月十四日まで九十日間は、夏安居(げあんご)である。天竺ではこの時期、大量の雨が降る。川は増水し、道は寸断され、遊行(ゆぎょう)の生活は困難になる。また夏のこの時期は生類(しょうるい)の動きが活発で、地中からも虫などが湧きだしてくる。遊行して歩けば、知らないうちに虫などを殺生しているかもしれない。そこで出家者は一か所に集まり、修行に専念することにした。天竺の婆羅門(ばらもん)教で行われていたのを、釈尊が仏教に取りいれたものといわれる。一夏の安居は、そこに集まる僧を仏祖となすものである。」
 (『道元』 立松和平 著、小学館)

 思えば、梅雨明け後の夏山シーズンというと、休暇をとって高い山へ出かけていた。本州中部の山岳地帯でいうと、標高2,500mが森林限界で、そこから上はハイマツしか育たないのだが、もっぱらそういう山を目指していた。その場合は歩き始める登山口自体が、今日私たちが登る今倉山よりも高い所であることが多い。それだけに、夏の命が溢れんばかりの今日の山は、私にとっては新鮮な体験である。若い頃には考えたこともなかったが、仏教における夏安居というしきたりは、それはそれで理にかなったものであるように思う。

 富士急電車の車窓からすっきりとその姿を見せていた富士山は、その周囲で様々な大気がせめぎ合っているのか、文字通り雲隠れしてしまった。途中で一箇所だけ南アルプス南部の主峰が眺められた他は樹林の中。一時間ほどの登りに大汗をかいて、今倉山の山頂に到着。展望のない、相変わらずひっそりと静かな山だ。ここも二ヶ月の間に驚くほど大量の夏草が繁っている。ここから先へと続く道にはオオバコが大きな葉を広げていて、道を半分隠してしまうほどだ。我々を悩ませた羽虫はいつの間にかいなくなり、幾分涼しい風が吹くようになった。
今倉山の稜線より南ア.jpg

 ちょっとしたアップダウンを二回ほどくり返し、今倉山から40分ほどで眺めの良い赤岩に到着。360度の展望が楽しめる所だ。奥多摩から大菩薩にかけてはよく晴れていて、夏の雲が山々の上空に浮いている。道志の山々は雲一つないのに、そこから道志川の谷を隔てただけの丹沢は湧き上がる雲の中で、相変わらずの気難しさを見せている。八ヶ岳や北アルプスの方面は、太平洋高気圧に追いやられた前線に近いのか、雲の中である。我々の上空は晴れているので、日差しが強く、暑い。Oさんが冷凍して持ってきてくれたパイナップルに、皆の手が伸びる。冷たくて水分があり、酸味と甘味に包まれているのがありがたい。私たちは赤岩の上で大休止を楽しんだ。
DSCN2960.JPG
(赤岩から大菩薩方面を望む)

 赤岩を下ると、再び樹林の中である。クヌギやブナの深い緑と足元の夏草がどこまでも続く。たまに大きなキノコを見つけては歓声が上がる。時にウグイスが鳴き、セミも鳴くが、それが止むと山はひっそりとしている。ふと、一笠一杖の乞食(こつじき)行脚をした俳人・種田山頭火(1882~1940)の、あの有名な句が頭に浮かぶ。

 分け入つても分け入つても青い山

DSCN2966.JPG

 「これは旧暦四月に詠まれているから、初夏という感じなのだろうが、私にはもっと深い真夏の木立のように感じられる。あるいは遠く重なる連山もみえてくる。風が頭上の木々の枝葉を鳴らして過ぎる。分け入っても分け入っても、というのだから、何かを求めて山頭火は歩いていたのだろう。資料には『解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た』とある。 (中略)
 『青い山』とは『人間(じんかん)至る処青山あり』の『青山』だろうから、死んでもいいと思える場所のことだ。 つまり山頭火は、惑いを背負って歩き続けるのだが、今その一歩一歩が、自分を生ききっている足取りなのだと気づいたのではないだろうか。諦念が芽生えたと云ってもいい。どの一歩で終わりになってもいい。そういう足取りで歩むのだと、きっとそう思ったのだ。
 山頭火の中で、山は『はやま』でもあり、太古の如き禅の山でもあったのだろう。夏の山は賑やかなのに、静かだ。」
 (『禅語遊心』 玄侑宗久 著、筑摩書房)
 (因みに、ここで言う「はやま」とはこの世とあの世の中間、境界になる山のことだ。全国で最も多い山の名前はこの「はやま」だという。端山、葉山、麓山など表記は様々である。)

DSCN2970.JPG

 赤岩から一時間ほどで二十六夜山に到着。樹林の中なのにここだけは山頂の南北に展望が開け、風が涼しくて気分のいい所だ。雲取山をはじめ、奥多摩の山々がよく見えている。空の明るさと雲の輝き、そして緑の濃さがいかにも夏の景色である。そして、この暑さ。今日はかなり汗をかいた。あと一時間半ほど頑張って降りれば、その先は温泉だ。気を取り直して道を進む。
DSCN2975.JPG

 二十六夜山からは尾根沿いに北方向へ下り、そこからジグザグの道で山の東斜面を下り、仙人水という湧き水で喉を潤すと、あとは沢沿いの緩やかな下り道を歩いて舗装道路に出る。ほぼコースタイム通りだ。この道路を15分ほど歩けば待望の温泉なのだが、アスファルトの照り返しが強烈なこの道が暑い! だが、これもまた夏なのだ。ヒノキの林の中で鳴くヒグラシ。畑のトウモロコシ。青空に白い雲。里山の緑。汗をいっぱいかきながら、今しかない夏の風情を楽しむのも悪くはないではないか。

 「寒時は闍梨を寒殺し、熱時は闍梨を熱殺す」 (寒いときは、寒いになりきり、暑いときは、暑いになりきれ。) (『碧巌録』 第四十三則)

 とはいうものの、そこまでの境地には到底達していない私たちは、ただひたすらに冷たいビールを頭に浮かべながら、温泉へと歩いた。女性陣二人も、汗だくになるコースでちょっと気の毒だったが、よく頑張ってくれた。54歳の野外学習も、ゴールに近い。
DSCN2976.JPG

 夏は暑い。暑いから夏なのだ。

コメント(0)  トラックバック(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。