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不飲酒戒 [宗教]


 明日9月8日は、二十四節気の白露である。「野草に露が宿るころ」という意味で、暦通りならば朝早くにそんな光景が見られるのだろう。そして9月10日は富士山の初雪の平均日だが、猛暑がまだ続く今年は、いずれもまだしばらくはお預けなのだろうか。

 今朝は通勤電車の窓から、丹沢の山々を従えた富士の高嶺が久しぶりに見えていたが、東京は今日も最高気温が35度を超える猛暑日だった。近々富士に初雪が降るようなことは、ちょっと想像できそうにない。

 暑い夏が続いているが、実はこの八日の間、酒を飲んでいない。定期健診の一環で受けた大腸の内視鏡検査でポリープを少々取ってもらったため、医師の指示で今週の金曜日までアルコールはご法度になった。従って、このところ晩飯の時も飲み物はもっぱら烏龍茶である。

 思えば三十代・四十代は休肝日の少ない生活をしてきたし、その休肝日を自分なりにだいぶ増やすようになってきたこの数年も、夏の暑い頃はどうしても缶ビールに手を伸ばしてしまいがちであった。それを、よりによってこの気象観測史上最も暑い夏に一週間以上も止められるのだから、さぞかし辛いだろうと、検査を受ける前は正直憂鬱だった。

 ところが、禁酒期間が始まってみると、指折り数えて解禁日を待つといった感じではなく、これはこれで意外に淡々と日が過ぎていくのである。若い頃に比べて妙に執着心がなくなったのか、「飲みたいなぁ」と思うことも特にない。意図的に冷蔵庫に缶ビールの類を何も入れていないこともあるが、「無いなら無いで、いいではないか」と達観するようになった自分が、何だか不思議だ。

 太古の昔、果汁や蜂蜜などが自然発酵したものをたまたま飲んで酩酊し、その偶然を何とか再現しようとしたことが、人類における酒造りの始まりなのだという。その酒造り、日本列島では米から作る「どぶろく」が酒の始まりであるように思い込んでしまいがちだが、出土した縄文土器の形状から考えると、縄文人たちは果実酒を飲んでいた可能性があるそうだ。もちろんその後、大陸から稲作技術が伝わってからは、米を原料とする、より量産が可能な酒が中心になっていったのだろう。

 中国の史書『三国誌』の中の『魏書東夷伝』に、紀元4世紀になる頃の日本では、人々が葬儀の時にも酒を飲み、飲むとたちまち無礼講になる、というようなことが書かれているそうだ。いかにも我々と血のつながっていそうな、愛すべき祖先たちである。
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 さて、その日本が一つの国家を形成しようとする少し前に、大陸から仏教がやって来た。そこには、仏教徒としての自覚のもとに、やっていいことと悪いことを自分で判断し行動していく時の基準と、教団生活の中で「やってはいけないこと」と規定された色々なルールがあった。言うまでもなく、前者が「戒」であり後者が「律」である。そして、日本に伝わったいわゆる大乗仏教は、細かな規則である律よりも、仏教のより本質的な部分である戒を重んじる仏教であったようだ。

 お釈迦様によって示された仏教徒としての判断基準は、「五戒」と呼ばれる。
  1. 不殺生戒 (ふせっしょうかい) (ことさらに生き物の命を奪ってはならない)
  2. 不偸盗戒 (ふちゅうとうかい) (盗んではならない)
  3. 不邪淫戒 (ふじゃいんかい) (道ならぬ愛欲にふけってはならない)
  4. 不妄語戒 (ふもうごかい) (嘘を言ってはならない)
  5. 不飲酒戒 (ふおんじゅかい) (酒を飲んではいけない)

 上記の1から4は、その行為自体が罪であるから戒めるという「性戒(しょうかい)」であるのに対し、5は悪を引き起こす可能性が高いから戒める「遮戒(しゃかい)」として区分されている。つまり、飲酒という行為自体が悪である、或いは酒という存在そのものが悪であると言っている訳ではなく、人は元々過ちを犯すものであるのに、酒を飲むと益々過ちを犯しやすくなるから、そういう愚かなことはすべきでないという意味で酒を飲むことを戒めているのだそうだ。

 ともかくも、弥生時代の終わり頃から飲むとたちまち無礼講になっていた日本人に対して、「酒は飲まないように」と諭すお釈迦様の教えが入って来たのである。

 大乗仏教の中で釈迦本来の仏教の姿を最も良く残しているといわれる禅宗の系統の寺院では、
 「不許葷酒入山門」 (くんしゅさんもんにいるをゆるさず)
といって、酒を飲むことを強く戒めていた。酒に限らず、臭いが強く精力のつくもの(ニンニク、ネギ、ニラ等)も禁止されていたというから徹底している。いずれも修行の妨げになるという訳である。
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 ところが、
 「飲み過ぎるのは確かに問題だが、適度な量の酒であればむしろ人間関係が円滑になるのだからいいじゃないか。」
と、お釈迦様が示された原則もなし崩し的に曖昧になっていくのが、いかにも日本である。不飲酒戒は最も守られない戒の一つになった。

 「酒飲むは罪にて候か。答う。まことは飲むべくもなけれども、この世のならい。」 (法然上人)

 「法然さんはなかなか話のわかる人じゃないか」と思わずニヤリとしてしまうが、こうした、良く言えば人間の弱さに対して寛容な、悪く言えば「何でもあり」のような浄土教の系統は言うに及ばず、禅宗系の寺でもいつの間にか、
 「酒は百薬の長ともいうのだから、健康のために少量なら飲んでもいいじゃないか。」
ということになり、「般若湯(はんにゃとう=智慧の湧き出ずるお湯)」などという呼び方でクロをシロと言いくるめるようになった。何のことはない、イノシシを「山クジラ」と呼んで、これは四ツ足ではないと言って鍋にして食べたのと同じことである。現実社会では酒が人間関係の潤滑油になっている以上、「適度な量なら」という「世間の常識」が宗教上の規範をも上書きしてしまうのが、この国の姿なのだろう。

 もっとも、酒飲みに「適度な量」をわきまえていて決してそれを踏み外さない人間などいるのかどうか。「ちょっとなら」、「もうちょっとなら」が積み重なって、いつの間にか限度を越えてしまうのが人間というものではないだろうか。

 かく言う私も、来週初には仕事の上での宴席があり、不飲酒戒は早晩破らざるを得ない。それもまた「世間の常識」を踏まえてのことである。仏教は実践してこそ意味があると言われるが、お釈迦様の教えに違わず生きることは、まことに難しいと言わざるを得ない。

 もっとも、こんな堂々巡りは酒を飲まない人から見れば何とも不思議な光景なのだろう。

 「次の星には酒飲みがいた。王子さまはこの惑星にほんの少しの間しかいなかったけれど、それでも彼はとても憂鬱な気分になった。
 『ここで何をしているの?』 と、たくさんの空(から)の瓶とたくさんの酒の入った瓶を前に黙って坐っている酒飲みに向かって、王子さまは尋ねた。
 『飲んでいるんだ』 と酒飲みは暗い声で答えた。
 『なぜ飲むの?』 と王子さまは聞いた。
 『忘れるため』 と酒飲みは答える。
 『何を忘れるため?』 と王子さまは、なんだかこの男がかわいそうになってきて、尋ねた。
 『恥ずかしいことを忘れるんだ』 と酒飲みは下を向いて打ち明けた。
 『何が恥ずかしいの?』 と、できれば手を貸したいと思いながら、王子さまは重ねて聞いた。
 『酒を飲むことが!』 それだけ言うともう酒飲みはまたかたくなに沈黙の中に籠もってしまった。
 王子さまは頭が混乱したまま、その星を出た。
 大人というのは確かにとてもとても変わった人たちだ、という思いをますます深めながら、王子さまは旅を続けた。」
 (『星の王子さま』 アントワーヌ・ド・サンテクジュペリ 著、池澤夏樹 新訳、集英社文庫)

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