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「ヨンサントオ」の教訓 [鉄道]

 10月5日(火)、東京は金木犀の甘い香りに包まれている。普段は目立たない木が、一年の中でこの時期だけ輝くような存在感を見せている。今日もオフィスでは窓を開けて外の風を楽しんだ。

 つい最近まで知らなかったのだが、10月5日は「時刻表の日」なのだそうである。1894(明治27)年のこの日に、『汽車汽船旅行案内』という日本初の月刊時刻表が、庚寅新誌社という出版社によって刊行されたという。

 官営の東海道本線は既に全通。更に私鉄の山陽鉄道によって、レールはこの年の6月に新橋から広島まで延びており、その山陽鉄道は神戸と広島を結ぶ日本初の長距離急行列車をまさにこの10月に登場させていた。時あたかも日清戦争が始まっており、10月といえば黄海海戦を経て旅順の要塞が落ちていた頃だ。兵員や物資の輸送面でも、鉄道の重要性が認識されていった時代である。日本初の月刊時刻表は、今のお金の価値にしていくらぐらいで売られていたのだろう。

 インターネットが普及してからは、出版物としての時刻表を個人的には使わなくなった。出張にせよ旅行にせよ、自分はごく限られた路線を使うだけだから、全国の鉄道ダイヤを紙で持っている必要はないし、接続ダイヤの検索などもネットならいたって簡単である。料金計算もしてくれるし、切符の予約さえもその場で出来てしまう。

 それでも、書店へ行くと今でも時刻表が平積みになっている。それも随分と多様で、中にはどう見ても鉄道マニア向けとしか思えないような物もある。先日は、1968(昭和43)年10月の国鉄ダイヤ改正を反映した時刻表の復刻版というか、その内容を読み解くような出版物まで出ていたのを見て驚いた。それは、国鉄自身が「ヨンサントオ」という呼び名をつけて全国に異例のアピールを行った、「世紀の白紙大改正」として知られる列車ダイヤの改正である。私が小学校六年生の秋のことだった。
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 昭和43年といえば、東京オリンピックと大阪万国博のちょうど間の時期である。「実質国民所得を10年間で倍増させる」という政府の計画が7年間で達成されてしまったのは、その前年のことだ。経済が高度成長を続ける中、国鉄が老朽化した設備を更新し輸送力を増強することは、この国にとって喫緊の課題だった。今の新興国と事情は同じである。

 1964(昭和39)年秋の東京オリンピックの開催に合わせ、新しい「国鉄の顔」となる東海道新幹線は既に開業していた。一方で三河島事故(昭和37年)、鶴見事故(昭和38年)など、多数の死傷者を出す鉄道事故が相次いだことから、新幹線建設に加えて首都圏の在来線設備の更新や線路の複々線化、更には地方の電化や新線建設なども国鉄には強く求められていた。

 1958(昭和33)年に国鉄初の特急電車「こだま」号を登場させた第1次5ヵ年計画に続いて、1961(昭和36)年からは国鉄の第2次5ヵ年計画がスタートし、多額の設備投資が続けられる。その結果、東海道新幹線は成功裏に開業したが、皮肉なことにその年から国鉄の収支は単年度で赤字に転落し、第2次5ヵ年計画は資金不足でその年に打ち切られる。2年後には国鉄は累積赤字を抱えるようになった。(ついでながら、オリンピックの翌年にはプロ野球の国鉄スワローズがシーズン途中で身売りとなった。国鉄の赤字転落と直接・間接の関係があったのかどうか、私は知らない。大投手・金田が巨人へ行ったことだけは覚えている。)

 国鉄がそうなることは、以前から危惧されていた。戦争で破壊された設備を抱え、戦後の復員兵や引揚者の雇用の受け皿になっていた国営鉄道を引き継ぎ、独立採算制の公社として再出発したものの、国鉄の独立採算とは名ばかりだった。運賃の改定も事業計画も国会の議決を必要とする一方で、「交通インフラの整備」を名目に、巨額の設備投資を全国から要請される。そしてそのためのファイナンスは財政投融資という借金だ。要は、政治によって運賃を抑えられながら、借金をして巨額の設備投資を続けざるを得ない構造だったのである。しかも余剰人員を抱え、70年代からは大量の定年退職に伴う資金負担が出てくることが目に見えていた。

 「『国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある。』
 思いもかけぬ挨拶。『無礼なこと』の連発である。代議士たちが怒り、あきれたのも無理はない。二度、三度と、『なんだ、この爺さんは』
 それは、世間一般の受けとめ方でもあった。」
(『粗にして野だが卑ではない - 石田禮助の生涯』 城山三郎 著、文春文庫)

 三井物産に35年在籍し、78歳で財界から初めて国鉄総裁に就任した石田禮助が、この異例にして有名な就任挨拶を国会で行なったのは、1963(昭和38)年のことである。

 だが、万国博に向けて高度経済成長は続いており、輸送力の更なる増強は引続き国鉄に要請されていく。翌1965(昭和40)年からは、新たに3兆円近い借金をして設備投資を行う、今度は7ヵ年の第3次長期計画がスタートすることになった。その計画を受けた列車ダイヤの「世紀の白紙大改正」が先に述べた「ヨンサントオ」なのである。

 「ヨンサントオ」の目玉は何かというと、特急・急行の大増発と、列車のスピードアップだった。自動車、航空機との対抗上、都市間をつなぐ高速列車のネットワークを整備し、到達時間を短くすることが求められたのである。現在のように誰もが特急を使う時代がここに始まったといえるが、それを可能にしたのは、幹線の複線化であり、電化の促進であり、軌道を改良して最高速度を120km/hまで引き上げることだった。鉄道ファン的に言うと、これによって蒸気機関車が急速に姿を消していく一方で、わくわくするような新型車輌も登場した。その花形は寝台特急電車583系と特急用のキハ181系気動車だろう。
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(583系 JR西日本HPより拝借。国鉄時代はクリームと青のツートンカラー)

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(キハ181系 JR西日本HPより拝借。国鉄時代はクリームと赤のツートンカラー)

 「ヨンサントオ」によって鉄道設備の近代化が大きく進んだことは確かである。しかし、国鉄の財政状態は一段と悪化し、再び皮肉なことながら、「ヨンサントオ」が実施されたその年で第3次長期計画は打ち切りとなる。以後は人員削減や合理化、省力化による「国鉄再建」が待ったなしの課題となっていくのだが、政・官に縛られた国鉄はそれもままならない。日本鉄道建設公団は、国鉄に引き取らせる新線を作り続けた。

 「当時は、日本の経済は高度経済成長期にあり、また自動車、航空機も急速にその輸送量を伸ばしていたために、もし国鉄が十分な設備投資を行い、競争力を維持すれば、それに匹敵するような輸送量の伸びと収入増をあげることができるという仮説が一応の説得力を持ちえたわけです。これをベースにして、昭和44年を初年度とし、昭和53年までの十ヵ年の第一次再建計画が立てられていました。これは、財政投融資を貸付けるための免罪符として必要だったわけで、誰もその成功を信じていませんでした。」
(『明日のリーダーのために』 葛西敬之 著、文春新書)

 右肩上がりのマーケットを前提に、絵に描いた餅のような再建計画を免罪符に借金を続ける、それは平成バブルの崩壊後にもしょっちゅう聞かされたような話である。

 この第一次再建計画に先立って、国鉄諮問委員会は赤字ローカル線の整理を提言し、廃止すべき83路線を特定していたのだが、「日本列島改造論」を掲げた田中角栄内閣時代にそれも挫折。その後の国鉄といえば、「生産性向上運動(マル生運動)」がもたらした職場の混乱と規律の低下、度重なる運賃値上げ、「スト権奪還ストライキ」、そしてそうしたことからくる利用者の「国鉄離れ」であった。そして、病から立ち直るための処方箋が「国鉄再建」から「分割民営化」へと切替えられるのは、1980年代に入って政府の第二次臨時行政調査会(いわゆる第二臨調)での審議がオープンにされてからのことである。

 こうした経緯を紐解いてみると、「ヨンサントオ」は単なる列車ダイヤの大改正にとどまらず、色々な教訓を残しているようだ。社会インフラの整備を、誰の負担でどこまで行うのか、費用対効果をどのように見積もるのか、政・官の介入を如何にして排除するか、そしてそれを運営する事業体はどんなビジネスモデルにするのか。財政破綻が懸念されるのは、今や政府そのものなのだから。

 ところで、今年3月に休暇で北陸の富山を訪れた時、全く予期していなかったのだが、高岡駅のホームで419系という3両連結の奇妙な電車に出会った。普通列車なのに、ドアは折戸という、開く時に折りたたまれる形のもので、窓の数が妙に少ない。先頭車の運転台も、どう見ても別の車両を改造したような感じだ。だが、車内に乗ってみて事情がわかった。上段の寝台を天井側に収納した形がそのまま残っている。これは「ヨンサントオ」でデビューした寝台特急電車583系を近郊用普通車に改造したものなのだ。寝台特急のダイヤ激減と共に余剰となった583系を、こういう形で有効利用しているのだろう。
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 なりふり構わず改造してしまった「無理やり感」が車体に表れているのが、ユーモラスでもあり、どこか痛々しくもあった。

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