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古(いにしえ)の道 - 奥多摩・浅間嶺 [山歩き]

 今年も2月19日の雨水(うすい)を過ぎた。

 空から降るものが雪から雨に替わる頃で、深く積もった雪も融け始める季節だそうである。確かに、東京でも今週は雪と雨の両方を経験している。南岸低気圧が次々にやって来るようになり、冬型の気圧配置も長続きしなくなっている。

 20日の日曜日、当初は曇りの予報に傘マークがついていたが、木曜日になってその予報が好転し、「移動性高気圧が東に張り出し、全般に曇ながら晴れ間の広がる所もある」とのこと。それならばと、奥多摩へ山歩きに出かけることにしていた。

 朝8時34分、立川から乗った電車が終点の武蔵五日市に着くと、一本早い電車で来ていたTH君が駅前で待っている。これで男女計7人の山仲間が揃った。私たちの並んだバス待ちの列には、その次に到着したホリデー快速からも更に乗客が加わったので、結局1台の臨時便が追加されることになり、定刻の9時に2台のバスが出発。そこから35分ほど揺られて南秋川の檜原街道へと向かう。

 奥多摩湖を境にして奥多摩を南北二つに分けるとすると、奥多摩南部の最西端かつ最高峰は三頭山(1,531m)で、そこから北東方向と南東方向にそれぞれ尾根が走っている。前者には御前山、大岳山、御岳山、日の出山といった人気のある山々が集中している一方、後者は笹尾根と呼ばれる地味な山並みで、それをずっと辿れば生藤山・陣馬山を経て高尾の山々に至る。そしてこの二つの尾根に挟まれた地域に標高900m前後の高さで東西に横たわっているのが、今日これから歩く浅間尾根である。
Okutama (southern part).jpg
(奥多摩南部)

 上川乗(かみかわのり)のバス停に着くと、都心からずっと続いていた曇り空が少し明るくなり、薄日が差しはじめた。谷の南側を見上げると、東京都と山梨県の境目にあたる笹尾根を構成する山々がすっきりと見えていて、少なくとも雨の心配はなさそうだ。

 バス停から道路をしばらく進んだ右側に、浅間嶺(せんげんれい、903m)への登山口がある。その浅間嶺を越えて浅間尾根を歩き、数馬の温泉に降りるコースは、昨年の2月の初めにも歩いたことがあった。
http://alocaltrain.blog.so-net.ne.jp/2010-02-08
その時は歩き始めから山道にしっかりと残っていた雪が今回は全くなく、しかも二日前のかなり強い雨にもかかわらず、道はよく乾いている。極めて歩きやすいコンディションの下、私たちはさっそくスギの植林の中を登り始めた。

 前回もそう思ったが、この山道はうまく作られている。急坂にあえぐ所もなく、植林の中といっても飽きることもなく、「今日もまた、山に来た」という気分をかみしめているうちに、着実に高度を稼いでくれる。30分ほども登ると尾根に出て、後はその稜線を辿りながらゆっくり登っていけばいいのだが、今日はトップを行くM女史が快調なペースで私たちを引っ張ってくれる。

 右手側の谷の向こうで猟銃の音が二発響き、続いて猟犬の声がこだました。なおも登り続けるといつしか落葉樹が多くなり、その分だけ空が明るくなる。少しだけ雪の残った斜面をつづら折れに登ると、浅間嶺直下の東屋(あずまや)のある広場に飛び出す。そこから東側に一登りした所が展望台なので、ここだけ残っている雪を踏んで登りきると、既に何組かのパーティーが休憩を楽しんでいた。時刻は11時ちょうど。コースタイム通り1時間20分で登ってきた。今日のコースでは唯一のピークらしいピークである。
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 曇り空ながら、そこでは広い展望が待っていてくれた。北側には大岳山(1,266m)、御前山(1,405m)が大きく、その左奥には奥多摩湖の北に連なる鷹ノ巣山と雲取山が見えている。そして南西側を振り返ると、笹尾根の向こうに、雲の中に殆ど溶け込んだような富士山が頭を出していた。今日のような天気でここまで見えたのは上出来というものだろう。風がなく、この時期にしては暖かい山の上で、私たちはシートを広げる。このあたりは桜の木が多く、花の時期には更に賑わいそうである。
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(浅間嶺展望台から望む御前山)
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(雲取山と鷹ノ巣山)

 湯を沸かせて昼食だ。行程表上では30分程度を前提にしていたが、こんなに条件のいい時も少ないから、成り行きに任せて少しのんびりしてみようか。この先は浅間尾根を西方向に歩く予定だが、ショートカットで下山できる道が幾つかあるので、後で適宜判断すればいい。結局、このピークで山の気分を大いに楽しみ、一時間近くもゆっくりすることになった。持って来て皆で分けた金柑の甘味が爽やかだった。
Sengenrei 06.JPG

 東屋のある広場まで戻り、浅間尾根の縦走路に入る。尾根の北側で落葉樹の続く所には、まだ雪がしっかりと残っている。それを踏みながら、木々の枝の向こうに御前山や雲取山を眺めることができる、浅間嶺から一本杉までの1時間10分ほどは、この縦走路の白眉といってもいい、実に気分のいいスノーハイクのコースだ。尾根歩きといっても高低差が少なく、歩きやすい。だから、古来この尾根は南北秋川に住む人々にとっては物資を運ぶための重要なルートで、人馬が往来したという。
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 かつての「甲州街道」と聞いて私たちがイメージするルートは、江戸の日本橋を起点に西へ向かい、八王子から高尾、小仏峠を越えて行くものだが、それは江戸時代になってからのことで、戦国時代以前は異なるものであったそうだ。「古甲州道」と呼ばれるそのルートの起点は府中で、八王子の北方から滝山街道(現在の国道411号)を進み、秋川丘陵を越え、武蔵五日市の先で秋川を渡って現在の檜原街道に入るものだったという。そして、今は檜原村役場のある本宿で浅間尾根に入り、尾根道を西走して更に山を越え、現在の奥多摩湖の西の丹波から大菩薩峠を越えていったというから大変なものである。
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 そうした「古甲州道」の一部であった浅間尾根をめぐっては、甲斐の武田氏と相模の北条氏とがせめぎ合い、檜原街道から浅間尾根に入る本宿の小高い尾根の上には檜原城という北条氏の山城があったという。しかし、秀吉の小田原攻めの一環として北条の拠点・八王子城が攻められると、その残党が逃げ落ちた檜原城も程なく陥落したそうである。そういえば、今朝バスを降りた上川乗では武田の「四つ割菱」を掲げた家を見かけたが、当時の歴史が今もなお息づいていると言えるだろうか。

 ときに尾根の北側では融け残る雪を踏んできたが、一本杉から先は南側のトラバースが多くなり、乾いた土と落葉を踏みながら歩く。左側の展望が開ける所では、その北斜面に雪を残す笹尾根に抱かれるように、南秋川の深い谷が続いていて、いかにも奥多摩らしい眺めである。人里(へんぼり)、事貫(ことづら)、笛吹(うずひき)など、クイズ番組に出てきそうな難読な名前の集落が点在しているのも、何やら謎めいている。
Sengenrei 17.JPG

 浅間嶺の展望台にいた頃は薄日が差すほどだったのが、その太陽も雲を通してぼんやりとした輝きになり、彼方に見えている三頭山のピークにはガスがかかり始めた。天気はゆっくり下り坂に向かっているようだ。

 舗装林道を一度横切り、数馬峠で時計を見ると13時56分。当初は浅間尾根を更に西へ進んでから里へ下りる計画を作っていたが、浅間嶺で昼食をゆっくりしたこともあり、ここから下界へとショートカット・コースを取ることにした。このあたりから道標がやや明確でなくなったが、T君が先頭に立ってくれて、行先表示のない山道を谷に向かって一気に下る。元々距離は短いので里はどんどん近くなり、30分ほどで南秋川沿いの集落に出た。あとは檜原街道を1km足らず歩けば、お目当ての「数馬の湯」である。
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 かつて、人々の営みに深く係わっていた浅間尾根。それだけに、純粋に山登りのために開かれたルートとは違って、地味ながらもどこか温もりがあり、しみじみとした独特の味わいがあるこのコースが、私は好きだ。900m前後の標高ながら富士が見え、雲取山も見え、春は桜、冬はスノーハイクが楽しめる。今日同行してくれたメンバーも、きっとその良さを感じ取ってくれたことだろう。そして、こうした素晴らしい自然が東京都の中に残されているのは、何ともありがたいことだ。

 熱い湯につかり、生ビールで喉を潤した後、「数馬の湯」を15時44分に出るバスに乗ると、武蔵五日市の駅で東京行きのホリデー快速にちょうどよく接続している。今日の日の入りは17時27分。電車が三鷹を過ぎてもなお、窓の外には薄明るさが残っている。確かに日が長くなった。

 山々も、これから少しずつ春に向けて準備を始めていくことだろう。次はどこの山へ、それを見つけに行こうか。

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