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風変わりな駅 [鉄道]


 3月5日(土)、朝から快晴である。週末だが、わりと早く朝食を済ませ、8時過ぎには家を出た。

 我家からほぼ真東に向かって早足で40分ほど歩くと、台東区谷中の「だんだん坂」の上に出る。大陸からの移動性高気圧に覆われた今日は、本当に空がきれいだ。「だんだん坂」の先で道を左に折れると、東京でも数少なくなった、今でも実際に富士山が見える「富士見坂」が、少し先にある。そこまで足を運んでみると、坂の上から見下ろす都会の景色の彼方には、期待通りの姿があった。
Fujimizaka.JPG

 先週の土曜日は、西丹沢の檜洞丸(ひのきぼらまる、1601m)から富士を日がな眺めていたのだから、あれからちょうど一週間。今朝もその姿は堂々としている。

 おっと、のんびりしてはいられない。私には本来の目的があった。先ほどまで歩いてきた道に戻り、再び先を進むと、ほどなくJRの日暮里駅である。

 あらためて眺めてみると、日暮里はいささか風変わりな駅だ。駅の西側と東側では景色がまるっきり違う。

 西側は「道灌山」と呼ばれる顕著な高台で、その名の通り、かつて太田道灌が居城を構えたとされる場所だ。南北に細長い道灌山の一帯は江戸時代から続く寺が多く、徳川将軍家の墓が残る谷中霊園も隣接している。その高台の縁(へり)に沿って(高台の上から見れば崖下を)何本もの線路が北西⇔南東に走っていて、駅舎はそれらの線路の上に覆いかぶさるように作られている。

 そして反対の東側は低地で、駅舎からは階段をかなり降りることになる。駅前には商業ビルが並んでいて、西側とは対照的な「がやがや感」に満ちている。因みに、駅から東は荒川区である。江戸時代の地図を見ると、道灌山の東側は一面の農地だったようだ。
Nippori Station 01.JPG
(道灌山側から見下ろす日暮里駅)

 この道灌山の崖下に鉄道が通ったのは、明治16年7月のことである。資金難の明治新政府に代わって鉄道敷設の大役を担った当時最大の私鉄、日本鉄道によるもので、まず東北・高崎線の上野・浦和間が開通。しかしこの時点で設けられた途中駅は王子だけだった。その後、レールは順次浦和以北へ延びる一方、赤羽(明治18年3月)、川口貨物駅(同25年10月)、蕨(同26年7月)、田端(同29年4月)の各駅が開かれ、そして明治38年4月1日、あの日本海海戦の約二ヶ月前に日暮里駅が開業となった。同じ日本鉄道が建設を進めてきた常磐線との乗換駅として誕生したのである。

 それと並行して、日本鉄道は明治18年3月に品川・赤羽間の路線を開業している。従って、現存する山手線の駅を開業順に並べると、品川・上野・渋谷・新宿・目黒・目白・田端・大崎・恵比須・池袋・大塚・巣鴨、そして日暮里の順となるから、日暮里駅の開業は早い方といえる。(当時は山の手の方が人家が少なく、鉄道を建設しやすいという事情があったようだ。)

 現在の山手線の前身となる電車運転が始まったのは明治42年。京浜東北線は昭和に入ってからとなるから、田端以南では最初に開通した東北・高崎線のレールに並行して、順次線路が増えていったのだろう。昭和6年には京成電鉄の日暮里駅が開業し、そのレールは2年後にトンネルで上野の山へと入った。

 その後の東京は、山の手側で市街地の拡大が続き、鉄道の建設も下町側は相対的にニュースが少なかった。そして東北・上越新幹線の建設工事が始まると、日暮里駅の(この駅の歴史の原点であったはずの)東北・高崎線用のホーム二本が撤去され、普通列車も通過するようになった。昼間に実施されている京浜東北線の快速運転でも、日暮里は通過駅だ。常磐線や京成電鉄との乗換駅なのに、何だか奇妙なことになった。

 もっとも、ここへ来て日暮里周辺は景色が大きく変わっている。駅の東側での再開発が進み、高層ビルが建てられた。東京都の新交通システム・日暮里舎人ライナーが開業して高架の駅ができ、京成電鉄は新型スカイライナーのデビューと共に下り線を高架に移している。道灌山の方から眺めると、東京スカイツリーを背景に京成スカイライナーの新型車両が高架線を登っていく様子は、何やら近未来の景色のようだ。
Nippori Station 02.JPG

 JRの線路をまたぐ日暮里駅北口の外では、線路を見下ろす位置に人だかりが出来ている。私も含めて、お目当てはみな同じだ。カメラの位置を決めて、待つことしばし。朝の風はまだ冷たく、カメラを構える手がかじかんできた頃、遂にそのお目当てがやってきた。車体の天井までも鮮やかなエメラルドグリーンに染めた流れるようなフォームと、先頭車の長い鼻先。

 そう、本日開業の東北新幹線「はやぶさ」の、新青森を出てきた最初の列車である。
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 この列車が到着する東京駅のホームは、今頃は大変な混雑だろう。それに比べて、この日暮里の高架橋は知る人ぞ知る列車撮影の穴場なのだが、それにしても文字通り老若男女が土曜の朝からよく集まったものだ。鉄子や鉄翁だけでなく、子供をダシにやってきた「隠れ鉄」と思しき若いお父さん、そして外国人までもがカメラを構えている。(私の背中の方ではフランス語が飛び交っていた。)
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 「はやぶさ」がこれだけ注目を集めるのも、悪くないことだ。今や世界中が高速鉄道の時代。そのパイオニアとして、日本の新幹線には今後も大いなる活躍を続けていって欲しいものである。

朝の9時台は、この「はやぶさ」に前後して幾つかの上り列車がやってくる。常磐線の特急「スーパーひたち」、今や貴重な存在となったブルートレインの「北斗星」。そして日曜日の朝ならば豪華寝台特急「カシオペア」もこれに加わることになる。「撮り鉄」にとってはなかなか充実している時間帯だ。
Super Hitachi.JPG

Hokutosei.JPG

 私にとってのゴールデン・アワーはつつながく終了した。そして、せっかくだから日暮里駅東口の駅前ロータリーへ降りて、そこに立つ太田道灌の像に挨拶をしてくることにした。

 高台と低地、江戸と東京、鉄道の過去と未来。やはり日暮里はちょっと風変わりな駅である。
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