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こんな時だから [ワイン]

 高尾の駅からJR中央本線の普通列車に揺られて1時間10分。新大日影トンネルを抜けると、左の車窓に甲府盆地の眺めが広がる。

 右側は山の斜面で、右が高く左が低い地形の中を、勝沼ぶどう郷、塩山、東山梨、山梨市・・・と、盆地の縁をなぞるように大きな左カーブを描いて線路は甲府へと続いている。甲府へ行くならこんな遠回りのルートにしなくても、と思ってしまうが、これは笹子トンネルの標高が高いので、甲府から比較的まっすぐにルートを伸ばすと線路が急勾配になり過ぎるために、こういう大回りにしたのだそうである。明治の30年代に行われた中央本線の建設は、そういう苦労の連続だったのだろう。

 日曜日の朝10時36分、家内と二人で勝沼ぶどう郷駅に降り立つ。ホームに沿って続く名物の桜並木は、まだ硬いつぼみのまま。4月3日というのに、ちょっと冬に逆戻りしたような曇り空の寒い朝だ。閑散とした駅前からタクシーに乗り、葡萄畑の景色の中をいつものワイナリーへと向かう。
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 私がメール会員になっているこのワイナリーのイベントも、我家ではおなじみになった。今日は定員40人ほどのサイズで、この会社が北海道の千歳ワイナリーで醸造している、ケルナーという葡萄による白ワインとピノ・ノワールの赤ワインをテイスティングするという催しである。

 我家では家内も私もワインを楽しむことが好きだが、欧米産の高級ワインには全くもって縁がない。普段の生活、普段の食事の中で楽しんでいるのは、いつも千円未満のものである。スペインや南米産など産地は色々だが、私たちにはそれで充分だ。細かい薀蓄も知らない。だが、そんな中で唯一奮発しているのは、国産ワインを応援することだ。

 あの大震災から三週間。桜の花見でさえ「自粛」の声がかかるような空気の中で、ワインのテイスティング会などとは、と余計なことを考えてしまいがちだが、これは我家が続けてきた日本のワイナリーへの応援なのだし、地震で東京中の電車が止まり、多くの人々が「帰宅難民」を経験したために、それ以来遠出が控えられ、被災地でもないのに山梨県の観光にも影響が出ているという。こんな時だからこそ、今日はいつも通りこのイベントに出かけたかったのである。

 冒頭に三澤社長からのお話があったが、原発事故の影響が国産ワインにも既に出ているとのことだった。日本食ブームが世界に広がる中、その日本の食材に最もマッチした甲州種の葡萄による白ワイン。どうせ作るならEU基準をクリアーするものを作り、ハイエンドな世界でEU諸国と真っ向勝負していこう・・・。三澤社長の熱い意気込みで、このワイナリーは昨年から甲州ワインのEU向け輸出を始めていたのだが、その矢先に今回の原発事故が起きた。

 EU諸国ではチェルノブイリの経験がよほどのトラウマになっているのだろう。今後も放射性物質による汚染が広がる可能性のある地域として、EUは甲信地方もその範囲に含めて見ているため、震災の前と後の区別なく、今はEU向けのワインの販売は事実上不可能なのだそうだ。山梨県内では、放射性物質の量を毎日2回測定する体制がようやく整ったので、事実をきっちりと公表しながら安全性をアピールし続けて行きたいという。だとすればなおのこと、私たち日本人がそれを応援していかなければいけない。

 ところで、このワイナリーが北海道の千歳で醸造を続けてきたケルナーとピノ・ノワールによるワイン。その葡萄の栽培は余市の契約農家によって行われているそうだ。

 一般に北海道は雨が少なく、冷涼な気候のために葡萄の病気が少ない上に、収穫の時期の10月にはかなり寒くなるので、小粒で味の凝縮した葡萄になるという。ミラノやマルセイユと同緯度にある余市は、道内でも比較的温暖な気候で霜の害が少なく、それでも冬はしっかり雪が積もり、夏は雨・湿気が少なくて糖度の高い実が育つという、葡萄の栽培には最も適した土地柄だそうである。

 ピノ・ノワールから作られた珍しい赤のスパークリングワインを冒頭に、さっそくテイスティングが始まった。
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 ケルナーはドイツの代表的な白葡萄の品種で、寒冷地に向いている。爽やかな酸味が特徴で、若いワインは洋ナシや青リンゴのようなフルーティーなアロマがとても豊かだ。それが、更に3年ほど熟成させたものは、アロマがぐっとミネラル系のものになる。味わいがだいぶ複雑になって、どこかアルサス・ワインのようだ。一方、同じような時間をかけて、金属のタンクではなく樽の中で発酵させたものは味わいにしっかりとしたボリューム感が出ている。これは白身魚のムニエルのような、メインディッシュにもしっかり合わせられるものだろう。こんな風に、様々なアロマと味わいを持つワインを色々と作り分けられるところが、ケルナーの特徴でもあるようだ。(因みに、晩秋の遅摘みによって作られたドルチェも二種類がイベントの最後に紹介されたが、本当に上質の甘味が広がる、大変素晴しいデザート・ワインであった。)

 一方のピノ・ノワールは言わずと知れたブルゴーニュ地方を代表する黒葡萄だ。異なる葡萄のブレンドの妙を楽しむのがボルドーの赤だとすれば、ブルゴーニュの赤はピノ・ノワールの一本勝負。これに賭ける、というところがプロの情熱をそそるようだが、栽培・醸造ともに難しく、世界でも本家のフランス以外では米オレゴンやニュージーランドぐらいでしか作られていないという。日本でも成功例は少なく、今や北海道のこのワイナリーぐらいのものだそうである。

 会場では4種類のピノ・ノワールをテイスティングさせていただいた。まだ売りに出されるずっと以前のものとして、2010年物のバレル・サンプル、2009年物でろ過していない瓶詰め前サンプル。前者はフランボワーズやアセロラなど果実系の香りが豊かだが、後者はその香りがぐっと複雑になる。さすがに味はまだ荒削りで、どこか畑の土の匂いを含んだようでもある。それが、2008年物、更に2006年物になると、色が濃く木質の香りが加わって、だいぶ熟成感が出ている。この2008年物は既に完売。2006年物は相当なヴィンテージだったらしく、作り手としては5年後が楽しみなワインだと語っていた。
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 外国種の葡萄なのに、わざわざ日本で栽培・醸造してワインを作るなんて、という意見もあることだろう。畑の土壌(アルカリ度)、水はけ、微生物の存在が葡萄の生育を左右する三要素だと言われる。それがそもそも違うのに、同じ品質のワインが出来ることを期待すること自体が無理なのだと。しかし、それを言ったら豆腐や味噌、醤油だって、元はアジア大陸から日本に伝わってきたものだ。それが日本の風土と伝統の中で独自の進化を遂げ、今では日本の物が一つのスタンダードになっている。だとすれば、異なる条件の下で努力を重ねた結果として北海道で醸されるケルナーの白、ピノの赤を、偏見を持たず大らかに、客観的に評価してあげればいいことではないだろうか。
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 いつものことながら、醸造家のしっかりとした意気込みに元気をもらう形で、ワイナリーでの二時間が過ぎた。その余韻を楽しみながら、家内と私は市民バスを利用して町営の「ぶどうの丘」に立ち寄り、「天空の湯」にのんびりとつかって体を温めてから、勝沼の駅に向かった。

 昔はスイッチバックの駅だった勝沼。今は使われなくなった旧ホームの一画が遊歩道になっている。花が開くまでまだあと数日かかりそうな桜の木に囲まれながら、家内と私は葡萄畑の続く景色を眺めていた。
「ワインも美味しかったし、温泉も嬉しかったな。それより、パパには久しぶりにお山の見える景色があって良かったね。」

 こんな時だからこそ、たまにはこんな風にして遠出をしてみるのもいいと思った。
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