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観桜会 [自分史]

 今週は満開の桜で東京の街が華やいでいる。それまでは季節外れの寒波で開花が遅れ気味だったのが、気温が上がった今週の週中から一気に見頃となった。九段や靖国、北の丸など、いつもの場所が今年もまた春色に覆われている。そのことのありがたさをしみじみと思う。

 我家の前の桜並木では、桜が咲く頃の二週間に区が主催する「さくらまつり」が毎年行われてきた。期間中は多数のぼんぼりが吊るされて、夜の花見客のための灯りとなり、真ん中の土日にはパレードをはじめとする様々なイベントがあった。人出も多く、賑やかな春だった。

 その「さくらまつり」も、今年は東日本大震災の発生を受けて早々に中止が決まった。開催のための費用を、区が被災地への義援金に回すという。妥当な結論だろう。取り付けの準備が始まっていたぼんぼりも、電力の節約のために今年は無しになった。だから、この春の桜並木はいたってシンプルな春景色なのだが、本来はこの方がいいのではないかとも思ってしまう。
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 もっとも、上野公園のような「花見自粛」のお触書はここにはない。だから、ビニールシートや段ボール紙を敷いて花見を楽しむ人々は今年もやって来ている。酒盛りも行われている。それでも(ぼんぼりがないから夜はかなりの暗がりになってしまうこともあるが)、例年に比べればだいぶお行儀のいい花見という印象だ。それが今の日本の「空気」とでも言うべきものなのだろうか。

 東京都知事の「花見自粛」発言が波紋を呼んでいた頃、世間ではプロ野球開幕の是非が問われていた。当時は震災発生から二週間足らず。震災による被害の全容はまだ掴めておらず、原発事故も極めて深刻な事態(それは今も変わってはいないが)。寒さの中で計画停電が毎日実施されていた頃だ。そんな状況の中で「ドーム球場で行うナイトゲーム」が世の中から支持されるはずはなかった。野球評論家の豊田泰光氏は、新聞の連載コラムの中でこう述べていた。

 「プロ野球よ、焦るな。やがて『プロ野球がないと寂しいな』となる時がくる。心置きなく、とはいかないが、選手もある程度はプレーに集中できる日がくる。野球を守るため、今少し我慢しようではないか。」 (3月24日付)

 私の会社は、6月の創立記念日に毎年ちょっとした周年記念行事を行ってきた。本社で開かれるパーティーではプロの演奏家二~三人に室内楽の演奏をお願いしてきたのだが、今年は周年記念行事そのものを見送りとせざるを得なくなった。

 宮城県には我社の工場がある。内陸部なので津波とは無縁で、建物や機械設備への影響もごく限られたものとなり、何よりも従業員一同が無事で怪我一つなかったのは本当に幸いであった。しかし、停電の影響で工場の操業は丸々二週間止まり、その間も現地では食糧やガソリンの不足、繰り返す余震に悩まされ続けた。今も都市ガスが復旧していない地域があるという。従業員本人やその家族は皆無事だったとはいっても、自宅の家屋や家財に損傷を受けた人たちも多いことだろう。そうであれば、これは世間一般の「花見自粛」とは別問題で、我社自身が一つの被災企業として、やはり今は現地のためになることを最優先すべきではないか。周年記念行事については、必然的にそういう結論になった。

 この行事のために予定を空けていただいていた演奏家の方に、私がこのような事情をお伝えしたところ、先方は状況を全てお汲み取りいただいた上で、私への返信をこのように結んで下さった。
 「今回は残念でしたが、事態が落ちつき、音楽の力が必要に思える時が来ることを願っております。」

 大地震がもたらした未曾有の国難の中にあっても、スポーツや文化が人々に生きる希望を与える日は必ずやってくる。ただ、そこまでには時間が要る。そのことを、私たちは大人になって推し量っていくしかないのだろう。
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 こういう「空気」の中で、我社がこの春も例年通り行ったものがあった。それは「観桜会」と我々が呼んでいる、本社の窓から裏庭の桜を眺めながら新入社員歓迎のために開く簡単な立食パーティーである。

 今年は四人の若者が入社した。宮城県から三人、岩手県から一人。いずれもこの春地元の高校を卒業したばかりである。本社で一週間ほどの研修を受けて、来週の初めには仙台工場に配属となる。幸いにして四人ともご実家は今度の震災でも無事だそうである。

 18歳。若い、ということは本当に羨ましい。それぞれに素朴ながら純粋な明るさ、これから新たな世界に向かって歩み出していく時の目の輝きがある。本人やご家族は無事だったとしても、彼らの周囲には大きな悲しみが幾つもあったはずだが、そんな様子を表に出すこともなく、若者らしい快活な笑顔を見せてくれて、こちらの方が救われたような気持ちになった。本当の意味での日本の復興のために、震災の年に入社した彼らをしっかりと育てていく大きな責任が、私たちにはあるのだ。

 彼らと一時間ほど談笑してから、私は会社を出て池袋に向かい、高校時代の親友と二人で久しぶりに飲んだ。考えてみれば、プライベートで飲む約束をしたのは震災以来今夜が初めてである。

 「消費が急減して夜の街も閑散」などと報じられてきたが、この夜の池袋西口は賑やかだった。私たちがカウンターで杯を重ねた店も、気がつけば満席になっていて、いわゆる居酒屋の火照りは以前の頃の金曜日と何も変わらない。震災直後の超警戒モードから、私たちも少しずつ「これから」を語り始める雰囲気になってきたということだろうか。あれから二週間経って、豊田泰光氏のコラムも直近ではこんな内容になった。

 「ナイター開催の是非が問題となった今回の件でいうと、我々の世代が声をそろえて『昔はみんなデーゲームだった。あのころを思い出そう。お天道様の下でやる野球も悪くないよ』と訴えるべきだったのかもしれない。
 今年はみんな真っ黒になって野球をやればいい。今プロ野球に必要なのは、立派な球場や練習設備を好きなように使う中で身についた“ぜい肉”をそぎ落とすことだ。」 (4月7日付)

 来週の月曜日で、大震災の発生からちょうど一ヶ月。そして、その翌日からは野球が始まる。

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