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雨期と政治とマイペンライ [世界]


 記憶をたどると、あれは今から13年前のことだ。季節は9月のどこかではなかったかと思う。

 タイの南部で計画されていた或る大きな開発プロジェクトについて、契約書を作成するための交渉が連日あって、その日も夜になった。首都バンコックの南東部にあった取引先のオフィスを出て、タクシーでホテルに向かおうとした時、外はボツリボツリと雨粒が落ち始めたところだった。

 タイは6月から10月までが雨期になる。スコールと呼ばれる、南の国特有の強い俄か雨を伴うものだが、それでも前半はどちらかといえばおとなしい雨期だ。それが、後半の9月や10月になると雨の降り方が激しくなり、バンコックでもあちこちに巨大な水たまりができて、一時的にクルマが走れなくなることも珍しくない。この日も、タクシーが走り出してから程なく、雨が窓ガラスを叩き、夜空に雷鳴がとどろき始めた。

 当時のバンコックでは、スカイトレインと呼ばれる高架鉄道の建設が始まっていた。深刻な交通渋滞を解消するためのものだったが、その工事が大通りの中央部を塞いだために、皮肉にも渋滞は更に激しくなっていた。外の雷雨は強まる一方で、早くホテルに帰りたかったが、タクシーはスカイトレインの工事現場にさしかかったところで、早々と渋滞につかまった。
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 地面を掘り下げる工事が必要だったのか、道路には多数の鉄板が敷き詰められていた。私が乗ったタクシーも、前に連なる多数の車と同様に、その鉄板を踏む形で渋滞の列に並んでいた。外の雷雨はいよいよ激しくなった。

 稲妻が走るたびに夜空が一瞬だけ真昼のように明るくなる、その繰り返しがどれぐらい続いただろうか。ある瞬間、短くて大きな音と全く同時に、細くてまぶしい光の柱がタクシーの左前方1.5メートルぐらいの場所に垂直に立ち、風圧のような力で車体が僅かながら右に傾いた。ほんの一瞬のことで、外は再び夜の闇に戻ったが、私の目の網膜には、その光の柱だけが鮮やかな残像としていつまでも留まっていた。

 それは、私が乗ったタクシーが踏んでいた鉄板に落ちた雷だったのだ。こんなに至近距離で落雷を経験したのは、もちろん初めてのことで、タイ人の運転手も、何が起きたのかを理解した後は震えていた。

 ともあれ、バンコックの雨期の後半とは、こんな風だった。


 タイを襲う過去最悪の洪水のニュースが、連日大きく報道されている。工業団地の冠水は、中部のアユタヤ県だけでなくバンコック近郊でも始まっているという。チャオプラヤ川は既にバンコック中心部でも水位が上がり、観光スポットでの冠水が危惧されている。

 経済産業省の「海外事業活動基本調査」によると、2009年時点で日本企業の海外現地法人の数は世界全体で18,201社あり、その内訳は中国本土:4,502社(25%)、米国:2,663社(15%)、そしてタイ:1,387社(8%)の順である。日本企業にとって、タイは極めて重要な進出先の一つなのだ。

 とりわけ製造業の進出比率が高く、その中でも(自動車などの)輸送機械業は230社と突出している。工業団地での冠水で、今日までに日系の自動車メーカー全社が現地での生産停止を余儀なくされたようだが、それが長期化すれば、サプライ・チェーンには地球規模で大きな影響が出ることだろう。
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 過去最悪と言われるこの洪水の原因は何なのか。巷では以下のようなことが指摘されているようだ。
 ①タイに限らず、今年は東南アジア一帯で例年よりも雨量が多かった。
 ②違法なものも含めた森林伐採が進み、上流での保水能力が低下した。
 ③前年の乾期に水不足だったため、ダムの貯水量を多めにしていたところ、今年は予想外に雨が多く、あわてて複数のダムから同時に放水を始めた。
 ④ダムや運河に堆積した土砂の浚渫が行なわれておらず、貯水量や流水量が低下していた。

 これらのことが重なったというのは、確かにあるのだろう。だが、それに加えて心配なのは、起きてしまったことへの対策が、タイ国内での政争の道具になりつつあることだ。それは、既存の支配層と貧困層との間の所得格差、南北の経済格差などを背景として国民を二分する、タクシン派と反タクシン派の争いである。


 タイは、西欧列強の植民地化をまぬがれて王国の形を守り抜き、独自の文字を持ち、上座部仏教が今も深く根付いた、アジアの中でも極めて特異な歴史と文化を持つ国だ。そして、「微笑みの国」と言われるようにいつもニコニコしながら、決して外国のペースにはまらない、独特の外交術に長けた国という風に語られることが多い。

 だが私の経験からすると、タイの人々というのは、国内で何か対立が起きると、自分たちの中だけの論理がぐるぐると回るばかりで、一たびそうなると、外国からはどう見えるかなどといったことは完全にどこかへ行ってしまう、ちょっと不思議な人たちだ。そしてその過程では、「微笑みの国」と言われる割には結構過激な実力行使に及ぶことが少なくない。

 この何年かを振り返ってみてもそうだろう。’06年の軍事クーデターでタクシン首相(当時)が失脚して以来、この国ではタクシン派(赤いシャツを着た人々、主として農民・貧困層)と反タクシン派(黄色いシャツを着た人々、主として既得権益側)が衝突を繰り返してきた。しかも、抗議運動がエスカレートしてバンコック国際空港を占拠したり、ASEANサミットの会場となったホテルを占拠して国際会議を中止させてしまったり。国内の対立のために敢えて国家の対外的な威信に傷をつけてしまうような行為は、私たちにはおよそ考えられないことだ。
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 私が落雷の洗礼を受けた13年前、タクシン氏は首相の座にあったのだが、私が係わっていたタイの大型開発プロジェクトも見事なまでに政争の材料となり、結局は中止に追い込まれてしまった。プロジェクトの当事者に外国資本があろうがなかろうが、国内対立の図式の中では、それはお構いなしなのである。

 現在のインラック首相はタクシン氏の妹だが、自治体の首長や軍首脳が反タクシン派であるため、今回の洪水への対策を巡る鍔迫り合いで連携がうまくいかず、対応に遅れが出かねない状況であるという。それ以前に、そもそもこれまでの治水対策が充分でなかったのは、前述のような政争が何年も続き、まともな政策が実施されてこなかったことに大きな原因があるのだろう。

 かつて香港に駐在していた間、バンコックへは数え切れないほど出張をしたものだ。休暇の時に家族を連れてタイを訪れたことも少なくない。万事マイペースのあの感じが憎めない、いや、実に愛すべき国で、家内も子供たちもいまだに強い親近感を持ってこの国を見ている。それだけに、今回の洪水による被害の拡大を何とか食い止め、一刻も早い復旧を図って欲しいものである。
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 タイ語の中で日常最も頻繁に使われる単語の一つに、「マイペンライ」という言葉がある。「どういたしまして」という意味で使われたり、「大丈夫」、「気にしない」、「しょうがない」という意味だったり、更には「何とかなるさ」というニュアンスを込めたり、かなり幅の広い使われ方をするようだ。タイ人のメンタリティーを象徴するような言葉といえようか。

 その独特のフィーリングには、私たち日本人にもどこか通じるものがあって、思わずニヤリとしてしまうが、今はこういう時代。「マイペンライ」にも21世紀なりのスピード感を持たせた方が良さそうだ。

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コメント 2

T君

雷は山屋の我々にとってはいやなものです
昔在籍していた埼玉大学の北川先生という雷の権威がいました
雑誌の岳人にも記事があります
車の中に北川先生が座っていて、屋根に雷が落ちている写真があります
車はタイヤという絶縁物があるにもかかわらず、雷は落ちるのですが、中に乗っている人は安全だということです

貴君が言いたいこととは違うことに突っ込んでみました
by T君 (2011-10-20 00:12) 

RK

クルマに直接落雷した訳ではなかったのですが、鉄板に落ちた瞬間は火花がパチパチと上がっていました。

契約書の交渉が長引いていたので、"Hurry up!"という神様のメッセージなのかと、その時は思いました。(でも、タイは仏様の国か。)
by RK (2011-10-20 08:21) 

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