SSブログ

草も木も仏 - 山梨・小倉山 [山歩き]


 彼岸を過ぎて、さすがに夜明けが早くなった。朝の5時半に家を出ても、外はもうすっかり明るい。今日は久しぶりに朝から快晴の日曜日。足取りも軽く駅へと向かう。

 三月に入ってからというもの、週末は雨ばかりだった。前回山行から五週間ぶりの山。四日前の水曜日の夜に山仲間のT君から急遽声がかかり、そんなショート・ノーティスでも7人のメンバーが今日集まることになったのは、皆それぞれに山への飢餓感があったからだろうか。

 新宿駅を7時に出た特急「スーパーあずさ1号」の車窓から、西の彼方に富士の高嶺が見えている。空は真っ青だが、頂上だけが薄い雲の中にあり、風の強さが窺い知れた。そして、大月で乗り換えの普通列車を20分ほど待つ間、真っ青だった空が見る見る雲に覆われ、遠くの山々が霞み始める。そして、定刻通りに出発した小淵沢行きの普通列車が笹子の駅に着く頃、外では雪が舞い始めていた。天気図は冬型だから、天気が崩れるようなパターンではないはずなのだが、こんなに雲が出ているのは強い寒気が入り込んだということか。

 8時44分に列車は塩山駅に到着。笹子トンネルを越えた甲府盆地側はさすがに雪ということはないが、青空は半分以下で、風が冷たい。駅前からタクシーに分乗して玉宮ざぜん草公園へ。今日はそこから小倉山(955m)に上がり、反時計回りに稜線を歩いてあたりを一周してくる予定である。歩程は多めに見ても3時間。前回山行から1ヶ月のブランクがあり、いつまでも続く寒さに運動不足気味だった私たちには、今回はそれぐらいがちょうどいいのかもしれない。
ogurayama 01.jpg

 駅から10分ほどで玉宮ざぜん草公園へ着いてみると、バスを仕立てた登山客のグループが幾つも到着していて、大変な賑わいだ。それもかなり年配の人たちが多い。皆のお目当ては、例年より遅く今頃になって花の時期を迎えたザゼンソウの群生である。

 タクシーを降りた地点から道標に従って舗装道をしばらく進むと、早くもザゼンソウ群生地の入口だ。小倉山の北斜面の緩やかな沢の下部が、沢の水と森の日陰でちょっとした湿地になっていて、そこにしっかりとした遊歩道が作られ、あちこちに姿を現したザゼンソウをたっぷりと観賞することができる。大勢の登山客が列をなして、さながら尾瀬のミニチュア版のようだが、これほど多くのザゼンソウを見られるのであれば、人気が集まるのも当然のことだろう。
ogurayama 02.JPG

 ザゼンソウはサトイモの仲間だという。黒紫色の部分が苞(ほう)、その中の丸くて粒々のある部分が花、それとは別の緑色の部分が葉である。雪解けの頃に地面の下から姿を現す苞と花を、黒頭巾を被ったお坊さんが座禅を組む姿に見立てたというのは、昔の人もいいセンスをしている。そのザゼンソウは花が咲く時に発熱するので、周囲の雪を融かして姿を現すのだそうだ。そんな様子を実際に自分の目で見てみれば、草木にも仏性があると、そう信じずにはいられないかもしれない。
ogurayama 03.JPG

 草木国土 悉皆成仏 有情無情 皆倶成仏道 

 「天台本覚思想」を代表する言葉である。

 もともと大乗仏教には「一切衆生 悉有仏性」 (生きとし生けるものは悉く仏になる性質を持っている)という考え方があった。だがその場合、「生きとし行けるもの」すなわち「有情」とは動物までで、感覚を持たない植物はインドでは「衆生」の対象外だったようだ。それが中国の天台宗で、草木という「無情」のものにも仏性を認めるようになり、更にそれが日本に来て「草木国土」にまでなったという。そのあたり、最澄の日本天台宗は密教化していく中で日本古来の信仰と習合していったのだろう。山の頂や沢の流れ、大きな岩などに神様が宿る、というのは遥かな過去から受け継がれてきた日本人の感性なのだから。
ogurayama 04.JPG

 私たちの普段の歩き方からすれば、ずいぶんゆっくりとザゼンソウを楽しんだ。文字通りの道草というべきか。何しろ今日は余裕含みの行程なのだ。

 ザゼンソウの群生地を過ぎると明るい森になり、広くて見晴らしの良い沢を緩やかに登っていく。程なく分岐に出て、そこから尾根伝いに南西方向に少し登れば、下界からは実働30分ほどで小倉山の山頂である。
ogurayama 05.JPG
(小倉山への登り)

 山頂には展望台が設けられ、南側に甲府盆地の展望が開けている。富士山や南アルプスなどの高い山々はあいにく雲の中だ。北西の乾徳山や国師岳方面だけはよく晴れていて、標高の高い山々も姿を見せているようだが、残念ながら手前の木々に展望を遮られていた。

 後から大勢の年配のパーティーが上がってきたので、私たちは早々に山頂を出発。尾根伝いの山道を先ほどの分岐まで戻り、更にその先へと続く尾根道を辿る。996mピークまで標高差100mほどの登り返しが、この日唯一の登りらしい登りだ。その途中、左側の展望が開ける時だけ姿を見せる小楢山(1713m)と乾徳山(2031m)の連なりに心がひかれる。一方、右側には木々の枝の向こうに小金沢連嶺がゆったりと横たわり、最高峰の大菩薩嶺が意外なほど近くに、その重厚で物静かな姿を見せている。
ogurayama 06.JPG
(小楢山(左)と乾徳山(右))
ogurayama 07.JPG
(大菩薩嶺)

 3月の最終週ともなると、雲間から姿さえ見せれば太陽の光は明るく、そして力強い。だから、風を避けられる所では陽だまりがとても暖かく、体も汗ばんでくる。樹林の中の996mピークを過ぎて尾根沿いに下り続けると、舗装林道を右下に見下ろす所で遥かな富士の展望があった。山頂を覆う雲がなければ、今日のコース中最大のビュー・ポイントだったかもしれない。
ogurayama 08.JPG

 そこから軽く登り返すあたりまでは暖かい陽だまりが続いていたのだが、私たちが昼食を予定していた上条峠へ向けて下り始めると、俄かに西風が強くなった。小倉山から1時間足らずで上条峠の手前の東屋に到着。そこは昼食の鍋を用意するには格好なのだが、運悪く風の通り道のような場所だ。各自が背負ってきたザックを並べて風除けを作り、コンロで炊事。鶏ちゃんこ鍋にうどんを加え、アツアツの食事で暖を取るのだが、その間も冷たい風が吹きまくり、箸を持つ手は感覚を失っていく。光は春だが、山はまだ冬の装いを完全には解いていない。そんなことを改めて感じさせられる一時だった。

 上条峠からは当初の予定と少し異なり、多少遠回りにはなるが舗装林道をそのまま下山。大きく反時計回りで、今朝タクシーで上がってきた県道に出た。そのまま道なりに下って行けば、再び玉宮ざぜん草公園の入口へと戻る。春先は、山から下りてきた後の里の様子もなかなかいいものである。
ogurayama 09.JPG

 仲間の一人が農家の庭先にフキノトウを見つけた。日陰の湿地にひっそりと咲いていたザゼンソウとは対照的に、フキノトウは日当たりのいい場所で午後の光を体いっぱいに浴びている。仏の悟りを開いていたのかどうか、私にはわからなかったが、その小さな姿に出会えたことが、なぜか嬉しかった。
ogurayama 10.JPG

 草木国土 悉皆成仏

 今週はいよいよ、桜が咲くだろうか。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

二ヶ月と二日聖なる金曜日 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。