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40年前の宝物 - 茅ヶ岳・金ヶ岳 [山歩き]


 日曜日の朝8時37分、新宿から乗ったスーパーあずさ1号が、定刻に韮崎駅に着いた。

 今日は願ってもない快晴。ホームの右の遥かな彼方に、白銀の八ヶ岳が聳えている。桜の咲く駅前ロータリーに下りた私たちは早速タクシーに乗り込んで、茅ヶ岳の登山口がある深田公園を目指した。
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 今日は旧友のT君と二人だ。同年代の山仲間たちとどこかへ行こうという話をしていたのだが、結果的に他の仲間は都合がつかず、T君と私の二人だけになった。それならば、皆に声をかけていたプランにこだわることもない。
 「久しぶりに、茅ヶ岳にしようか。」
 「それじゃ、7時のスーパーあずさで。」
ごく短い会話で今日の目的地を決めたのは昨夜のことだった。

 韮崎の駅からは15分ほどで深田公園の駐車場に到着。靴紐を確認して、私たちは9時ちょうどに山道を歩き始めた。落葉樹の明るい林の中を行く、緩い登り道。霜柱がまだしっかりと残っているから、あたりの気温はまだ氷点下なのだろう。葉が落ちたままの木々と真っ青な空だけを見ていると、まだ冬の山とあまり変わりはない。そうなのだが、冬と明らかに違うのは、太陽の光が眩しくて格段に力強いことだ。
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 冬の空と春の光を組み合わせたような、ちょっと不思議な時空の中を歩く楽しさ。先頭を行くT君が最初からかなりいいペースでリードしてくれたので、登山口から50分足らずで女岩に着いた。

 以前は湧き水があったはずだが、沢の崩壊が進んだのか、そこまで入り込まないようにテープが張られた女岩。そこで一息入れた後、岩まじりの急登に取りかかる。それをやり過ごすと、今度はくるぶしまで埋まるほど落葉の吹き溜まりになった山道。明るい森の中を、なおも急な登りが続く。空はいよいよ青く、光はいよいよ眩しい。
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 T君と私は、前日にも会っていた。高校時代の山岳部のOB有志の間で集まりがあったのだ。私たちの6年上の先輩だったが3年前に病気で亡くなられたIさんのお墓参りに16人ほどが集まり、それから簡単に花見をした後、居酒屋に場所を移して賑やかに飲んだ。T君と私よりちょうど一回り上の先輩を筆頭に、最年少の私たちまで、長い伝統を持つ高校山岳部のカルチャーを共有してきたメンバーである。

 居酒屋の火照りの中で、昨夜はいつまでも話が尽きなかった。昔のことも、今のことも。先輩たちとそんな風にして山の話を沢山したせいだろう。帰り際にT君と今日のコースを決める時に、茅ヶ岳の名前が彼から挙がった。日帰り登山であるにせよ、コースに相応の手応えと山々の素晴らしい展望を、きっと無意識のうちに私たち二人は求めていたのだ。

 山の南斜面をひたすら登り続けてきた道が右へ折れるようになると、程なく東側の展望の良い尾根に出る。そのすぐ上には『日本百名山』の著者・深田久弥の「終焉の地」の石碑があり、その後方には雪を抱いた金峰山がどっしりとした姿を見せている。ここからは痩せた岩まじりの稜線をよじ登るようにして進み、茅ヶ岳の山頂までは20分ほどだ。
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 10時55分、茅ヶ岳の山頂に到着。地面はぬかるんでおり、岩伝いに歩いて撮影スポットを探す。空はこれ以上望みようのない快晴。そして風はほとんどなく、じっとしていてもウインド・ブレーカーなど要らないほどだ。

 私が茅ヶ岳に来たのは今日で4回目なのだが、これほどの素晴らしい展望は見たことがない。ここでの主役は、何と行っても甲斐駒ケ岳や鳳凰三山など、壁のようにずらりと並んだ南アルプスの眺め。とりわけ甲斐駒はその特異な形が目を惹き、360度ぐるりと展望を楽しんだ後も、私の視点はやはり甲斐駒に戻ってしまう。その左に続く鳳凰三山の地蔵岳の頂上には、ポツンとしたオベリスクが見えている。
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(甲斐駒ケ岳と早川尾根)
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(鳳凰三山)

 この時刻、甲府盆地ではだいぶ気温が上がってきたのか、その後ろに位置する南アルプス南部の山々は少し霞んでいるが、この季節にここまで見えれば上出来だろう。上河内岳の姿が意外に尖っている。
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(南アルプス南部)

 そして、今日の最終目的地である金ヶ岳(1764m)の左後方には八ヶ岳の勇姿がくっきりと迫る。駅から乗ったタクシーの運転手さんが、「この時期に赤岳があんなに真っ白なのも珍しいですよ。」と話していたが、確かにたっぷりと雪が残っている。先週の火曜日に「春の嵐」が吹き荒れた時、こうした高い山では雪だったのだろうか。
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(金ヶ岳の左後方に八ヶ岳)

 八ヶ岳から更に左に目を転じると、空の彼方に見えているのは北アルプスだ。穂高・槍、そして常念岳、大天井岳へと連なる稜線が、八ヶ岳にも増して真っ白である。
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(北アルプスの槍・穂高の稜線)

 その他にも金峰山や浅間山まで姿を見せていて、茅ヶ岳の山頂は展望台そのものだった。東京を出る時は雲に隠れていた富士山もこの時にはその全容を見せていたが、いつもと違ってここでは脇役である。

 山々の豪華な眺めを楽しんでいるうちに、後続のやや大人数のパーティーが上がってきた。私たちは出発しよう。

 茅ヶ岳の山頂から北方向に一旦下る。日陰でまだ雪の残る箇所もあった。痩せ気味の尾根を鞍部まで下り、再び登り返すと、間もなく石門を通過。そこから先は岩が多くちょっと面白い登りで、左手に南アルプスが見え隠れしている。やがて展望のない金ヶ岳南峰を越え、凍った山道を少し下ると最後の登りだ。標高1764mの金ヶ岳に着いたのはちょうど正午だった。
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(石門)
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 日当たりの良い山頂。昼寝でもしたくなるほど、暖かくて風がない。甲斐駒がここではいよいよ真正面に聳えていて、その西に連なる鋸尾根が実に立派だ。正午になっても南アルプスが雲ひとつなく完璧に見えている、今日のような天気は年に何度もないのではなかろうか。
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(甲斐駒と鋸尾根)

 コンロで昼食を温めながら、ふと思った。

 今日ここから眺めているのは、高校時代に合宿で訪れた山々だ。夏の穂高、秋の槍、冬の八ヶ岳、そして残雪期の南アルプス。昨夜集まった16人の歴代のメンバーも、そうした山域を舞台にそれぞれ先輩たちに鍛えられ、自分がOBになれば後輩たちの面倒を見てきた面々である。重いテントを担ぎ、辛いことばかりの合宿だったが、若い頃にそれを経験したことや、そういう苦労をしてやってきた私たちに山々が見せてくれた四季折々の表情は、今思えば人生の宝物のようなものだ。それは、これからも大切にしていかなければならない。

 茅ヶ岳よりも更に狭い金ヶ岳の山頂に、再び他のパーティーが続々と上がってきた。場所を空けてあげた方がいいだろう、私たちはそそくさと荷物をまとめて金ヶ岳を出ることにした。

 ここからは南西方向に明野町へ下る尾根道だ。金ヶ岳の直下が、痩せていて高度感のあるわくわくするような下りで、最初は左側の見晴らしが良い。今日歩いてきた茅ヶ岳から金ヶ岳南峰までのルートがよく見え、彼方には富士山が浮かんでいる。
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(茅ヶ岳の後方に富士山)

 やがて小さな岩峰を越えて下りていく所で、急に右側の展望が開けるポイントが二箇所だけやってくる。そこからの八ヶ岳の眺めが、今日のクライマックスと言えるだろう。特に権現岳から阿弥陀岳、赤岳、横岳と続く八ヶ岳の核心部分は、まさに天を突くかのようだ。
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(八ヶ岳の全容)
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(核心部)
 
 尾根を下る。今度は私がトップで、T君に言わせると結構速いペースだったそうだ。考えてみれば、山道を素早く、しかも無理なく下る技術もかつて先輩方から叩き込まれたことの一つだから、私たちはいまだにその恩恵を受けているのかもしれない。

 金ヶ岳の山頂から一時間ほどで林道に出た。それをトボトボと下れば東大の宇宙線研究所まで一本道だ。山の上から眺めると壁のように聳えていた鳳凰三山は、ここでは里の景色の中に溶け込んでいて、何とも穏やかな表情である。
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 昨日お墓参りをさせていただいたIさんは、私たちが直接お世話になった先輩の一人だった。冬合宿の八ヶ岳で、私のピッケルの構え方がなってなくて怒鳴られたのも、今となっては懐かしい思い出の一つである。そのIさんにはもう会えないが、私たちに出来るご恩返しが何か一つあるとすれば、それは私たちがこの歳になっても元気に山へ出かけることだろう。

 地蔵岳のオベリスクをもう一度見上げた時、言葉は厳しかったけれどハートの中は温かかったI先輩のシャイな笑顔が、心の中に甦った。

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コメント 4

T君

素晴らしい天気でしたね。やはり持つべきものは「晴れ男」
絶景はいつも見られるものではないことを改めて痛切に感じました
写真だけでは伝えられない!
天気さえよければ、毎週でも行きたいコースですね
by T君 (2012-04-10 01:01) 

T君

この記事カテゴリ「山歩き」になってる?
by T君 (2012-04-10 01:10) 

RK

ご指摘ありがとうございます。

カテゴリーを入れました。
by RK (2012-04-10 08:27) 

RK

確かに、写真というのは見えているものの一部を切り取っただけで、景色の素晴らしさや感動の全てを伝えられるものではないですね。

一方で、禅では「不立文字」、「教化別伝」などと言うように、言葉もまたオールマイティーではない訳で・・・。

だとすると、何でブログなんかやってるんだろう?
by RK (2012-04-10 08:33) 

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