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国の旗 [世界]

 先週から、厳しい暑さが続いている。気温が37度を超えたとか、全ての都道府県で熱中症にかかった人が搬送されたとか、連日そんなニュースばかりである。

 これで悲鳴を上げる訳にはいかず、日本では例年これからが暑さも本番を迎えるのだが、英国では7月のウィンブルドンのテニス大会が終わると何だか夏も過ぎたようになって、曇や雨で肌寒いぐらいの天候になることが多い。先週末に行なわれたロンドン五輪の開会式でも、英国特有のどんよりとした曇り空が映し出されていた。

 早くも連日熱戦のオリンピック。私は夜帰宅してから多少テレビを見る程度だが、それでも色々な競技において競争の度合いが従来にも増して激しくなっていることを感じざるを得ない。「スポーツに国境はない」とよく言われるが、長らく特定の国のお家芸だった競技種目がいつの間にか国際化して、実に多彩な国々を代表するプレイヤーたちが激しく競い合っている。そのために競技のルールも変わってきて、例えば私たちの知る伝統的な柔道とオリンピックの”JUDO”は、互いに似て非なるものではないかとも思ってしまうが、国際化とはある意味そういうものなのだろう。
London Olympic Games 2.jpg

 そのようにスポーツがボーダーレスになっていく中、依然として残るのが「国」そのものである。

 ヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に動く時代と言われながらも、ヒトはモノやカネほど機敏には動けない。大多数の人々にとっては、日々の営みをそんなに簡単に変えることが出来ないからだ。そして、その日々の営みを安定的なものにしていくために、或いは我が身を守るためにどうしても必要なもの、だからこそ皆で資金を負担し合って支えていかなければならないもの、そればかりでなく、父祖の時代からの民族の歴史と伝統を総体として受け継いでいるもの、それが国である。人は自分一人では生きて行けないのだから、無国籍のコスモポリタンなどというのは、土台あり得ないことなのだ。

 オリンピックのような国際大会の機会に私たちは、自国の選手を応援し国旗を振ることで、普段は忘れている「自分たちの国」というものを強く意識することになる。そのこと自体は、偏狭なナショナリズムとは別物の筈だ。むしろ人間として当たり前の感情と言ってもいいだろう。とりわけ国旗はシンボリックな存在である。

 3年前の夏、一家四人でトルコを旅する機会に恵まれた。家族にとっては未知の国で、見るもの食べるものに好奇心を刺激され続けた、実に思い出深い8日間になったのだが、その中でも特に強く印象に残るものがあった。それは、国の中のいたる所に掲げられたトルコの国旗であった。

 街中の主だった建物の屋上や、公共の広場、観光スポット、そして鉄道の駅などに翻る、赤地に白の三日月と星のマーク。シンプルなデザインながらインパクトの強いこの国旗は、夏の青空に実によく映える。そんな様子を見ながら、息子がふと呟いた。
 「こんな風にどこへ行っても自国の国旗が堂々と掲げられてるって、羨ましいよなあ。」
Turkish national flag.JPG
(イスタンブールの街中)

 赤地に白の三日月と星というデザインの出自については、トルコの中でも諸説あるそうだ。オスマン・トルコやビサンティン帝国の時代に遡るようだが、いずれにしても現在の国旗の規格が定められたのは1936年のことだそうである。

 現在のトルコ共和国のアジア部分が位置するアナトリア半島というのは、有史以来実に様々な民族が往来した土地で、この国の考古学博物館へ行くと、そのことを改めて認識させられる。初めて鉄器を使用したヒッタイト、ヘレニズム文化を持ち込んだアレクサンドロスの大遠征、中央アジアからやって来た騎馬民族・・・。これらの民族がこの土地に残した幾多のものを博物館で眺めていると、それぞれに全く異なる文化であること、しかしながらそうした異文化の往来の積み重ねが紛れもなくこの国の歴史なのだということに気づくのである。

 そう思って街中の様子を眺めると、トルコの人々の顔かたちは何とも多彩である。このような歴史の中で混血が進んだからなのだろうか。「これが典型的なトルコ人の顔」というものはなくて、背格好や肌の色、髪の毛や瞳の色、顔の彫りが深いか浅いか、といったようなことが人によって実に様々なのだ。

 トルコという国は、七つの国と陸続きである。(西から反時計回りに、ブルガリア、ギリシャ、シリア、イラク、イラン、アルメニア、グルジア) そして北の黒海を隔てた対岸にはロシア、ウクライナ、ルーマニアという更に三つの国がある。そして南に目を転じれば、地中海を隔ててキプロス、レバノン、イスラエルなどは目と鼻の先である。しかも、これらの隣国の数々とは決して仲が良くなかった。

 そうした中で、他のイスラム諸国と同様にオスマン・トルコが近代から取り残され、国力の衰退を続けていくと、その足元を見るようにして諸外国が戦争を吹っかけてきた。そのような「近代」を過ごしたトルコ。20世紀になって国の内部からトルコ革命を起こしたムスタファ・ケマルが抱いた、「このままでは祖国は外国の餌食にされて滅びてしまう」という危機感は、どれほど強いものであったことだろう。

 そして、その革命が成った後もトルコの周辺は引続き戦争の時代である。だから、何としても祖国のために国民をまとめなければならない。ムスタファ・ケマルの時代に制定された現在のトルコ国旗は、そうした求心力、団結力を鼓舞するものとして、なくてはならないものだった筈である。カッパドキアの岩山の上に掲げられた大きなトルコの国旗を眺めながら、「国とは何か」ということを私は考えずにはいられなかった。
Mustafa Kemal.jpg
(「トルコ建国の父」ムスタファ・ケマル 1881~1938)

 それとは対照的に、日本では公式の場で日本の国旗を掲げることに対して素直になれない向きが一部にあるのだが、これはいかがなものだろうか。

 「戦争の時代に軍国主義を煽る道具として使われた」というのが素直になれない理由だとするのなら、軍国主義も国旗を使った国威発揚も、決して日本の専売特許ではない。そして、かつて軍国主義の時代があったからといって国旗の掲揚を抑制するような国など、他には存在しない。「軍国主義」が国家の道を誤らせたのなら、その歴史をしっかりと検証し、今の政治の仕組みに反映させることを考えるべきであって、「軍国主義の時代を思い出させるから国旗を掲揚しない」というのは、手段を間違えているとしか言いようがない。

 また、「国旗の掲揚は愛国心の強制だ」というのが反対の理由だとするのなら、「愛国心の強制」と思うかどうかはあなたの勝手だが、そんな能天気なことを言うぐらいだったら、世界の国々の有りようを自分の目で見てきた方があなたのためですよ、と私は忠告したい。自国の国旗を見て国民としてのアイデンティティーを自覚し、そこに象徴される民族の歴史と文化に誇りを持つことは、世界の中では当たり前のことなのだから。(私の息子がトルコの姿を羨ましく思ったのは、こうした観点からのことなのだろう。) そして、それでもなお日本の国旗を掲げるのが嫌なのであれば、どの国に税金を払って行政サービスを受けるべきなのか、その人はよく考えた方がいいのではないだろうか。

 戦後のポピュリズムが続いたことで、現在の国の財政は危機に直面している。経済危機に揺れる欧州を見るまでもなく、借金まみれの政府の姿を将来にわたって持続可能なものに改造していくことが、世界中で求められている時代である。だからこそ、国民が自分の国を思い、国の行く末を考えることが必要なのだ。

 これまでもオリンピックを迎えるたびに、「国とは何か」ということに意識が向いてきた。そして今回は、「デジタル五輪」と呼ばれるほどに多様かつ大量の情報がリアルタイムに飛び交い、テロ対策にミサイルが配備され、その背後ではグローバルな経済活動によって益々世界が一蓮托生になっている。
London Olympic Games.jpg

 こんな時代だからこそ、「国とは何か」という問いは、答えが一段と難しいものになりそうである。

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