SSブログ

その年の初夏 [歴史]

 今週の水曜日(6月5日)は二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」だった。芒(のぎ)は「イネ科の植物の花の外殻にある針のような突起」(広辞苑)のことだから、「穀類の種を蒔く頃」という意味だ。

 七十二候ではそれが更に三つに分かれ、初候:蟷螂生(蟷螂が生まれ出る)、次候:腐草為蛍(腐った草が蒸れて蛍になる)、末候:梅子黄(梅の実が黄ばんで熟す)となっている。気温が上がり湿度の高い様子が目に浮かんでくるが、それにしては今年は梅雨入り宣言後の雨が少なく、6月8日の今日も真夏のような青空が広がっている。

 今年のNHK大河ドラマでは幕末維新期の会津藩にフォーカスが当てられているが、その戊辰戦争が始まった1868年(慶応4/ 明治元年)も、芒種は今年と同じ、太陽暦の6月5日だった。だが当時はまだ旧暦が使われていて、この年は通常の4月の後に閏4月が設けられたので、新暦の6月5日は旧暦では閏4月15日だったことになる。その年の江戸は、もう梅雨入りをしていたのだろうか。

 日本の暦が旧暦から新暦に切り替わったのは、それまでの暦でいうところの明治5年の11月16日である。この日をもって新暦(太陽暦)の明治6年の元日とされたので、各種の歴史年表でも明治6年以降は新暦の日付が記載されている。だがそれ以前は、明治といえども旧暦の日付である。(但し、不思議なことに「鉄道記念日」はその例外で、旧暦の明治5年9月12日に新橋・横浜間の営業運転を開始。まだ新暦の導入前だったのだが、新暦の10月14日が今もその記念日になっている。)

 さて、明治元年に話を戻すと、この年の元日は太陽暦の1月25日だった。従って、1月3日に始まった鳥羽伏見の戦いは、今の暦に倒せば1月27日なのだが、当時は旧暦の下で人々の営みがあり、実際に世の中がそれで動いていた訳だから、歴史上の出来事を新暦の日付にいちいち換算する必要もないのだろう。だが、旧暦の日付で語られる歴史上の出来事が、今の暦に直してみると実際にはどんな気候の下にあったのか、それを想像してみるのも案外と興味深いものだ。

 下鳥羽で戦端が開かれたのが1月3日(=1月27日)の夕方だそうだが、この時期は日没がとても早い。日が落ちれば真っ暗になる中、両軍はどうやって相手を狙ったのだろうか。そして、錦の御旗が淀川堤にへんぽんと翻ったのが翌4日(=28日)。寒風吹きつける堤の上で、しかも馬に乗って錦旗を誇示する役目は、さぞかし寒かったことだろう。
toba-fushimi.jpg

 将軍・徳川慶喜が軍艦で大坂を離れたのが1月8日(=2月1日)。帰り着いた江戸城の中で、それから幕臣たちとの侃々諤々を経て慶喜が寛永寺に蟄居を始めたのが2月12日(=3月5日)である。私は慶喜が寛永寺で寒牡丹でも見てたのかと思っていたが、季節はもう少し春に近い頃だったようだ。

 そして、官軍が江戸に向かって進撃を続け、江戸無血開城に向けた談判のために、3月13・14日(=4月5・6日)の二度にわたり、西郷と勝のあの有名な会談が行われる。その際に二人で芝の愛宕山に登り、そこからの江戸八百八町の眺めを指さして「この街を火の海にしていいのか。」と勝が西郷に迫ったというエピソードは、史実としては確認されていないようだが、季節は今の暦なら4月の初旬。この話の中で二人が見下ろした景色の中には、桜が咲いていたのだろうか。(先週の大河ドラマでは、桜はなかったようだが。)

 ともあれ無血開城の談判がついて、江戸城が明け渡されたのが4月11日(=5月3日)。もちろん、皇居周辺に今のような街路樹があった訳ではなかろうが、それにしても新緑のきれいな頃だ。はるばるやってきた官軍側も大いに気勢を上げたことだろう。4月19日(=5月11日)には宇都宮城の戦いが始まり、戊辰戦争はその舞台をいよいよ東北に移していく。

 そして、前述のようにこの年は4月の後に閏4月があった。その一ヶ月を経て、旧暦の5月15日に起きたのが、江戸市中での佐幕派の最後の抵抗戦、いわゆる上野戦争だ。これは今の暦では7月4日にあたる。

 大村益次郎の指揮により、火災が市街地に及ばないように雨の日を選び、新政府軍側が宣戦を布告して、ほぼ一日でカタが付いたこの戦闘。本郷の丘の上からアームストロング砲を撃ち込まれて彰義隊は壊滅したが、その遺体を埋葬する者が現れず、上野一帯はその後強烈な腐臭に包まれ続けたという。7月初旬といえばまだ梅雨のさ中。雨が続いて湿度が高く、晴れたら晴れたで暑くなる頃だ。遺体の数々は最終的には三ノ輪の寺に埋葬されたそうだが、上野の山は何とも凄惨な状況だったことだろう。古今東西、革命とはきっとそういうものなのだ。
bullet holes.JPG
(日暮里・経王寺の山門に今も残る、戊辰戦争時の弾痕)

 今日は、ふとしたことがきっかけで、山登りの先輩方と午後から上野・谷中の商店街でビールの立ち呑みをして、それからその近くにある先輩の家で飲んだ。昼前からずっと快晴で、夕方はいつまでも明るい。

 窓を開け、庭にも椅子を出して、ワインを愛でながらの談笑。蚊取り線香の煙の香りが、どこか懐かしい。私たちはそんな風にして初夏を楽しんでいるが、今から145年前、明治元年の今頃の江戸は、あれよあれよという間に政権交代を迎えて騒然としていたことだろう。この谷中の町も。

 人間が残した激動の歴史と、今も昔も暦通りの太陽の動き、そして季節の移ろい。変わるものと変わらぬもののその組み合わせは、何とも不思議である。

 先輩の家の庭先では、既に摘み取った梅の実が、確かにもう黄ばみ始めていた。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。