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北の居酒屋 [自分史]

 「やあ、どうも。しばらくでした。」
 「いやあ、こちらこそ。お元気そうで。」

 青葉通りの藤崎百貨店の前でT氏と再会したのは、約束通り木曜日の18時過ぎだった。8月末も炎暑が続く東京とは違い、北の都・仙台は吹く風が爽やかで快適だ。これなら外を歩いても汗をかかずにすむ。仙台に着任して丸4ヶ月が過ぎたT氏も、この土地の気候が気に入っているようだった。

 私は今週仙台出張の予定があったので、その帰り道に会って一杯やろうと、T氏と約束をしていた。仙台での仕事もスケジュール通りに終わり(というか、終わらせ)、藤崎の前で待ち合わせをしていたのである。

 T氏に導かれて青葉通りを渡り、サンモール一番町というアーケードの商店街を歩く。しばらくすると左手に「壱弐参(いろは)横丁」という看板のある路地があり、T氏はその中に入って行く。その路地の両側には小さな飲食店や雑貨屋がぎっしりと並び、その古ぼけた様子やごちゃごちゃ感が昭和の匂いを濃厚に残している。
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 T氏が連れて行ってくれようとしているのは、この壱弐参横丁の奥深くにある居酒屋である。東北の地酒が豊富に揃った店だという。着任4ヶ月というのに、早くもディープな場所を見つけたものだと、感心するばかりだ。そして、路地裏に佇む昭和の残像のような光景を見つめ、私はタイムトンネルに迷い込んだような気分になっている。
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 狭い路地裏の何を目印に道を曲がったのかは覚えていないが、「蛇の道は蛇」とでも言うべきか、T氏はルートを的確にたどって目的地へと誘導してくれた。それは頭文字がSという小さな居酒屋だった。カウンターが7席に、テーブル席が4人×2と6人×1という小ぢんまりとした店なのだが、17:30に店が開いたばかりなのに、T氏が予約しておいてくれたカウンター2席以外はもう既に一杯だ。地元の常連客が多いのだろう。

 何はともあれ、まずは生ヱビスで乾杯しよう。
 「では改めて、お久しぶりです!」
 「どうもどうも、今日はありがとうございます。」
 居酒屋での最初の一杯は、それがどんなシチュエーションであれ、いいものだ。しかもそれが出張先の、地元でもディープな場所で、気心の知れた仲間が相手なら最高である。
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 T氏は、私が以前に勤めていた会社の同僚である。それも、会社が他社と合併してから知り合った。つまり、元々はお互いに異なる会社の出身である。ただ、合併した時に共に香港駐在という身分であったことだけが共通している。それ以外は、お互いの仕事の畑も全く異なっていた。

 香港駐在時代に合併が決まって、最初にT氏と面識を得たのがどんなきっかけだったのかは、覚えていない。仕事上の打ち合わせか何かで対面し、その後夜の席でも一緒になった、というようなことではなかっただろうか。ともかくも、それから知らず知らずのうちに親しくなっていった。

 東京の本社の大きな組織では、他社との合併というと「人見知り」がいつまでも続くものだが、海外の出先ではお互いに小所帯だし、現地のスタッフも雇い、出先とはいえその地域では会社全体を代表してもいるから、ともかくも合併後の姿を対外的にいち早く見せて行かねばならない。そのあたりのスピード感が東京の本社にはわからないのだ。合併以前の会社間でのつまらない「陣取り合戦」を本社が続けている間に、私たちの出先では融合がかなり早く進んでいた。T氏と知り合ったのも、そうした過程の中でのことである。だから、お互いに東京に戻った後も、交流は続いた。

 冷たい生ヱビスは早くも空になった。卓上には刺身が出てきたので、私たちは地酒を選ぶことにする。といっても、石巻市の「墨廼江」や「日高見」、柴田郡村田の「乾坤一」などはこれまでにも飲む機会があった。今日はせっかくだから、宮城県内のもっとディープな地酒を味わってみようか。という訳で、T氏に薦めてもらったのは、栗原市の「綿屋」。これは柔らかい飲み口の酒だ。食べ物を優しく包み込むような、食中酒にはもってこいである。
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 続いて、これもT氏の推薦だったのが大崎市の「伯楽星」。この蔵元は大崎市の三本木という、今回私が出張で来ていた工場からクルマで20分ほどの所にあったのだが、一昨年の東日本大震災で蔵が全壊してしまい、今は宮城蔵王の麓の川崎町で醸造を行っているという。これも素晴らしい食中酒だ。米の旨味が喉を通った後にスッと消えていき、食べ物の邪魔をしない。白身の焼き魚と組み合わせると、実に美味である。

 T氏も私も、サラリーマン人生の中で、いわゆる「セカンド・キャリア」に入っている。今までの四半世紀ほどの会社での経験を活かして新天地で、ということなのだが、従来のキャリアだけで務まるポストなど、そうあるものではないし、世の中の会社は実に様々だ。どんな風に潰しが効くのかはケース・バイ・ケースでしかないのだが、ともかくも頑張るしかない。

 仙台に来て4ヶ月になるT氏の仕事も、今までの彼のキャリアとは大きく異なるものだ。かなり地元密着型の業界で、宮城県内だけでも50数ヶ所ある拠点を彼はくまなく回っているという。
「今までとは仕事が390度ぐらい変わりましたからね。今度は頭は使わないけど、体は使ってますよ。」
そう言って彼は笑うが、今までの会社で大人数の部署を率いてきたマネジメントの経験などは大いに買われているはずである。私の仕事にしたって、同じような面は多分にあるのだろうと思う。

 だからこそ、T氏のような仲間とはこれからも連絡を取り合い、時には相互の苦労話も交えながら、引き続き頑張っていくためのヒントを交換して行きたいものだ。

 食中酒が二つ続いたところで、今度は何にすべきか店主に伺いを立てたところ、加美郡の「瞑想水」がお奨めとのこと。これを求めてみると、すっきりしていながらもしっかりとした旨味のある辛口だ。確かに、これは酒そのものを楽しみたい銘柄である。宮城県内だけでもこれほどバラエティー豊かなのだから、地酒の世界は奥が深いものだと、改めて思う。

 昭和20年の終戦の一月ほど前、7月10日に仙台市の中心街は大規模な空襲を受けた。あたり一面の焼け野が原の中で、中央公設市場が立ち上がったのが翌年8月。それが現在の壱弐参横丁の前身なのだという。飲食店に加えて雑貨屋さんなどが今も軒を並べているのは、そうした背景があってのことだろう。
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(こんな赤電話は、今全国にどれぐらい残っているのだろう。)

 T氏と共に楽しんだ昭和の時代へのタイム・スリップ。二時間半という時があっという間に過ぎて、私たちは仙台駅まで歩いた。そして、別れ際に堅い握手を交わし、再会を誓う。また、秋の終わりぐらいに仙台へ来る機会があれば、是非また二人で壱弐参横丁のSへ行き、盃を傾けたいものだ。

 21時半近く、東北新幹線のホームに上がると、東京行の「はやぶさ」に併結されたE6系「スーパーこまち」が、その鮮やかな赤色を見せながら、ホームに滑り込んできた。
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