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中国はどこへ行くのか (1) [読書]


 2009年の暮に始まった、NHKのスペシャルドラマ 『坂の上の雲』。その第4回「日清開戦」の中に、こんなシーンがあった。

 時は1895(明治28)年の春。新聞『日本』の記者だった正岡子規が、近衛師団付の従軍記者として遼東半島に赴くことになる。前年の夏に始まった日清戦争は既に講和期を迎えており、「従軍」といっても占領地の視察のようなものなのだが、ともかくも社命を受けた子規は飛び跳ねながら帰宅し、母親にそのことを告げる。

 国を挙げた戦争の一端に、病弱な自分も参画できる。そのことに喜びを爆発させる子規の様子に苦笑しながらも、母親は床の間の掛軸を静かに見つめて、こんな風に呟いた。
 「日本は今・・・、ずいぶん親しかったお国と、戦っておるんじゃね。」
 「見てごらん、掛軸は漢詩で、お皿は支那の子らが遊ぶ絵柄。」

 「漢字も支那の文字じゃろう?」と、子規の妹。
 「当たり前じゃ! わしらの祖父様は大原観山。漢学の大家じゃぞ。」 子規がそれに答える。

  「子供の頃、お祖父様からよ~ぉ支那の話を聞かされました。支那は夢のようなお国で、だあれも、憎い敵じゃなんて思わなんだ・・・。」

 母のそんな呟きに、子規は返す言葉がなかった。

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 ドラマがそんな風に描いた時代から、今年で118年。日中関係は再び最悪の時期を迎えている。特に直近では、11月23日に中国が尖閣諸島の上空を含む防空識別圏(ADIZ)を東シナ海に設定したことを急遽発表すると、日米は直ちに反応。この海域でいつ不測の事態が起こらないとも限らない不穏な情勢になってきた。そして、日本の中で国民の「対中感情」は日々悪化の一途を辿っている。

 それにしても、中国とは奇妙な国である。

 ソ連が崩壊してからもう20年以上にもなるのに、いまだに共産党が一党独裁を続けている。だが、その経済は実質的には資本主義だ。高度経済成長が続き、国民は金儲けに熱中しているが、実際には国営企業をはじめ様々な利権集団が存在しており、貧富の格差は想像を絶するほど大きい。しかも人々に遵法精神がなく、「十億身勝手」で万事やって来たから、特に近年は環境破壊が極めて深刻だ。

 経済活動は比較的自由だが、言論には大きな規制があり、政府は膨大なコストをかけてインターネット上の「危険な発言」を封殺している。高度成長の中で割りを食った農民層や都市の貧困層、そして少数民族の不満が各地で弾けているようだが、報道は禁じられ、暴動は強権によって押さえ込まれている。そして、そのような国民の不満の捌け口にしているのか、或いは中国本来の対外的な野心からなのか、東シナ海や南シナ海の小さな島や岩礁の領有権を周辺国と争っている。

 経済成長が続いて豊かになってきたとはいえ、国家社会がこれだけの矛盾を抱える中で、一党支配はなぜ続くのだろう。国民は政治の民主化を求めないのか。政府が「反日」のスイッチを押すたびに街頭に出て叫び、破壊行為を繰り返す群衆は、あの『阿Q正伝』に出て来る烏合の衆と少しも変わらないように見えるが、彼らにとってあるべき政治形態とは何なのか。それは、いわゆる欧米型の議会制民主主義とは違うものなのだろうか。

 長らくそんな疑問を胸の中に抱きつつ、中国の防空識別圏設定のニュースに接していた時、まさにタイムリーな新刊書を私は手に取っていた。『語られざる中国の結末』(宮家邦彦 著、PHP新書)である。
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 「海洋進出への野心を隠そうともしない中国。日中関係が軋みつづけ、世の中に中国脅威論・キワモノ内政論が溢れるなかで、本書が見据えるのは誰も語らない彼の国の『結末』である。」
(以下、青字部分は本書からの引用)

 そういうふれこみで論を展開する本書。著者の宮家氏の論説の数々には、他のメディアを通じてこれまでも接することがあり、毎回興味を持って目を通してきた。その「中国論」が一冊の本になったのであれば、私としては読まずにはいられない。

 題名にもある「中国の結末」とは、近い将来に西太平洋を巡って米中が睨み合い、何らかの形で不測の軍事衝突が起きてしまった後のことである。それについては追って触れるとして、本書の中で圧倒的に面白いのは、第2章「漢族の民族的トラウマ - 『西洋文明の衝撃』への答はまだ出ていない」であろう。

 伝統的に中国では、「時々の政治指導者が権力を維持するうえで必須のもの」である「天」という思想があった。「中国の政治エリートにとって、この『天』のあり方を理解することこそが政治の基本」であり、だからこそ孔子の儒家思想などが登場したのだ。そして、「君子が徳を失い『天』に見限られたとき、『天命が革(あらた)まり、君主の姓が易(か)わる』、すなわち、易姓革命が起きると考えられてきた」

 著者によればこの「天」は、中国の長い歴史の中で3回の重大な文化的挑戦を受けたという。

 初回はインドから仏教が入って来たことだ。そして2回目は13世紀にモンゴル民族によって宋王朝が滅ぼされたことである。だが、どちらの場合も外来のものを巧みに中国化することで、中国社会は「天」への挑戦をかわした。(もっとも、2回目の挑戦を受けたことのトラウマは、朱子学という副産物を産むことになるのだが。)

 それに対して、3回目に直面したのは中国文明に対する史上最大の挑戦だった。「西洋文明からの衝撃」である。それは清朝末期にアヘン戦争(1840~42)に敗れたことから始まった。

 この屈辱的な敗戦を受けて、中国は様々な対応を試みる。太平天国の乱(1850~64)、洋務運動(1860~70年代)、変法自強運動(1896)、義和団事件(1900)、辛亥革命(1911~12)・・・。だが、これらの改革運動はことごとく失敗してしまう。
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(義和団事件はその昔ハリウッド映画にもなった)

 その後、毛沢東率いる共産主義革命によって1949年に中華人民共和国が成立し、人民の支持と軍事力を備えた政権がようやく中国統一を果たしたが、その後1950年代の「大躍進」、そして60年代の「文化大革命」と度重なる大きな失政によって、中国社会は深く傷ついてしまった。

 1978年末からは鄧小平による改革開放政策が始まり、それはいつしか「社会主義市場経済」と呼ばれるものに発展していくのだが、政治改革には手を付けず、取りあえず金儲けだけ先に突っ走った中国社会は、経済が成長を続ければ続けるほど、大きな矛盾を抱えていった。

 「中国人は1840年代のアヘン戦争・南京条約のトラウマにいまも苛まれている。中国は19世紀以来の『西洋文明からの衝撃』という第三の、そしておそらく最も強力な中国文化に対する挑戦に対し、さまざまな試行錯誤を繰り返しながらも、いまだに最終的な答えを出すことができないでいるのだ。」

 それでも、中国は1997年に香港を、99年にはマカオを西欧から取り戻し、かつての西欧列強による支配の残滓を一掃した。残るは、西太平洋や日韓に今も軍事力を展開する米国の存在だけである。

 「だからこそ、中国は米国に挑戦しつづけるのだろう。中国人が『西洋文明からの衝撃』に対し、いまだ最終的な答えを出していない以上、中国人にとって東アジア・西太平洋での米軍プレゼンスは西洋文明の象徴でありつづける。これはもう理屈ではない。漢族の民族的トラウマがもたらした結果なのである。」

 「現代中国の尊大さ、身勝手さ、狡猾さ」の原因は、いわゆる「華夷思想」で説明されることが多い。だが、それはわかったようでわからない話で、中国人に先天的に華夷思想があるのなら、その原因を更に説明しなければならない。それよりも、著者のように中国の長い歴史を俯瞰しながら、とりわけ近代以降に体験した辛酸の数々から来る「民族の記憶」としてとらえた方が、説得力がありそうだ。

 「むしろ、中国がその古めかしい『華夷思想』」を充分克服しきれず、アヘン戦争から百七十年経っても、欧米諸国に対し、新たな国家像・国際秩序モデルを示しえないことへの『劣等意識』こそが、中国政治停滞の最大の原因ではないだろうか。」

 それだけではない。文化大革命という国を挙げてのヒステリー状態は、社会の絆をズタズタに切り裂いてしまい、人の心から倫理が失われてしまった。そして、改革開放路線をリードした鄧小平の「先富論」(「先に豊かになれる者から豊かになれ」という主張)も、それに続く「そして落伍した者を助けよ」という肝心の部分が置き去りにされていった。
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 1989年、政治に人々の声を反映させよという叫びが、天安門広場に集まる学生たちを中心に広がることがあったが、その運動は鄧小平自身の指示によって戦車で文字通り押し潰されてしまう。そしてその後はひたすら金儲けの時代だ。とりわけ21世紀に入ってからは、「世界の工場」として中国は驚異的な経済成長を続けて来たが、倫理が失われたことによって、貧富の格差拡大や環境破壊、有害な食品やニセモノ商品の横行など、いずれも-他のどの国にも見られないほど-極めて深刻な事態に、中国は直面している。

 「己の心が癒されないかぎり、他人を思いやる心は生まれない。文革時代には『殺るか、殺られるか』がすべてだったが、いまも『儲けるか、騙されるか』という二者択一は変わらない。こうした自己中心的なメンタリティが幅を利かすかぎり、中国に健全な社会は生まれないだろう。」

 「いまの中国に最も必要なことは、『魂の救済』と新たな『社会契約』である。新たな『社会契約』では、各個人に平等の機会を与えて『正直者が馬鹿をみない』社会を実現し、人びとに信仰の自由を認めて、傷ついた『心』を救済しなければならない。」

 ここまで言うと少し欧米的に過ぎるのかもしれないが、現在の中国の実情がいかに危ういものであるのかは、当の中国共産党も痛いほどわかっているはずである。

 それでは、その中国はこれからどこへ向かうのだろうか。

(To be continued)

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