SSブログ

鬼は外 [季節]


 一週間前の週末に京都にいて、産寧坂を歩いている時に、あるお店のショーウィンドーがふと目にとまった。日没に近い時刻で、外がたそがれて行くにつれて、控えめな照明を受けたウィンドー・ディスプレイが少しずつ浮かび上がって行く頃だった。

 窓の内側に横長に置かれていたのは、桝一杯に盛られた大豆と、柊の葉、そして鬼の面。そうか。年明け以来、自分は目の前のことにばかり気を取られていたが、今日は1月25日だから、あと9日で2月3日の節分なのだ。
setsubun.jpg

 日本には二十四節気があるから、凡そ15日毎に次の季節がやって来る。だから、巡り来る次の季節を先取りし、その兆候を鋭敏に感じ取りながら「旬」を楽しむ、そういう研ぎ澄まされた季節感を、我々の祖先たちは何よりも大切にしてきた。その感覚は、21世紀を生きる私たちにも受け継がれている。節分の翌日は立春。真冬の寒さが続く中にも、太陽の輝きに微かな春を見つけたくなる頃だ。

 そして、私がその節分のディスプレイを眺めた日から6日後の1月31日に、アジアの国々では旧正月(旧暦の元旦)を迎えた。会社の中でも、中国を相手にしている部署は、今週後半からはずいぶんと静かになった。

 立春と旧正月。私たちはこの二つを混同してしまいがちだが、前者は太陽の位置で、後者は月の満ち欠けで決まるから、全く別箇のものである。

 立春は冬至と春分の中間点だ。例年、冬至は12月21日か22日、春分は3月20日か21日だから、その中間点といえば、殆どの年は2月4日で、たまに3日や5日になったりする。これは太陽の位置で割り出されるから、毎年変わらない座標軸のようなものだ。これに対して月の満ち欠けは1サイクルが29.5日だから、新月の日を毎月1日と定めても、太陽暦の座標軸に対してはその位置がどんどんずれて行く。
luna new year vs risshun.jpg

 そこで、二十四節気では一年を12の中気と12の節気に分け(個々の中気と節気は半月ずつずれている)、陰暦のずれを補正するために、立春の次の「雨水」を含む(或いは立春から啓蟄までの節月を含む)、新月から次の新月の前日までの1サイクルを「正月」と定めた。「二月」以降も同様の定義をして、月の満ち欠けがその定義に当てはまらなくなった時には、閏月を設けた。

 現代の私たちは常に太陽暦で物事を見ているから、今年の旧正月は1月31日だとか、それが去年は2/10であったとか、そういう言い方をしているが、それとは逆に旧暦の方を座標軸にしてみると、どんなことになるだろうか。

 日本史上、旧暦で最後の正月を祝ったのが明治5(1872)年である。そこから遡ること50年の間に、立春が旧暦の何月何日に訪れたのかを示したのが、以下の図である。これを見ると、立春が最も早いケースは12月15日、最も遅いのは1月15日で、ちょうど一ヶ月の幅がある。
risshun.jpg

 (ふる年に春立ちける日よめる)
 「年のうちに春は来にけり一年(ひととせ)を去年(こぞ)とや言はむ今年とや言はむ」

 『古今和歌集』の巻頭を飾る在原元方のこの歌は、元旦よりも先に立春が到来した年のことを謳っているのだが、ではそれは珍しいことなのかというと、決してそうではない。先ほどの図で見た通り、例えば1823~72年までの50年間に、在原元方が詠んだような「年内立春」は27回起きている。そして、立春と元旦が重なるケース(「朔旦立春」という)が2回、「新年立春」が21回だから、むしろ年内立春となる年の方が実際には多いのだ。

 大政奉還、龍馬暗殺、王政復古の大号令など、幕末日本の歴史が大きく動いた1867(慶応三)年は年内立春で、旧暦では前年(1866年)の12月30日が立春だった。その5日前、つまり12月25日に孝明天皇が36歳で崩御している。(痘瘡が原因と言われるが、一旦快方に向かった病状が24日に急変していることから、毒殺説が絶えない。) そして、朝廷が大喪を発表したのは12月29日、ということは立春の前日だから節分の日であったことになる。

 そしてその翌年、いよいよ明治改元となる1868年は新年立春の年で、旧暦の1月11日に立春がやって来た。この年は正月早々の1月3日に鳥羽・伏見で戊辰戦争が始まり、1月6日には徳川慶喜が軍艦で大坂を脱出。節分の日にあたる1月10日、新政府が征討大号令を発して、慶喜と松平容保の官位剥奪を決めている。「鬼は外、福は内」という掛け声も、それが何を意味しているのかは、日本の中でも二つに分かれていたのではないだろうか。

 2月2日の日曜日、東京では正午近くまでは小雨がぱらつくような空模様だったが、午後には急速に青空が広がり、ポカポカ陽気になってきた。薄着で外に出てみると、我家の前の桜並木に一本だけ植えられた河津桜が、その花を開き始めていた。
kawazu-zakura.jpg

 天気予報によれば、明日の節分はずいぶんと暖かくなるようだが、その翌日の立春の日には再び寒気がやって来て、前日比で10度ほども気温が下がるという。まさに「春は名のみ」で、寒さの季節はまだまだ続くのだろうが、それでも日は少しずつ長くなり、太陽の光も力強さを増している。

 明日は、家族四人が揃うのは夜遅い時刻になりそうだが、いつものように、皆で元気に豆捲きをしよう。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

57歳の修学旅行大雪 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。