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道潅の城 [歴史]


 皇居の桜と紅葉を楽しんで ―― 天皇陛下の傘寿を記念して、皇居の坂下門から乾門までの並木道を春と秋に一般公開する、そんな発表が宮内庁から行われたのは、今年の1月28日のことだった。後日その詳細が明らかになり、春の一般公開は4月4日(金)~8日(火)までとのこと。今年の桜の開花状況に合わせて決められたのだろう。滅多にない機会だからと、日曜日の朝に家内と二人で出かけてみることにした。

 午前10時05分、メトロで東京駅に着くと、行幸通りから皇居に向かって大勢の人々が足早に歩いている。皇居前の内堀通りを渡ると、長蛇の列が霞ヶ関の方向へと続く。そして、二重橋が見える皇居前広場に出ると、”DJポリス”がユーモアを交えて人々の列を誘導していた。週末の皇居前と言えば、せっせと走るランナー達が主役なのだが、今日ばかりは彼らは超マイノリティーで、車道側に弾き出されている。

 人々の列は祝田橋の手前から右折して皇居前広場に入り、そこから時計回りに二重橋前を通って坂下門の前までの大回りだ。坂下門前からは一旦東京駅側に戻ってUターンし、横長の白テントの下で所持品検査やボディーチェックを受けて、ようやく見学コースへと入れる。列に並び始めてからここまでにほぼ1時間がかかった。
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(坂下門から皇居の中へ)

 さて、いよいよ皇居の中へと入る。普段は眺めるだけの坂下門。その門の幅が限られているので列の進み方が遅くなる。そして神妙な気持ちで門をくぐると、その先の道は広く、想像していたよりもゆったりと左右の景色を眺めることが出来る。宮内庁のクラシックな庁舎が目の前に現れ、いつもとは違うエリアに入り込んだ気分になってきた。
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 右手には富士見櫓。これは大手門のあたりからも見えている建物だが、それとは異なる角度から眺めるのもいいものだ。
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 鎌倉の関東公方と、本来ならばそれを補佐すべき立場にあった関東管領とが争い、更にはその管領家である上杉氏が内部対立を繰り返した関東の15世紀。扇谷上杉の家宰だった太田道灌(1432~86)が江戸城を開城したのは1457年だ。それから100年以上を経て江戸城には家康が入り、その政権が確立すると、慶長期、元和期、そして寛永期にわたり江戸城本丸と御殿の普請が行われた。(天守閣は五重の屋根を持つ建物だったと言われる。)

 ところが、道灌による開城からちょうど200年後の1657年に、江戸の街を焼き尽くした明暦の大火(振袖火事)によって天守閣が焼け落ちてしまう。以後、その天守閣が再建されることはなく、この富士見櫓が天守閣の代わりに使われたという。天守閣のない政権が結果的にはそれから更に200年以上も続いたのだから、日本とは誠に不思議な国である。

 天守閣の近くにあった御殿は、幕末の1863年にこれまた火事により焼失。従って、明治改元の後に京都からやって来た天皇は、やむを得ず西の丸御殿に入ったという。(それもまた焼失するのだが。) 天守閣や御殿のあった本丸と、それに続く二の丸・三の丸は、今となっては建物が殆どないエリアで、皇居東御苑として週末には一般に公開されている。それに対して、西の丸は皇居前広場から正面に見えるエリアで、本丸よりも低い位置にある。皇居全体の地図を眺めてみると、皇居東御苑とその西側とは明らかに趣が異なっている。その両者の境界線にあたるのが、今日の一般公開のコースなのだ。
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 コースを更に進むと、左手には宮殿の方向へと続く道路が。特にその右側には静かな森が広がっていた。もちろんそこへは入れない。
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 四月最初の日曜日の今日は、日本列島に寒気が入り込み、前夜の雨が上がった明け方以降もどんよりと曇っていたのだが、私たちが皇居前に並び始めた頃からは青空が広がるようになった。吹く風は冷たいが、太陽が照ると少し暑いぐらいだ。春先特有の不思議なお天気である。桜の花も見頃の木がまだ幾つも残っていて、やはり今日は皇居もお花見日和だ。
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 右手の上方には富士見多聞と呼ばれる長屋造りの倉庫が見えている。これは一般公開されている皇居東御苑からも見ることが出来るのだが、その立派な石垣を眺めるならここからのアングルがいい。
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 やがて、行列が一段と混み合うエリアにやって来た。左手に道灌濠が見える所で、実は私もここが最大のお目当てだった。

 坂下門と乾門を直線で結んだ、その中間点をやや過ぎたあたりの左手から現在の宮殿の近くまで、L字形をした濠があるのが地図でわかる。それが道灌濠だ。その奥は天皇陛下の御所へと続く深い森で、自然のままの姿である。
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(道潅濠)

 上の写真の左奥は紅葉山と呼ばれる場所で、太田道灌が開城した時に、武州・川越の山王社から山王権現が勧請されてきたそうだ。それが、徳川二代目・秀忠の時に江戸城が拡張され、城外に移された。その移転先が現在の赤坂にある日枝神社なのだという。そして、紅葉山にあった山王権現の跡地には徳川歴代将軍の霊廟が建てられたというから、ここは江戸城内で最も聖なるエリアだったのだろう。
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(道潅の城だけあって、山吹がきれいだ)

 皇居の中を乾門へと通り抜けるコースは、正月の一般参賀の時にも公開されているのだが、やはり桜の花の季節に歩くのはいいものだ。道灌の時代にもつながるような深い森に訪れた春の風情を楽しみながら、やがて竹橋方面の眺めが広がるようになると、終点の乾門も近い。今日は桜の季節に素晴らしい体験をさせていただいた。天皇陛下の思し召しをはじめ、このようなイベントの開催に係わられた各方面の方々には心からの感謝を申し上げたい。
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(終点の乾門)

 乾門を出たのがちょうど正午だったから、家内と私は皇居の中の散策を一時間ほど楽しんだことになる。乾門の外の北の丸公園一帯も桜の時期で、とりわけ枝垂れ桜が見事だ。私たちはそれからお堀沿いの道を半蔵門まで歩き、千鳥ヶ淵の遠景や英国大使館前の桜を楽しむことができた。
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(千鳥ヶ淵の桜)

 首都・東京の真ん中にありながら、私たちが知らないことが多い皇居。その謎の数々については、『地図と愉しむ東京歴史散歩 都心の謎篇』 (竹内正浩 著、中公新書)が詳しい。

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きたろう

はじめまして きたろうと申します。
きたろうは同じ日の午後行きました。午後は、時々小雨、雷も聞こえるという、生憎の天気でした。
午前中は、天気が良かったのですね。
午後は、天気が悪い代わり、入場の待ち時間はありませんでした。
(良かったら、拙ブログもご覧下さい)
by きたろう (2014-04-11 08:53) 

RK

きたろうさん
コメントありがとうございました。
昼前は大変な混雑ではありましたが、普段見ることのない皇居の奥深くの自然を相応に楽しむことが出来て、行った甲斐はあったと思っています。やはり桜の季節はいいですね。


by RK (2014-04-11 14:03) 

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