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真夏の雪 - 鳥海山・月山 (4) [山歩き]


 8月4日(月)、目が覚めたのは午前6時少し前だった。

 起き上がって窓の外を見ると、朝靄の漂う五色沼の向こうに、月山から尾根続きの姥ヶ岳(1670m)が朝の光を受けていた。東京は連日の猛暑だというのに、山形県の月山の南麓にある志津地区ではエアコンも何もいらない。窓からの風だけで快適な朝を迎えられるのは何ともありがたいことだ。
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 この旅館に電話をして泊めてもらうことにしたのは、昨日の午後4時半に近い頃だった。鳥海山(2236m)への登山を終えて、私たちのクルマは秋田県の象潟から国道7号線を南下していた。そこから志津へは2時間ほどと計算していたのだが、途中で道路の自然渋滞に巻き込まれ、おまけにカーナビが指示した国道112号の旧道が目的地の直前で通行止めになっていた、というようなアクシデントが重なって、志津の旅館に着いたのは夜の8時半を過ぎた頃になってしまった。それでも旅館の方々の配慮で何とか晩飯にありつき、風呂も浴びて生き返ることが出来たのはありがたい。昨日一日鳥海山を歩いたことによる筋肉痛はあったが、今日も天気は良さそうだから、頑張って月山に登ってこよう。

 7時に旅館の朝食をいただき、7時半過ぎにクルマで出発。姥沢駐車場までは10分ほどで、そこから更に坂道を10分登ると月山ペアリフトの乗り場に着く。このリフトで標高差270mほどを稼ぎ、終点の標高はほぼ1500mだ。ここまで上がると、風もだいぶ涼しい。
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08:30 月山ペアリフト終点 → 雪田 → 09:31 牛首直下のベンチ

 ペアリフトの終点から歩き始めてすぐ、振り返ると南側には早くも広大な展望が始まっていた。
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 中でも目を引くのが、山形・新潟の県境に聳える朝日連峰の堂々たる眺めだ。特にその最高峰・大朝日岳(1871m)の姿がいい。大学二年の5月に雪を踏んで登った時も、今日の相棒のT君が一緒だった。あの時は大朝日岳の頂上から真っ白な月山が見えていたが、あれから36年の歳月を経て、私たちは反対に月山の山稜から大朝日岳を眺めている。そう思うと、何とも不思議な気分だ。
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(朝日連峰のクローズアップ)

 姥ヶ岳へ直登する登山道を左に分けて、私たちは尾根をトラバースしていく道を選ぶ。これはやがて植生保護のための木道になって、斜面に残る雪田を間近に見ながらゆるやかに登っていく。花と緑、残雪と青い空を楽しみながら歩く、文字通りの遊歩道だ。
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 ここは東南あるいは南を向いた斜面だから、決して日当たりが悪い訳ではない。標高も1600m近辺だ。それなのに豊富な雪が残っているのは本当に不思議である。
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 特に私たちが驚いたのは、雪田のすぐ下流側、おそらくは一週間ほど前ならまだ雪の下だったと思われるような場所に、一斉に若い緑がよみがえっていることだった。コマ落しの映像にしたら、きっと驚くほどの早さで新芽が現れていることがわかるのだろう。山里でもうとっくに収穫時期が終わっているコゴミも、雪田の下へ来れば今がまさに旬である。
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 姥沢からペアリフトに頼らずに谷筋を登ってくる登山道が右から合流してくると、道の両側の雪田も大きくなってくる。特に右側の雪田は今もなお夏スキーのゲレンデになっていて、スノボを楽しむ人たちがいた。
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 そこからは山道の傾斜が少しずつ急になり、雪田を渡るというよりは登るようになって、牛首というなだらかなピークの直下をめざす。相変わらず緑がきれいで、高山植物の花も豊富だ。こんなに穏やかな景色の中を歩いていると、月山が30万年前に最後の噴火で今のような山容になった火山であることを、すっかり忘れてしまいそうだ。
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 雪田を過ぎて更に登っていくと、姥ヶ岳から尾根伝いの山道が左から合流し、その先が牛首直下のベンチだ。今日も晴れて日差しが強く、日蔭のない地形が続いているが、昨日と違って朝の早い時間帯から雲も湧いているので、太陽が遮られる時もあり、昨日ほどの暑さでないのは助かっている。

09:45 牛首直下のベンチ → 10:55 月山神社

 牛首を過ぎると、いよいよ月山本体への登りだ。これは標高差280mほどを殆ど直登するようなコースで、花と緑が励ましてはくれるものの、案外しっかりとした登りだ。前日の鳥海山登山の疲れも多少あって、私たちはだいぶゆっくりとしたペースになり、途中で小休止も何度か取った。一本調子の登り坂は辛いが、歩けばその分だけ確実に高度は稼ぐのだから、ともかくも頑張ろう。
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 そのうちに下界の沢筋から盛んにガスが上がり始め、遠くの山々も見えたり隠れたりを繰り返すようになった。丸一日快晴が続いた昨日とは違って、今日はゆっくりと天気が変わっていくのだろうか。
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 やがて傾斜が緩やかになり、台地のような地形になると、200mほど先に月山の山頂が見えるようになった。台地の上に槍の穂先を立てたような山頂なのだが、実はその全体が神社なのだ。本来ならばその左の彼方に鳥海山が見えるはずなのだが、残念ながら今日は雲に隠れている。
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 何しろ山頂全体が月山神社の境内なのだから、山頂を踏むということは必然的に神社の拝殿の前に立つことになる。

 「お祓い料としてお一人500円をお納めください。」

 山頂への石段を上った先でそう言われたので、声の主を改めて眺めると、神主の装束を纏っている。言われた通りにお金を払うと、神主は小屋の中に座ったまま幣(ぬき)を振って祝詞を唱え、T君と私にお祓いをし、紙で作った人形(ひとがた)を渡してくれた。これで体中を拭き、水の中に落として穢れを祓うのである。そして最後に一枚の小さな紙をくれた。

「登拝認定証  あなたは、標高1984mの出羽三山の主峰月山を踏破し月山頂上鎮座、月山神社本宮を参拝されました。・・・」

 なるほど、頂上は神社なのだから、単なる登頂ではなくて「登拝」になる訳だ。
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 ご由緒によれば、月山神社は推古天皇元年(593年)、崇峻天皇の第三皇子である蜂子皇子(はちこのおうじ)によって開かれたという。崇峻天皇は歴代天皇の中で在位中に暗殺された唯一の天皇として知られるが(黒幕は蘇我馬子)、蜂子皇子は追手を逃れて丹後国から船で北上、現在の山形県鶴岡市に上陸したという。そして、三本足の鳥に導かれて羽黒山に至り、出羽三山を開いたとされている。

 しかしながら6世紀末という、畿内の中央政権の支配が未だ東北には及んでいない時代に、この話にはかなり無理があるのではないか。後世になって「皇族ブランド」との繋がりを膨らませたものと考えた方がいいのかもしれない。

 それはともかく、月山神社の祭神は月読命(ツクヨミノミコト)である。黄泉の国から逃げ帰ったイザナギが筑紫の国で禊(みそぎ)祓いを行い、左目、右目、鼻を洗った時に生まれたのが、それぞれアマテラス、ツクヨミ、そしてスサノオだとされるから、天津神(あまつかみ)の中でも枢要な系譜の神様である。そんなツクヨミを祀っているからか、出羽国の神社といえば鳥海山の大物忌神社と月山神社が双璧であったようだ。

 古来、月読命が農業の神様とされてきたのは、「月を読む」という名前の通り、一年の農作業に陰暦が深く係わってきたからなのだろう。庄内平野からよく見える月山。夏になってもなお白い雪を抱くその山を、農民たちは常に仰ぎ見てきた筈である。そしてまた、月山は羽黒山、湯殿山と並んで修験道の一大聖地ともなってきた。

 この三つの山の各神社を一括りにして、現在のように「出羽三山神社」という組織になったのは、明治になってからのことだそうだ。そして、「神仏分離」によって習合時代の本地仏や修験道は排撃を受けることになる。そんな中で、月山神社はその社格が次第に格上げされ、大正期にはついに国幣大社になった。古くからの出羽一宮、鳥海山の大物忌神社(社格は国幣中社)を出し抜いて、東北地方では唯一の国幣大社である。月山神社のこうした政治力はどこにあったのだろうか。
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(山頂付近に咲くミヤマキンバイ)

11:10 月山神社 → 11:57 牛首直下 → 12:50 月山ペアリフト終点

 月山からの帰りは、牛首から姥ヶ岳までの稜線沿いの山道を歩くつもりでいたのだが、月山から下山を始めた頃から周囲もガスに覆われ始め、牛首の直下に着いた頃には一時的に雨もパラつくようになった。今から稜線を歩いても、ガスの中で眺めは得られそうにない。更に降ってくるかもしれないから、稜線はやめて来た道を戻ろう。そんな合意が自ずと出来て、私たちは雪田の中を下るプロムナードに戻ることにした。

 鳥海山と月山。それぞれの頂上にある神社のご由緒からして、この二つの山は出羽国の双璧なのだが、旧友のT君と二人で、今回はその山頂を踏むことが出来た。天候にも恵まれ、真夏にも豊富に残る雪を楽しみながら、東北の山々が持つ独特の懐の深さを知ることが出来た。何よりも、この二つの山は、それぞれが火山であることを忘れてしまうぐらいに花と緑が豊かだ。こうした火山にも緑が蘇るのだから、日本の自然は本当に素晴らしい。
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(雪解け水ともこれでお別れ)

 昨夜泊まった旅館に戻って風呂を浴びた後、私たちはクルマで一路東京へと向かった。37年ぶりにT君と二人で歩いた東北の山。企画をしてくれた彼には改めて御礼を申し上げたい。そして、いずれまた、その続編を実現できたらいいなと思う。

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