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秋を見つけに - 三頭山 [山歩き]

 JR武蔵五日市の駅前から乗ったバスが、エンジンを唸らせながら奥多摩有料道路の急坂を上り続け、定刻の9:30に「都民の森」に着いた。標高1,000mだから下界に比べればだいぶ涼しい。北の空はクリアーに晴れているが、南側は雲の多い天気。それでも、時折雲間から顔を出す9月最後の土曜日の太陽は、朝から元気だ。

 今朝新宿を出てから凡そ2時間と45分。随分と時間がかかるものだが、「都民の森」と言うぐらいだからここもまだ東京都の中で、島嶼部を除けば東京で唯一の村である檜原村の最深部だ。ともかくもそこに、11人の山仲間が集まった。
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09:45 都民の森 → 里山の路 → ひぐらしの路 → 10:50 鞘口峠

三頭山(1531m)への登山口になる都民の森。最短距離で鞘口峠に上がって尾根道を登れば、山頂には1時間半足らずで着いてしまう。それでは物足りないだろうからと、今日は都民の森から「里山の路」を登り、大きく反時計回りに尾根道を三頭山へと歩く計画にした。真夏の間、週末日帰りの山歩きはお休みにしていたから、今日のメンバーの大半にとっては久しぶりの山だ。足慣らしを目的とした山行でもあった。

 三頭山の南面には、植林の中を上下左右に走る山道が幾つも拓かれている。里山の路はその中では一番東にあって、御前山から風張峠、鞘口峠を経て三頭山へと続く尾根に向かってつづら折れに登って行く山道だ。深い植林の中なので、昼間も薄暗い。

 このコースで都民の森から鞘口峠まで、凡そ40分ほどではないかと見込んでいたのだが、歩いているうちに、どうもそうは行かないことがわかって来た。我々がつづら折れを登るペースはそれほど遅いものではなかった筈だが、歩き出してから30分ほど経ったところで現在地を確認すると、鞘口峠どころか、まず尾根に登り切るまでの道の半分ほどしか登っていない。
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 本当は尾根に上がって、奥多摩湖を見下ろせるというビュー・ポイントを楽しんでみたかったのだが、数馬からの帰りのバスの時刻などから逆算すると、ここでこれ以上時間を費やすことはできない。尾根に上がるのを諦めて、我々は「ひぐらしの路」経由のショートカット・コースを辿ることにした。
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 「ひぐらしの路」はトラバース道ではあるものの、歩いてみると案外とアップダウンのある道だった。加えて、深い森の中だから日当たりがなく、一昨日までの雨のせいか、道が濡れていてスリップしやすい箇所もある。そんな訳でここでも案外と時間を喰い、結局鞘口峠に着いた時点で計画から30分以上の遅れとなっていた。
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(鞘口峠への下り)

10:55 鞘口峠 → 12:05 三頭山西峰

 先を急ごう。鞘口峠からはしっかりとした登りが始まる。そして、三頭山登山のメイン・ルートだからトレイル・ランナー達も多く、早くも山の上から駆け下りて来た人達と何度もすれ違う。このあたりから、今回ご参加いただいた、私たちより11年先輩のHさんご夫妻と、事実上のパーティー分けをすることになった。T君がHさんご夫妻に付いてくれることになり、我々は昼食の準備に必要なものをT君から荷分けして、先に山頂を目指すことにした。

 植林の中だと、どの山を歩いても同じような印象しかないが、それが広葉樹の雑木林になると、途端に山の表情が彩り豊かになって、それぞれの山の個性が見えてくるようになるものだ。三頭山への登山道も既にブナの森になっていて、頭の上の緑がきれいだ。そして、所々で黄葉が始まりだしている。
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 足元では草陰に色々な種類のキノコが姿を見せていて、山道を登り続けている間の一服の清涼剤だ。
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 やがて山道の傾斜が緩くなり、三頭山東峰の直下に到着。山道を外れて一登りすれば奥多摩湖や鷹巣山方面を眺める展望台があるのだが、計画から40分遅れになっていることから、それは省略して西峰へと進む。この時には西峰での食事の場所を確保すべく、H氏が我々よりも先に西峰に向かってくれていた。

 12:05に、我々はようやく三頭山西峰に到着。既に多くの登山者たちが昼食を楽しんでいたが、H氏のおかげで我々は二つのベンチを確保できたので、早速食事の用意に取りかかった。湯を沸かしてアルファ米に加え、ご飯になるのを待つ間に、前夜に調理して冷凍してきた「挽肉と夏野菜のカレー」を温める。参加してくれたメンバーにはちょっと忙しない思いをさせてしまったが、30分強で何とか昼食を済ませることが出来た。(ご飯にかける料理を冷凍して持って来るというのは、他にも応用できそうだ。麻婆ナスだとか、タイ料理のガパオだとか・・・。)
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 そして、昼食が終わった頃、山頂からは富士山が雲の中から右肩だけを見せていた。
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12:50 三頭山西峰 → 14:10 槇寄山 → 15:40 数馬の湯

 私たちの昼食が終わった時点で、先輩のHさんご夫妻はまだ山頂に上がって来ない。T君が付き添ってくれているから心配はないはずだが、私たちの行程も計画からは既に30分遅れになっているので、3人分の食事を残して私が山頂にとどまり、他のメンバーには数馬に向けて先に出発してもらうことにした。

 そして、待つことしばし。13時過ぎになってT君が山頂に到着し、そのすぐ後にHさんご夫妻がやって来た。途中に休憩を取りつつ、三頭山の登りを頑張って無事に到着されたのだ。よかった。何はともあれ、ベンチでゆっくりとカレーを召し上がっていただこう。

 Hさんご夫妻とT君は、来た道を戻って都民の森からバスに乗るという。なるほど、私たちと同じ数馬へのコースはまだ先が長いから、約1時間で降りられる都民の森へ戻っていただくのが安全策だろう。私はT君にHさんご夫妻のことを再び託し、荷物をまとめて13:15に山頂を出発。数馬へと向かった仲間たちの後を追うことにした。

 一人の気楽さで山道をかけ下る。皆に追いつこうと、ついペースが上がってしまう。三頭山の非難小屋をすぐに過ぎて、なおも下ると大沢山の登り返しがある。そのあたりのちょっとした黄葉や、足元に姿を見せるキノコの様子が実に楽しい。
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 13:45頃、山道が槇寄山に向かって緩やかに登っていくあたりで、先を歩いていた仲間たちに追いついた。そして14:10に槇寄山頂上のベンチに到着。あたりはいたって平らな地形で、山頂というよりも尾根道の途中のような所なのだが、南側の一部の展望が開けていて、そこからのとりとめもない山々の眺めが、私は好きだ。
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 短い休憩を取って、私たちは下山を続ける。槇寄山頂上のすぐ先に西原峠があり、数馬へと下る山道を辿るのだが、数馬までコースタイムが1時間ほどのこの道が、今日は少し遠く感じた。山歩きに二ヶ月ほどのブランクがあった私も、いつになく体が重い。膝が痛くなったメンバーもいて、彼女にはH氏が付いてくれたので、ここでもパーティー分けをするような形で私たちは下り続けた。奥多摩の「足慣らしコース」といってもなかなか侮れない。結局1時間10分ほどかかって、ようやく人家のある所まで下りてきた。
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 江戸時代に五街道の一つとしての甲州街道が交通のメインストリートになる以前の時代に、そのずっと北側を回る甲州中道という道があったそうだ。それは、五日市から秋川沿いに檜原村の本宿まで来て、そこから浅間(せんげん)尾根を縦走し、私たちが今朝歩いてきた鞘口峠へと三頭山の麓を登り、峠からは小河内に下りて多摩川を遡り、丹波山村(または小菅村)から更に大菩薩峠を越えて甲斐の塩山へと向かうものだったという。要するに青梅街道のサブ・ルートのような道だ。
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 今の目で見れば、それは街道などというものではなくて、純然たる山道に近いものだったに違いない。それでも甲州中道が主要な交通路だったのは、その他のルートに比べればまだベターな道だったということなのだろう。それぐらい、甲斐と武蔵の間は山深いのだ。今の私たちはレジャーで山に登るから、好天の日を選び、自分に必要な物だけを持って山に来ればいいのだが、当時の人々は物資を運ぶためにこれらの山々を越えていたのだ。その労苦は私たちの想像を遥かに超えたものであったのだろう。

 15:40に数馬の湯に到着。それぞれに入浴や着替えを済ませて次のバスを待っていると、やって来たバスの後方の座席にHさん夫妻とT君の姿があった。どうやらあの後、都民の森に降りてきて、レストランでゆっくりされていたようだ。

 このバスで武蔵五日市に着いたら、20分後に出るホリデー快速に乗れば、乗り換えなしに1時間で新宿だ。その後はいつもの居酒屋でいつものような展開になったのだが、そこで私たちが知ったのは、この日のお昼前、ちょうど私たちが三頭山への登りの核心部にいた頃に起きた、木曽の御嶽山の噴火のニュースだった。

 私は小学校五年生の夏に、家族で御嶽山に登ったことがある。頂上付近の神社の様子もおぼろげながら覚えているのだが、遠くからみても実に大きな、堂々とした山だ。学生時代に私たちが山岳部のホームグラウンドにしていた穂高の岳沢でも、晴れた日には乗鞍岳の左側にその大きな姿を見せていたものだった。今回は晴天の週末、紅葉の季節、そして噴火の時刻がお昼前だったことが、結果的に多くの人々の遭難につながった訳だが、何とも痛ましいことである。亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りしたい。

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H氏(北京現人)

今回は人数が多かったこと、久しぶりの山行だったことからパーティーが少しバラケてしまいましたがお陰さまでうまく補い合って結果として全員が山頂を踏み、貴兄が用意してくれた夏野菜カレーを堪能できて良かったです。新宿でも久しぶりだったからか、いつになく盛り上がりましたね。また次回もよろしくお願いします。次回はマーボー茄子??
御嶽山、本当に自然の脅威をまざまざと感じさせられました。地球の規模では本当に些細な噴火なのでしょうが時間も時期も最悪でした。まだかなりの方が行方不明のようですが、せめて早く全ての方の安否が確認できることを祈っています。
by H氏(北京現人) (2014-09-29 22:14) 

RK

今回もご参加ありがとうございました。結果的に風呂に入れないような行動になってしまい、申し訳ありません。

これから季節も良くなるので、あちこちの紅葉を眺めに出かけましょう。4リットルの鍋は必携?
by RK (2014-09-30 08:15) 

T君

初のパーティ分けとなってしまい、皆様にご迷惑をおかけし、反省しております
皆様のフォローにより、おいしいカレーもいただきました
 僕の「うまい!」の声に、隣のベンチにいた女性2人が、大笑いしました!

by T君 (2014-10-01 17:25) 

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