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初富士 - 高松山・シダンゴ山 [山歩き]


 「西相模の足柄郡(あしがらごおり)は、足柄山塊がかさなりあって、ほとんどが山地である。  野は、ある。北から南へ流れる酒匂川(さかわがわ)とその支流群がつくっている平野で、その河口付近に小田原があり、その中流に松田がある。」
(『箱根の坂』 司馬遼太郎 著、講談社文庫)

 新宿から小田急ロマンスカーに乗って1時間と3分。四十八瀬川の渓谷を下り、東名高速道路の下をくぐって野に出たところが新松田の駅である。あたりは、まさに司馬遼太郎が描いたような地形だ。冬晴れの青い空と箱根の山々。そしてその彼方には雪を抱いた富士山の大きな姿がある。

 駅前からタクシーに乗って30分弱。国道246号が山北町に入り、高松山入口のバス停で右折して尺里(ひさり)川沿いの細い林道を登りつめた所が尺里峠だ。山北町と松田町の境界上にある、樹林の中のひっそりとした小さな峠である。

 成人の日の前日の日曜日。新年初回の山行には8人の仲間が集まった。今日はこれから尾根伝いに高松山(801m)~シダンゴ山(758m)を歩き、寄(やどりぎ)へ下りる予定にしている。高松山から先はアップダウンの多い山道だ。
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08:47 尺里峠 → 09:30 高松山

 今日のコースは2年前の1月にも歩いたことがあった。その時は雪が降った翌々日だったので、コースの大部分はスノーハイクになったのだが、今年は晴天続きだから雪のない低山歩きだ。霜柱を踏む時のサクサクとした感触が小気味よい。

 尺里峠は標高536mだから、高松山までは標高差265mほどの登りである。ヒノキの植林の中を黙々と登っていく道で、特に急登というほどのものはない。途中、右手に一箇所だけ、木々の間から丹沢の表尾根を眺めることが出来る以外には展望が得られないのだが、それでも40分も歩けば行く手に青い空が広がり、高松山の山頂が迫ってくる。
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(高松山山頂の直下)

 そして、予定通り9:30に到着した高松山の山頂には他に登山者もなく、そこからの広い眺望を私たちだけが楽しむことになった。
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 今朝はよく晴れて冷え込んだが、幸いにして風は穏やかだ。お目当ての初富士はもちろんのこと、目の前に勢ぞろいした箱根の山々も見事である。そして目を左に転ずれば、朝日に輝く相模湾の向こうに、真鶴半島や初島、そして伊豆の大島が見えている。
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 眼下には、酒匂川によって作られた平野が海に向かって広がっている。今朝電車を下りた松田はその平地の縁(へり)のような位置にある町だ。

 「松田は、ゆたかな田園である。
 その背後の山々を縫って中津川、四十八瀬川が流れ、やがて川音川として合流し、松田にいたって野に入る。と同時に酒匂川に合流する。(中略)

 この付近一帯を領する者が松田氏を称した。源平合戦のころから松田の某(なにがし)があらわれ、功によって松田庄(まつだのしょう)をあたえられた。」
(引用前掲書)

 ここでいう松田氏のルーツには諸説があり、その一つは平安時代中期の藤原秀郷に遡るというものだ。秀郷は百足(ムカデ)退治の伝説で有名な俵藤太と同人物で、平将門を討ち取ったことでも知られている。藤原姓を名乗っているが、本当は下野国の土豪の出ではないかとも言われる武将である。その子孫の経範が11世紀の前半に現在の秦野市に移り住み、「波多野」を名乗ったという。その勢力は現在の松田町や山北町にも及んでいたそうだ。
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 経範の時代から源氏の嫡流に付き従っていたが、4代目の義通が源義朝と不仲になり、その子・義常は源頼朝の伊豆挙兵の際に頼朝と敵対。後に頼朝が天下を取ると自刃している。だが、義常の子・有常は許されて御家人となり、松田姓を名乗るようになったという。

 そして、その時代から140年余り。上州に挙兵した新田義貞が鎌倉攻めに向けて南進した際に、松田氏をはじめとする相州各地の勢力が分倍河原で新田軍に加勢。これが倒幕への大きな決め手となった。更にその後世、北条早雲が箱根の山を越えて小田原を支配すると、松田氏は後北条氏の有力家臣団に入っているから、関東の中世史において松田氏はなかなかの活躍を見せた一族と言えるだろう。

 なお、現在の松田町は、松田惣領、松田庶子、神山(こうやま)、寄(やどりぎ)の4地域からなっているのだが、「惣領」・「庶子」という武家の相続を思わせる言葉が地名に残っているのが興味深い。しかも、地図をよく見てみると、松田惣領の中に松田庶子の飛び地が点在しているのが何とも不思議である。(郵便配達などは困らないのかな?)
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(赤色の線で囲まれた部分が松田庶子の飛び地)

09:45 高松山 → 10:00 ヒネゴ沢 → 10:35 29号鉄塔

 高松山から先は、いよいよアップダウンの繰り返しになる。山道が北斜面を下るようになり、陽が当たらないので霜柱がよく締まっていて歩きやすい。下っていく途中に、植林の間から丹沢の表尾根が見えていた。こうして眺めてみると、丹沢も案外と深い山並みである。
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 高松山から下り続けた最低鞍部がヒネゴ沢。その先には805mピーク(西ヶ尾)までの標高差80mほどの登りが待っている。そしてもう一度100mほど下り、再び小さく登り返したところが29号鉄塔だ。その鉄塔の下で青空を眺めながら、私たちは小休止を取った。
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10:40 29号鉄塔 → 11:12 秦野峠分岐 → 11:30 ダルマ沢ノ頭

 鉄塔の先には、標高差100mの登りがあるのだが、これがとんでもない急傾斜だ。尾根の上をひたすら直登する山道。もう少し作りようがあるような気もするが、そういつまでも続く登りではないから、ともかくも頑張ることにしよう。
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 山道の傾斜が緩やかになると、そこから先のルートは右カーブを切りながら東へと向いていく。要するに富士山が背後に回るのだが、その富士には既に雲がかかっていた。左手は落葉樹の森で視界が良く、丹沢の檜岳(ひのきだっか)が目の前に大きく構えている。

 秦野峠からやってくる山道が左から合流する地点まで緩やかな登りが続き、少し下ると、その先にまたしても直登が待っている。本日の最高地点、ダルマ沢ノ頭(880m)への標高差50mほどの登りなのだが、山道というよりも長い階段である。それを登り切った所で、再び小休止。11時半になり、メンバーも空腹を感じ始めた。計画よりは少し早めに行動しており、シダンゴ山まであと1時間はかからないだろうが、小休止の後はもうひと頑張りだ。
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11:40 ダルマ沢ノ頭 → 12:00 林道出合 → 12:15 シダンゴ山

 ダルマ沢ノ頭から先は急な下りが続く。標高差にして200mほどを一気に下るのだ。このあたりから、私たちとは逆回りに歩いて来る登山者たちと何度かすれ違うようになった。ここを登って来るのは大変だろう。

 やがて金属製の梯子が現れ、それを下ると舗装林道に出た。そこからは丹沢・鍋割山や塔ノ岳の眺めが素晴らしい。実に堂々としていて、つい見とれてしまう。
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 シダンゴ山はもう目の前だ。しばらく植林の中を登り、やがて空が明るくなっていくと、子供たちの歓声が聞こえ始めた。山頂は何やら賑わっているようだ。

 そして、12:15 に山頂に到着。本日の登りはここまでだ。山頂はほぼ360度に近い展望があって日当たりが良い。相模平野の向こうに海が輝き、三浦半島やその奥の房総半島までもが見えている。そして、丹沢の蛭ヶ岳から大山までが勢ぞろいだ。
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 うまく風を避けながら私たちは皆で餃子スープを作り、餅やラーメンまで入れて暖かい昼食をとった。冬の低山歩きは、やはりこれが一番の楽しみだ。あまり解凍が進まない状態で冷凍食品を持って来られるのも、この時期のアドバンテージ。それに、冷凍餃子はそれ自身から出汁が取れるからスープが美味しくなる。今後も色々と活用が出来そうだ。
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13:20 シダンゴ山 → 14:05 寄バス停

 山頂で歓声をあげていたのは、青い帽子に小熊のマークをつけたカブスカウトの小学生たちだった。東京あたりではもう見かけなくなった姿だが、リーダーの統率の下、皆で山に登り、山頂で食事をした後は体を動かして無邪気に遊ぶ、その様子がどこか懐かしく、また頼もしくも見えた。今日一日の行動は、彼らの成長過程においてかけがえのない体験になることだろう。

 その小学生たちと前後する形で、私たちも山を下りる。この下山道は、国土地理院の「電子国土Web」に掲載されている地図には載っていないのだが、シダンゴ山から東に派生する尾根沿いに標高550mあたりまで下り、それから南にトラバースしていくと、送電線をくぐる手前で舗装林道になる。その先もぐんぐんと下っていくので膝が痛くなりそうだが、下界の集落も順調に近づいてくる。民家や茶畑が道の両側に現れるようになると、終点も近い。
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 私たちは予定よりもだいぶ早く寄バス停に到着し、新松田駅行きのバスを待つ。そのバスには先ほどのカブスカウトの小学生たちも一緒に乗り合わせた。シダンゴ山の山頂であれだけ元気に走り回っていた彼らは、帰りのバスに揺られているうちに座席で早くもコックリコックリを始めていて、何とも微笑ましい。それぞれのお家に帰ったら、今夜はぐっすりと眠ることだろう。

 15:10 新松田駅前に到着。小田急線のホームからもう一度箱根の山々を眺めると、一日続いた青空に少し赤味がかかり始めていた。


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