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山の上のロウバイ [季節]


 立春を過ぎても、寒い冬が続いている。

 天気予報を見れば、北陸地方は雪マークばかりだ。私が以前に長く勤めた会社の初任地が北陸の富山だったので、同期入社で今も働いている女性にお見舞いのメールを送ったら、その翌朝(2月10日)こんな返事が返ってきた。

 「土曜(2月7日)の夜から降り続き、今朝も降っています。長靴で歩いて、なんとか雪が入らない位です。」

 そんな北陸地方とは対照的に、関東平野では冬の晴天が続いているが、北風が何とも冷たい。けれども、建国記念の日の2月11日(水)には一旦その寒さが緩み、日差しの暖かい穏やかな天候になるという。その日は、実家の母をクルマに乗せて秩父・長瀞の宝登山(ほどさん)へロウバイを見に行く予定にしていたのだが、暖かい一日になってくれるのなら好都合だ。

 家内を乗せてクルマを飛ばし、都内の実家に着いたのは、朝のちょうど8時半だった。それから母を乗せ、すぐ近くの大泉ICから関越自動車道に上がると、渋滞もなく実に順調だ。花園ICまで30分強。そこで降りて国道140号(彩甲斐街道)を西へ。寄居を過ぎてから、カーナビに従って皆野寄居有料道路に入る。長いトンネルで山を越えるこの道は秩父地方へのショートカット・コースだ。

 皆野長瀞ICで降りると、今度は国道140号を北上することになり、程なく秩父鉄道の長瀞駅前の交差点に辿り着く。そこを左折して坂道を上って行けば、宝登山ロープウェイ山麓駅前の駐車場だ。私たちは9時45分頃に到着して第二駐車場に停めることが出来たのだが、その後にも次々とクルマが上がって来て、あと10分もすればそこも満杯になりそうな勢いだった。
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 ロープウェイの乗り場まで、母を連れてゆっくりゆっくりと坂道を上がる。ロウバイが見頃になった上に、今日は暖かい日和だから、宝登山を訪れる人は多いだろう。ロープウェイは既に7分間隔のフル操業だが、それでも搭乗待ちの長い行列が出来ている。待ち時間は30分ほどと言われたが、それぐらいの我慢は、今日なら仕方がないか。

 待ち時間は結果的には30分までにはならずに私たちの順番がやって来て、しかも母を座らせることが出来た。所要時間5分程度の短いロープウェイなのだが、眼下の景色を眺めていると、驚いたことに駐車場待ちのクルマの長い行列が、何と長瀞駅前の交差点のあたりまで続いている。私たちも朝ぐずぐずしていたら、今頃はまだあの列の中にいたのかもしれない。早めに行動を始めたのは幸いだった。

 ロープウェイの山頂駅から外に出ると、山の上だというのに風がなくて本当に穏やかな日和だ。早くもロウバイ園から花の芳香が漂って来る。それよりも、南から西にかけての展望が広がっていて遠くの山々がよく見えている。中でも目を引くのが、特異な形をした両神山(1723m)だ。大学生の頃に日帰り強行軍で登ったことがあるのだが、その姿通り骨のある山だったという印象が残っている。
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(遠景・右が両神山、左が甲武信ヶ岳)

 更にその左には、雲取山(2017m)から西へ、甲武信ヶ岳(2475m)までの山々が連なっている。いわゆる「奥秩父」の山々なのだが、なるほど、宝登山の方角からこうして眺めると、秩父の遥か後方にこれらの山々が聳えている。「奥秩父」という言い方は、秩父から南西方向を眺めた時の言い方であることを改めて認識することになった。
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(彼方に連なる奥秩父の山々)

 ロウバイ園に向かう道に少し傾斜があるので、家内と私で母の前後を固めるようにして歩く。入口の斜面には福寿草の花があちこちで温かい陽の光を浴びている。
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 そして、そこから続くロウバイ園は、本当に今が見頃だ。それも、最盛期ではなくてまだ蕾を幾つも残している様子が実にいい。
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 青空によく映えるロウバイの花の鮮やかな黄色を楽しみ、その芳香に酔いながらゆっくりゆっくりとロウバイ園の緩やかな坂道を登ると、宝登山の山頂の標識がすぐ先にあった。母を連れて、まさかここまで歩いて来られるとは思っていなかっただが、ロープウェイを利用せずに山麓から自分の足で登って来たと思われる人々も山頂には大勢いて、なかなかの賑わいだ。そこからも、両神山がよく見えていた。
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 その両神山を眺めていた時、私のすぐ右から、妙に聞き覚えのある元気な声が耳に入って来た。そして、声の主の方を向いた次の瞬間、私はもう声を上げていた。

 「Iさんですよね!お久しぶりです。」
 「おお、もしかしてK君? いやあ久しぶり。それもこんな所で。」

 Iさんは私の高校山岳部時代の一年先輩だ。卒業以来、山でご一緒したことは殆どないのだが、夜の集まりなどでたまにお目にかかることもあった。直近でお会いしたのは3年ぐらい前のことだろうか。今日はご夫妻で来られていて、天気の良い日にはこうしてお二人で外を歩くことが時々あるそうだ。

 挨拶も早々に、Iさんと私は奥秩父の山並みを指差しながら、どれがどのピークかという話をしていた。Iさんの代は、高一の春合宿(3月)で、今ここから見えている雲取山から甲武信ヶ岳までの間を縦走している。その時のことにも話題が及んだ。

 「そうそう、毎日雪ばっかりで大変な縦走だったなあ。」

 その奥秩父の山々を彼方に望む宝登山の山頂で、思いがけずIさんにお会いするとは、何という奇遇なのだろう。山の神様も実に粋な計らいをしてくれたものである。
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(遠景・左のピラミダルな山が武甲山)

 山の上で一時間ほどを過ごした私たちは、ロウバイ園の一角で一休み。母が用意してくれたお手製の稲荷寿司を食べてお腹を満たす。それからゆっくりとロープウェイの駅へと戻ると、正午を少し過ぎた頃だった。

 ロープウェイの山麓駅に下りると、これから宝登山に上がる人々の朝にも増して長い列が出来ていてびっくり。今からロープウェイに乗るには二時間待ちだそうだ。そして、駐車場の前には依然としてクルマが長蛇の列をなしている。この混雑に巻き込まれなくて本当によかったと再び思いながら、私たちは帰路に向かった。
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(梅とロウバイの競演)

 秩父は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征伝説に関連した言い伝えが各地に残っている。雲取山の北方の麓にある三峰神社、秩父市内の椋神社、そしてこの宝登山の麓の宝登山神社などは、いずれも景行天皇の御世、つまり日本武尊東征の時代の創建とされている。記紀の記載にある通り、日本武尊が甲斐から雁坂峠を越えて上州へ向かったとすれば、三峰神社や椋神社、そして宝登山は概ねその通り道になるし、その東征の過程で日本武尊が山の姿を八日間見続けたことから、「八日見山(ようかみやま)」が「両神山(りょうがみやま)」になったという説もあるぐらいだ。
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 仮にこの東征伝説が、日本武尊に象徴される大和朝廷による東国支配の過程を神話化したものだとして、甲斐から標高2082mの雁坂峠を越えて秩父に入り、更に無数の山々を越えて上州へと向かうルートはいったい何を意味しているのだろう。地図も道路もない時代とはいえ、なぜこんなに山ばかり越えるルートを選んだのだろうか。

 秩父は盆地の南側を奥武蔵の高い山々に阻まれ、さらにその先に奥多摩や奥秩父の山並みが東西に走っているために、外の世界とのアクセスは東の寄居方面に限られてきた。1998年に雁坂峠の下を貫くトンネルが開通するまで、山梨県側への自動車交通はなかったぐらいだ。それだけに、景行天皇の時代に雁坂峠を越えたというのは途方もない話で、宝登山の山頂から山々を眺めてみると、その「途方もなさ」を実感せざるを得ない。そうなのだが、古代人のバイタリティーには、実は我々の想像を超えたものがあったのではないかと思わないでもない。大海原のような秩父の山々を眺めていると、こちらの気分もどこか雄大になっていくから不思議なものだ。

 ともあれ、文明の利器のおかげで楽をさせてもらっている私たちは、帰路の途中に「道の駅」で地元の野菜を買い求めたりしながら快調に高速道路を走り、午後2時半には実家に戻ることが出来た。ちょうど6時間の遠出。今が旬のロウバイの花を楽しみ、母にも喜んでもらえた。普段とは違って坂道の上り下りがあったから少し疲れたかもしれないから、今週の後半はゆっくりしてもらうことにしよう。
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 宝登山にはロウバイ園に隣接して大きな梅園もある。梅はまだごく一部しか咲いていなかったが、それも遠からず見頃になることだろう。また機会を見て出かけてみようと思う。

 なお、宝登山の山麓では杉の植林が既に真っ赤になっている箇所が幾つもあった。花粉症持ちの方々はご用心を。

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