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旧正月 [季節]


 2015年2月18日(水)。今日は旧暦の大晦日にあたる。中国では今日から年末年始の長い連休になるから、私の会社でも中国向け営業担当のセクションは、さすがに今日は静かな一日だった。

 昨日は広東省深圳の現地法人の総経理から「年末挨拶」のような電話をいただいたが、深圳でも街の中はもうクルマが少なくなって、バスに乗ると目的地にやたらと早く着いてしまうと言っていた。総経理は家族を連れて故郷の北京でお正月を過ごすそうだが、国中がそうした「民族大移動」なのだから、さぞかし大変なことだろう。

 月の満ち欠けの1サイクルを一月とする太陰暦。そのままだと太陽暦に対して1年で11日短いから、年によって閏月を設けることで太陽暦とのズレを補正してきた。だから、太陽暦をベースにした二十四節気のそれぞれが毎年ほぼ同じ日であるのに対して、その太陽暦から見た太陰暦の1月1日は、年によって日付が異なるのだが、それは大寒(1月21日頃)の翌日から雨水(2月19日頃)の当日までの幅の中で動いている。
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 大寒の翌日から雨水までというと31日間だから、その両端を比較すれば日の出の時刻が24分、日の出の方位角が10.7度ほど違うから、同じ元日でも年によって太陽の見え方は違ったはずである。大寒の翌日は七十二候では「款冬華(ふきのはなさく)」だから、凍てつくような寒さの中で蕗の花がひっそりと咲いている頃だ。太陽暦の元日よりももっと寒い時期だろう。
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 太陽暦を座標軸にしている現代の私たちから見ると、このように二十四節気の中を旧正月が毎年動くのだが、見方を逆にして旧正月に座標軸を置くと、二十四節気の方が毎年動くことになる。大寒と雨水の中間にある立春は、旧正月より早く来たり後に来たりする訳だ。日本でも旧暦を使っていた明治5年まではそうだった。

 (ふる年に春立ちける日よめる)
 年の内に春は来にけり一年を去年とや言はむ今年とや言はむ (在原元方)

という古今和歌集の巻頭の歌はまさにそのことを言っているのだが、今年もこのパターンである。それも、雨水が旧正月に重なるという、雨水が最も早くやって来る(現代の私たちの目線では、旧正月が最も遅くやって来る)ケースである。

 明日、2月19日の七十二候は「土脉潤起(土脈潤い起こる)」だから、雪が雨にかわり、大地に潤いが行きわたる時候である。今夜の関東地方が冷たい雨が雪にかわるという予報で、土脉潤起とは逆のベクトルのようだが、西高東低の冬型が長続きせずに、こうして周期的に雨が降るようになったのだから、寒さの季節ももう少しの我慢なのだろう。

 二十四節気と同様に中国オリジナルで、現代の私たちにも馴染みが深いのは、十干十二支の干支(えと)である。

 古代の中国では10日間が一つの時間単位になっていて(今でも「旬」という言い方が残っている)、その10日の一つ一つに甲・乙・丙・丁・・・という名前が付けられた。それが十干である。一方の十二支の方は、モノの本に寄れば、木星が地球を一周するのが約12年なので、空の方角を12に分けて、それぞれに動物の名前を付したのがその始まりなのだそうである。この十干と十二支が組み合わされて、60年を1サイクルとする年の数え方になったのは言うまでもない。60年たって元の十干十二支に戻るのが「還暦」という訳だ。

 十干十二支は、やがて陰陽五行説と結びつき、「木・火・土・金・水」と陰・陽を表す「兄(ね)」と「弟(と)」の組み合わせと対応するようになった。
chinese zodiac.jpg

 今年、2015年は「乙未(きのとひつじ)」である。乙は「木の陰」で未は「土の陰」。木と土の組み合わせは「木剋水(木が土の養分を奪う)」という「相剋(克)」の関係にあるといわれる。「水生木(水が木を生じる)」というような「相生」の関係とは逆で、何かを滅ぼしてしまうことを示しているそうである。

 羊という字は「吉祥」の祥と同じ読みだから、中国人にはおめでたい動物である。いつも群れをなして暮らす穏やかなイメージがあり、家畜として特に中国の北の方の生活には欠かせないものだ。それが乙(きのと)と組み合わさることで相剋の世になるとは、一体いかなることなのか。

 もっとも、今年に入ってイスラム国の姿が世界中を脅かし、テロと空爆の応酬が更なる憎悪を招いていることを考えると、この陰陽五行説にも何やら含蓄がありそうである。

 そんなことを考えながら、今月の初めに深圳に出張した帰りに香港に立ち寄った時、街の中でちょっと面白いディスプレイを見つけた。旧正月を二週間後に控え、繁華街は干支の飾り付けで一杯だったのだが、この時に出会った羊たちは、今までに見たこともないカラフルなものだったのだ。
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 私たちは普段、羊は白いものだと決めつけている。真っ先に黒い羊を思い浮かべる人がいたとしたら、それは相当な変わり者だと思われることだろう。英語でも”black sheep”といえば集団の中での厄介者というような意味である。

 そこへ行くと、香港で出会った羊のディスプレイは実に多彩だ。こうして眺めていると、その多彩さには何の不思議もないし、いいや羊は本来白いものだと言う方が野暮というものだ。そして、私たちが生きていく世の中というものも、多彩であることに対してそのように寛容であるべきではないのだろうか。外見はどんな色をしていても、お互いに羊として認め合うことは出来るはずだ。しかし同時に、そこには羊の群れの中で守るべき最低限のルールがあることもまた、忘れてはならないだろう。

 出張先の異国で思いがけず出会ったパステル・カラーの羊たちに、ちょっぴり救われたような気分になった。

the year of sheep 02.jpg
 

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