春の巡礼 - 上高地・小梨平 (1) [山歩き]
土曜日の朝8時少し前、山仲間のT君が運転するクルマは、中央自動車道の勝沼ICを過ぎて甲府盆地へと入った。正面に櫛形山と鳳凰三山が春霞の中にその姿を見せている。晴れれば遠くの山々がくっきりと見えていた冬とは違って、今朝の南アルプスは淡く明るい光の中にあり、その輪郭もどこか穏やかだ。今年ももう、そんな季節になった。
そのまま走り続けて須玉ICで中央道を降りると、そこで待っていたS先輩のクルマと合流。私たちは須玉町内にお住まいのI先輩のご自宅へと向かう。中央道の出口からは本当にすぐだ。奥様も出ていらして、コーヒーや自家製の甘酒をご馳走になる。ご自宅の前から眺める南アルプスは、甲斐駒のピークに少し雲がかかっていたが、地蔵岳のオベリスクがよく見えていた。
今日のメンバー6人が揃ったので、スタッドレス・タイヤを履いたIさんとSさんのクルマに荷物を積み替えて、私たちは8時50分にIさん邸を出発。上高地の手前の坂巻温泉を目指す。再び乗った中央道からは春霞の中にも結構高い山々のピークが見えていて、この先の天候も良さそうだ。
「雪の上高地と穂高・岳沢を見に行きませんか?」
私の高校時代の山岳部で4年先輩のEさんからそんなお誘いのメールが来たのは、今年1月23日のことだった。山岳部では伝統的に穂高の岳沢を夏合宿のベース・キャンプにしていたので、「岳沢」という言葉に歴代の山岳部員には特有の思い入れがある。上高地から眺めるとまるで扇を開いたような岳沢の谷の形と、その上に西穂高岳から明神岳までの岩稜がズラリと並ぶその姿を聖なるものとして崇めるのは、世代を超えて私たちに共通のDNAなのである。
この時期、上高地へと向かう道路は、釜トンネルから先の最後の約6.5kmが冬季閉鎖のままだ。雪を踏みながらこの区間を歩かねばならない。当然のことながら上高地の宿泊施設も全て閉鎖中だから、スノーシューやクロカン・スキーで上高地を訪れる人たちも殆どは日帰りだ。それならば我々は冬用テントを持って行って小梨平で幕営し、静かな上高地を楽しんでみないか?というのがE先輩のご提案だった。
積雪期の幕営なんて、私自身は大学を出て以来のことだから実に35年ぶりになる。それでも、本当の山の中に入るのではなく、標高1500mの上高地・小梨平だから、昔の杵柄でも何とかなるのではないか。そんな訳で、私を含めた高校山岳部OBの6人が「上高地野営隊」として出かけることになった。但し、6人の平均年齢は62.8歳。T君と私が最年少だ。「野営隊」といっても些かシルバー組ではある。
中央道を順調に走り、松本ICで降りて国道158号に入ると、正面の彼方に常念岳のピラミダルなピークが見えている。全般に春霞がかかってはいるが、北アルプスも案外と天気はいいのだろうか。期待を胸に、奈川渡ダムあたりからは周囲に雪を見ながら走り続け、私たちはちょうど10時30分頃に坂巻温泉に着いた。
身支度を整えた後、坂巻温泉のマイクロバスに乗り込み、11時5分に釜トンネルの前に到着。警察官に登山届を提出し、行動内容や装備、経験の有無などの確認を受けて、いよいよ出発である。
釜トンネルを歩く
私たちの学生時代、釜トンネルは昔のものだった。上からの落石を防ぐ鉄製のロック・シェッドが右側から道路の真上を覆う箇所がしばらく続き、やがてトンネルに入る。戦前に建設されたもので、トンネル自体は500m強と短いが、狭小・急勾配にして急カーブ。壁面には手掘りの跡が残り、バスの中から見ていてもどこか気味の悪いトンネルだった。当然のことながら片側通行なので、夏の観光シーズンには釜トンネルの信号待ちで随分と長い渋滞が出来ていたものだ。
対面通行の出来る今のトンネルが供用されたのは、今世紀になってからのことだ。まずは上流側から「上釜トンネル」が建設されて、旧トンネルの途中で合流。次に下流側から新たなトンネルが掘られて上釜トンネルに接続。それを機に旧トンネルは全く使われなくなった。現在のトンネルは全長1,310mである。
11時15分、トンネルの中へと私たちは歩き出す。吹き込んだ雪が路面に残っているのは最初のうちだけで、その後は路面の凍結もなく、コンクリートの歩道を淡々と歩くことになる。一定の斜度の登り坂が延々と続く感じである。全長1,310mで標高差は145mだから、平均斜度は110.7‰。箱根登山鉄道の最大斜度が80‰、今の日本の鉄道で唯一アプト式の大井川鐡道・井川線の最大斜度が90‰だから、110.7‰という斜度は人間の足にとってもそれなりの勾配である。
途中、天井に照明のある箇所も一部あるのだが、それ以外は真っ暗だから、ヘッドランプを点灯して歩く。梓川の上流ではこの時期も土砂の浚渫作業が行われているようで、途中で数台のダンプ車が上から下りて来た。
暗闇の中を歩くこと27分。私たちはようやく出口に到着。周囲の雪の量は、やはり入口側よりはずっと多い。そして、産屋(うぶや)沢を橋で渡る所からは、道路にもしっかりと雪が残っていた。
時刻は正午に近い。途中で小休止を取り、行動食でエネルギーを補給。そこからは雪を抱いた焼岳(2456m)が墨絵のように見えていた。
大正池へ
今回のルートで、私が密かに楽しみにしていた箇所がある。それは、釜トンネルを抜けてこの道路を進み、二つ目の大きな右カーブを切った瞬間に穂高連峰が視界に飛び込んで来る場所である。晴れた日にバスでそこにさしかかると、乗客から歓声が上がる所なのだ。昭和48年の夏、当時高校二年生だった私も、その瞬間に声を上げた一人だった。
今回、その瞬間は12時21分に訪れた。右カーブの頂点に達した直後、彼方に壁のような山並みが目の中に飛び込んで来たのだ。奥穂高岳と西穂高岳は雲の中だが、前穂高岳と明神岳の稜線はよく見えている。バスに乗っている時と違って、この景色が歩く速度で展開してくれるのは何とも嬉しいことである。岳沢を目指してやって来たという実感が改めて湧いてくる。その時、私たち6人の体はきっとアドレナリンで一杯だったのだろう。
(初めて穂高が見える場所)
(穂高のクローズアップ)
このカーブから更に10分ほど歩くと、いよいよ大正池の末端に出る。その先には有名なビューポイントがあって、観光バスなら速度を落として見せてくれる場所だ。そして、そこに現れたのは、湖面が凍結した大正池と、その背後に聳える穂高の山並み、そして明るい岳沢の谷だった。彼方の聖地を遠望して、私たちは子供のような歓声を上げた。
(大正池と穂高連峰)
(ふり返れば焼岳がきれいだ)
吊尾根にかかっている雲は、きっと晴れてくれるだろう。それを信じて、私たちは小休止もそこそこに、再び雪を踏んで歩き始めた。
(To be continued)
2015-03-16 23:10
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やっと上梓されました
いや~。ここまで晴れたのは貴君のおかげです
おととし、昨年は天気予報どおりの快晴だったので、今回予報の曇りマークをぶっ飛ばしてくれました
こんなに晴れるとは思いませんでした
少しずつ、雪山の感を取り戻して、高いところを目指しましょう
次の貴君の目標は、坂巻宿泊かな?
by T君 (2015-03-18 19:09)