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上野と東京 [鉄道]


 あれは確かリーマン・ショックが起きるちょうど1年前のことだったから、2007年10月のことだったと記憶しているのだが、ヨーロッパ出張中に迎えた週末に、私はちょっとした鉄道旅行をしたことがあった。

 金曜の夜にフランクフルトで仕事が終わり、翌・土曜日のうちにロンドンへ移動すればいいだけの行程。普通なら飛行機に乗れば直ぐなのだが、それも何だか味気ない。私は一計を案じて列車を乗り継ぐことにしたのである。

 朝の8時半にフランクフルトを出て正午にパリに着く直通の特急に乗り、パリでユーロスターに乗り換えれば、ドーバー海峡をトンネルで越えて夕方の早い時刻にロンドンに着く。ロンドンでは知人と晩飯を食べる約束をしていたが、それにも十分間に合うだろう。
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(フランクフルト中央駅)

 そうやって国際列車に乗ってみたのは、やはり自分にとっては得がたい経験になった。ドイツ西部から列車に揺られてロレーヌ地方を通過してフランスに入るというのは、車窓を眺めているだけも実に楽しいものだ。そして、パリ東駅に近づいて列車が速度を落とし、モンマルトルの丘の上に建つサクレクールの白亜の教会堂が窓の外に見えると、パリにやって来たという実感が湧いてくる。
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(パリ東駅)

 もっとも、パリ東駅に着いた後は、ユーロスターが出るパリ北駅まで歩くことになる。(天気が良かったから、それはそれで楽しい散歩にはなったのだが。) そして、ロンドンでのユーロスターの終着駅は、当時はまだウォータールー駅だったから、テムズ河の北側のロンドン中心街まではまだちょっと距離がある。要するにヨーロッパの大都市では、長距離列車の出る駅が方面ごとに分かれていることを今更ながら実感することになった。しかも、ヨーロッパのそうした終着駅はだいたいが行き止まり式の駅だから、駅から駅への移動は地下鉄などを利用することになる。
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(ユーロスターに乗るのはパリ北駅)

 東京でも、JRの長距離列車が出る駅は東京、上野、新宿の3駅なのだが、それらは同じJRの環状鉄道・山手線によって繋がっているから、ヨーロッパの駅よりは便利だ。今の私たちはそれを当たり前のことのように思っているが、東京がそんな姿になったのは、実はこの90年ほどのことなのである。

 よく知られているように、駅の開設時期は上野の方が東京駅よりもずっと古い。明治時代に日本初の私鉄である日本鉄道が、現在の高崎線の前身となる上野・熊谷間の鉄道を明治16(1883)年に開業した、その時の起点となったのが上野駅だった。

 そして、日本鉄道は上野駅の南に貨物駅を設けた。荷物を降ろした後に神田川の水運を利用することを視野に入れていたようで、その貨物駅は上野駅から真っ直ぐ南に線路を延ばして神田川にぶつかる手前に建設された。それが秋葉原貨物駅である。上野駅の開業から6年後の明治23(1890)年のことなのだが、明治の末期には東京向けに出荷された米がもっぱらこの駅に集まったというから、貨物駅としては活躍を続けたのだろう。
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(明治時代の地図)

 明治時代の上野駅周辺の地図を見ると、現在の山手線や京浜東北線の高架よりも東寄り、昭和通りの一本西寄りに地上鉄道が南に走っている様子がわかる。昔ながらの住宅の密集地の中を通る鉄道線路。もちろん当時は蒸気機関車の時代だから、貨物線とはいえ沿線住民は難儀をしたに違いない。

 一方、手狭になった上に皇居からも遠い新橋(汐留)駅に代わる東京の新しい中央駅として、東京駅が開業したのは大正3(1924)年12月。日露戦争後の国威発揚の気分も多分にあって、皇居を望む丸の内側に赤レンガ造りの堂々とした駅舎が建てられた。私鉄の駅としてスタートし、後に明治39(1906)年の鉄道国有化で国の物になった上野駅とは違って、東京駅は初めから官設鉄道の駅である。

 当時は、国の威信を体現する中央駅の建設と共に、ドイツに倣って都市の外縁部を環状に結ぶ高架の電車線を建設することが帝都東京の課題。大正8(1919)年には東京駅と中央線の万世橋駅が線路で結ばれ、神田駅が開業。残る区間は上野・神田間の高架線だ。そこがまだ開通していないから、立川方面から中央線を走ってきた「国電」は、神田から東京→品川→池袋→田端を回って上野で折り返すという「の」の字運転をしていたのだった。
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 江戸時代に、馬に乗ることが許されず、江戸城の警護や将軍出行の際の行列の先導を徒歩で務めた下級武士たちを、人々は「徒士(かち)」と呼び、彼らによって編成された隊のことを「徒組(かちぐみ)」と呼んだ。上野と神田の間には、そうした徒士たちが住む長屋が数多く並んでいたという。また、浅草寺や上野の寛永寺など、数多くの塔頭を持つ寺が周辺にあったので、仏具や銀器などの飾り職人も多く住み、江戸時代から住宅の密集地を形成していたようだ。大正時代になってからそこに高架の鉄道を建設するというのは、さぞかし手間隙のかかることであったのだろう。加えて、大正12(1923)年には関東大震災が起きた。

 それやこれやで計画からは遅れたものの、大正14(1925)年の11月に、この区間の電車線がようやく開業。既にあった秋葉原貨物駅が旅客の取り扱いを始めると共に、かつては徒士の長屋が続いていた場所に「御徒町(おかちまち)」駅が開業した。山手線で戦前に設けられた最後の駅である。

 ようやく線路が繋がった上野と東京。それでも、東北本線・高崎線の列車は上野止まり、東海道線の湘南電車は東京駅止まりという意識が私たちにはあるのだが、実はこうして線路が繋がった大正14年11月1日をもって、東北本線の起点は上野から東京に移されているのだ。だから、東北本線や高崎線を走ってきた列車が上野を越えて東京駅まで乗り入れてもおかしくない、というかそれが本来の姿なのだろう。

 事実、山手線・京浜東北線の他にもう一線ある線路を使って、上野・東京間を走る中・長距離列車はかつて存在していたのである。昭和43年10月の全国ダイヤ大改正(いわゆる「ヨン・サン・トオ」)以前の、全国にまだ多数の準急が走っていた時代には、日光発・伊東行きの準急「湘南日光」などが運行されてていたし、その後の特急大増発の時代には、奥羽・東北本線、上越・信越・高崎線、そして常磐線の特急の一部が、若干の普通列車と共に東京発着になっていたのだ。そして、お盆の時期には東北方面行きの夜行列車の一部が品川始発になったりしていたものである。
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 時代が変わったのは、東北新幹線が開業してからのことである。

 昭和57(1982)年6月に盛岡・大宮間で暫定開業した東北新幹線は、昭和60(1985)年3月に上野まで延伸。そして平成3(1991)年には東京駅までの延伸を果たすのだが、そのためのスペースを確保するために、既存の東北本線用の線路が秋葉原・神田間で分断されることになった。臨時列車も含めて、中長距離列車の上野・東京間の直通運転は、昭和58(1982)年1月限りで廃止。東北本線の起点は東京駅のままなのに、それ以来上野・東京間を実際に結ぶのは山手線・京浜東北線だけになった。大正14年に神田・上野間の電車線が開業してから、ちょうど60年後のことだった。

 それから32年。上野・東京間で続いてきた山手線・京浜東北線の混雑解消を目指して、今年3月14日にJR東日本は「上野東京ライン」を開業。宇都宮線・高崎線と東海道線の列車が上野・東京経由で相互乗り入れを行うと共に、常磐線の一部列車が品川まで乗り入れることになった。
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 JR東日本のHPに上野東京ラインの車窓動画が載っているので、それを眺めてみよう。

 北行きの電車は東京駅を出て首都高速道路をくぐった後、結構な急勾配で新設の高架橋を上がり、神田駅の上を乗り越えるようにしていく。最初は右側を並走していた東北新幹線の線路はこの区間で新高架橋の下に入るのだ。そして今度は下り勾配で新高架橋を終えて、秋葉原駅の直前で他の線路と同じ高さになり、右側に再び東北新幹線の線路が現れて、共に総武線の線路をくぐる。秋葉原を過ぎると新幹線は地下に潜り、上野・新宿ラインは山手線・京浜東北線と同じ既存の高架を走る。このあたりは元からあった東北本線の線路を走っている印象だ。御徒町駅にかけて、高架の一番東寄りにあった留置線も昔のままである。

 かつては一部列車の上野・東京間の乗り入れだけだったこの区間が、今回の「上野東京ライン」の開業によって、多数の列車が相互により奥深くまで乗り入れることになった。それまで東海道線用に2面4線を使っていた東京駅のキャパが増えた訳ではなく、南行きの電車を東京止まりにしている余裕はないから、そうならざるを得ないのだが、湘南新宿ライン的な便利さがあることは確かである。また、常磐線の延伸は明らかに今の品川駅のキャパを使えるから実現したことだ。

 32年ぶりの先祖帰りを果たした上野・東京間。単なる先祖帰りに留まらず、これからも様々な工夫・改良を加えて利便性を高めて欲しいものである。

 

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