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こまち21号 [鉄道]


 4月22日、出張先の東北地方は快晴の空の下にあった。仙台以北はどこも桜が満開で、始まり出した木々の新緑と共に淡い色彩が東北新幹線の沿線に溢れている。そして青空をバックに聳える東北各地の残雪の山々を車窓から眺めるのは、この季節ならではの楽しみである。

 朝から午後の早い時間まで各地で用件をこなした後、盛岡にやって来た私は、15時35分発の秋田行き「こまち21号」に乗車。いわゆる秋田新幹線である。これから走る路線の正式名は田沢湖線だ。小岩井、雫石、田沢湖、角館(かくのだて)などの駅を経て大曲までの単線鉄道で、大曲からは進行方向が逆になって奥羽本線に入る。終点の秋田まで、1時間半ほどの列車旅である。
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 この出張に一緒に来てもらった課長のTさんと二人で、進行方向右側の席に陣取ることにした。この区間に乗るのは初めてなのだが、おそらく右側の方が山の景色がいいと踏んでいたのだ。今日の仕事上の用件は全て終わり、後はこのまま秋田に移動するだけだから、Tさんも私も気楽なものである。
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(JR東日本のHPより拝借)

 茜色のボディーの「こまち21号」は、定刻通りに盛岡駅を発車。東北新幹線から分かれて電車が左カーブを切り始めると、車窓の彼方には岩手山(2,038m)が早速姿を見せる。2,000m級の山だけあって、この時期は残雪が実に豊富だ。本当に形のいい山で、眺めているだけで山心を掻き立てられてしまう。
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 最初の駅の大釜で上りの「こまち24号」と交換した後、その次の小岩井駅の前後から、岩手山の西に連なる山々が見え始めた。その中で、標高の高い稜線の一番西にあたるのが秋田駒ヶ岳(1,637m)だ。このあたりでは、岩手山、秋田焼山と共に気象庁による噴火警戒レベルの対象になっている火山である。
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 昨年の夏、旧友のT君と二人で秋田・山形両県の境にある鳥海山(2,236m)に登った時、その山道の途中から秋田駒ヶ岳と岩手山のピークが並ぶように見えていたものだった。その秋田駒ヶ岳から南に向かって山並みが続く。私が今乗っている電車は、これからその山並みをトンネルで越えていくのである。

 東北地方の中央部分を背骨のように南北に500kmも走る奥羽山脈。東北本線の各地から、その奥羽山脈を東西に横切るように敷設された鉄道路線は全部で7線。北から順に、花輪線、田沢湖線、北上線、陸羽東線、仙山線、奥羽本線(米沢・福島間)、そして磐越西線である。
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 この内、北上線以南の5路線は1892(明治25)年の鉄道敷設法によって路線の建設が定められた路線で、奥羽本線の米沢・福島間(明治32年開業)を皮切りに、比較的早い時期に建設されている。磐越西線、陸羽東線、北上線はいずれも大正時代に全線開業し、仙山線も昭和12年の全通である。

 そして、この7路線の中で最も北にある花輪線(大館~好摩)は、1922(明治40)年の改正鉄道敷設法によってその一部が建設予定線として定められ、既に開業していた私鉄の秋田鉄道や軽便鉄道の路線と繋がって1931(昭和6)年に全線が開通している。

 それらに対して田沢湖線は、この7路線の中では全線開通が最も遅く、唯一戦後になってから全線開業に漕ぎつけた路線である。秋田県側が大曲から、そして岩手県側が盛岡から、共に大正時代に軽便鉄道として開業していたのだが、秋田県の生保内(おぼない)駅(現在の田沢湖駅)と岩手県の雫石駅の間が、奥羽山脈を横切る険しい地形であり、この区間の建設計画が認められたのは昭和に入ってからのことだったという。だが、日中戦争の激化によって工事は中断し、戦時の統制時代に入ると不要不急線と見なされてしまう。戦後、鉄建公団によって残る区間の建設が始まり、全長3,915mの仙岩トンネルで奥羽山脈を貫いて田沢湖線の全線が繋がったのは、昭和41年のことである。
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 だから、東海道新幹線が開業した昭和39年10月現在の鉄道路線図を見ると、現在の田沢湖線はまだ生保内線と橋場線に別れたままになっている。(橋場線は雫石から先の二駅が新たに建設された状態だ。)
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(弘済出版社『大時刻表』 昭和39年10月版より)

 因みに、この時代には現在の北上線が「横黒(おうこく)線」と表記されているのも興味深い。これは北上の旧名が黒沢尻だったことから、横手と黒沢尻の頭をそれぞれ取って横黒線となっていた訳だ。

 そんな事情で全線開業時期が遅くなった代わりというべきか、1982(昭和57)年の東北新幹線の開業(大宮・盛岡間)に合わせて、田沢湖線は全線が交流電化となり、新幹線接続用に秋田・盛岡間を結ぶ特急が走る路線となった。奥羽山脈を横断する上記7路線の中で完全電化しているのは、幹線扱いの奥羽本線を別にすれば、仙山線とこの田沢湖線だけである。

 電車は雫石駅を過ぎ、川沿いに春木場駅、赤渕駅と進んで行くと、路線は狭い渓谷の中へと入り込み、車窓は一気に山深い景色になっていく。所々に残雪も現れ始めた。それでも木々の芽吹きは始まっていて、線路のすぐ脇には水芭蕉が自生している場所が幾つもあった。東北の春は本当に美しい。

 「『秋田新幹線』っていうけど、スピードは結構ゆっくりしてるんですね。」

 通路側の席に座ったTさんが言う。確かに赤渕駅を過ぎてからは列車の速度が顕著に落ちて、トロトロとした走りになった。盛岡・田沢湖間40.1kmを32分間で走るから表定速度は75.2km/hなのだが、窓の外を眺めている限りでは、今はそれよりも遥かに遅いスピードである。

 「これからがいよいよ山越えの区間だからね。勾配もきつくなったんでしょう。」

 私たちが乗っているE6系「こまち」は、東北新幹線の八戸・新青森間の開業時に「はやぶさ」としてデビューしたE5系電車に併結されて新幹線区間を走る場合には、最高時速320km/hでの走行が可能な車両である。そのスマートな車両にこんな山深い景色は何とも不釣り合いなのだが、昭和41年にこの山越えの区間が開業した時には、それから半世紀も経たないうちにこんな新幹線車両が走るようになるとは、想像も出来なかったに違いない。

 やがて、線路を覆うスノー・シェルターが現れた。奥羽山脈を横断する仙岩トンネルの東側に設けられた大地沢信号所だ。赤渕駅とトンネルの西側の田沢湖駅の間が18kmもあるため、トンネルの西側の志度内信号所と共に設置され、列車交換用に使われている。あたりは深い渓谷の中。冬ともなれば相当な積雪量となる場所なのだろう。
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(仙岩トンネルの東側)

 そして、列車はいよいよ仙岩トンネルを通過。更に二つのトンネルを抜けると再びスノー・シェルターをくぐり抜けて志度内信号所を過ぎる。トンネルに入る前に見えていた沢は列車の進行方向とは逆に流れていたのに、今見えている沢は列車と同じ方向に流れている。やはり仙岩トンネルによって分水嶺を越えたのだ。窓の外はもう秋田県である。
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(仙岩トンネルの西側)

 景色が一度広々となって、16時07分に田沢湖駅に到着。ここで上りの「こまち26号」と交換してすぐに出発となる。列車は再び谷の中を走るようになるのだが、それを過ぎて田園風景が広がるようになると、田んぼの向こうから秋田内陸縦貫鉄道の細々とした単線のレールがこちらに向かってくる。それが合流すると、角館だ。16時20分着。ダイヤ通りである。

 角館を過ぎて、進行方向の右側に席を取ってよかったと改めて思う眺めに出会った。玉川の左岸に続く満開の桜並木だ。小京都とも呼ばれる角館は桜の名所なのだそうで、平日の午後だというのに、この駅で乗降する旅行者が外国人も含めて結構多かった。私たちは出張とはいえ、桜がまさに満開の時期に秋田新幹線に乗る機会を得たのは何とも幸運であったというべきだろう。

 列車は更に田園風景の中を走り、南西から南東へとほぼ90度の右カーブを切って、右からやって来る奥羽本線の線路と並走するようなる。間もなく大曲なのだが、ここで私はその線路の様子を注視していた。ここは秋田新幹線用の標準軌(軌間1,435mm)と奥羽本線用の狭軌(同1,067mm)の二種類の線路が並ぶ区間なのである。
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(手前が標準軌、奥が狭軌)

 秋田新幹線を運行するためには、在来線部分に標準軌を設けなければならない。田沢湖線は1996(平成8)年の3月から約1年をかけて全線を改軌することになり、この間は全列車の運行を休止して代行バスが用意されると共に、秋田と東北新幹線を結ぶ連絡特急はこの期間だけ北上線経由になった。一方、奥羽本線の大曲・秋田間は、複線の内の片方が標準軌、もう片方が狭軌となり、その内の一部区間は狭軌側が三線軌条となり、「こまち」同士の列車交換が出来るようになっている。

 16時31分、大曲着。ここで進行方向が逆になり、列車が再び動き出すと、窓の外は線路の西側(日本海側)の景色が南方向へと流れて行く。大曲まで来れば秋田はすぐかと思っていたら、この「こまち21号」でもこの区間に37分を要するダイヤになっていて、盛岡・秋田間の全所要時間の4割ほどがまだ残っていることになる。やはり東北地方は南北に長いのだ。

 そのうちに、凡そ南西の方角の彼方に雪を抱いた端正な形の山が見えていることに気がついた。この場所からこの方角を見て、まだ雪を抱いた富士山形の山といえば一つしかない。それは鳥海山(2,236m)である。今朝早くに東京を出てから、今日は東北各地の山々が車窓から見えていたが、昨年の夏に登った鳥海山までが姿を見せてくれるとは・・・。今日は出張に来ているという自分のステータスを、私はもう完全に忘れている。
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 「それにしても、色々な山をよくご存知ですねえ。見ただけでよく名前がわかるなあ。」
隣の席のT課長は、殆どあきれ顔だ。
 「まあ、昔取ったナントカってヤツですよ。それに、多少は予習してきたこともあるんだけどね。」
出張カバンの片隅に入れてきた『日本鉄道旅行地図帳』を取り出して見せると、Tさんはもう一度驚いた。
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 とりとめもない山野の景色とカーブが続き、やがて広い平野に出ると、時計は17時を回っている。反対側の窓の彼方には、目を惹く形の山が雪を抱いて聳えている。秋田の地酒の名前にもなった太平山(1,170m)だ。いよいよ秋田にやって来たという思いを強くする。
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 17時08分、定刻通りに秋田駅に到着。駅ビルを抜けて外に出ると、快晴の空の下、夕暮れ時の心地よい風が吹いていた。湿度もなくて実に快適である。T課長と私は駅から近いビジネスホテルに入り、それから街に出て秋田の酒と肴を楽しんだことは言うまでもない。
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 今回は背広姿での出張だったが、いつかまた、今度は自由気ままな旅のスタイルで、やはり桜と新緑の時期にこの地域を訪れてみたいと、強く思った。

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