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変わらずにいること - 丹沢・塔ノ岳 [山歩き]

 
 山道を登り始める。

 ゆっくりと歩みを進めるたびに、登山靴の底から伝わってくる土と岩と木の根の感触。鼻をくすぐる草の匂い。近くを流れる沢の水音。そして頭の上には深い森の緑と夏空の輝き。それらの全てが、何と懐かしいことだろう。
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 7月11日(土)の早朝、山仲間のH氏と私は久しぶりに丹沢にやって来た。小田急線の渋沢駅に7時前に集合し、タクシーで県民の森へ。そこから歩き始めて小丸尾根を登り、塔ノ岳(1481m)までのコースを歩いて足慣らしをするつもりだ。

 梅雨の季節だけあって、このところの天気は傘マークばかり。それが、この土日は台風の影響で梅雨の時期の気圧配置が一時的に崩れ、西日本は雨だが関東地方は夏空が広がって暑くなるという。そんな予報が出て山へ行こうという話がH氏とメールのやり取りで決まったのは、前日の金曜日のことだった。
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 小丸尾根を登る。7時40分過ぎにこの尾根に取り付いてからまだいくらも経たないのに、私たちは早くも汗まみれだ。天気予報の通り、朝からどんどん気温が上がっているようで、湿度も高く、おまけに森の中は風が吹かない。扇子を持って来なかったことが悔やまれるが、この暑い季節にそういう忘れ物をするあたりが、自分でもブランクを感じるところだ。何しろ3月の中旬に釜トンネルから雪を踏んで上高地を訪れて以来、私にとっては実に4ヶ月ぶりの山歩きなのだ。こんなにブランクが空いてしまったのは、直近6年間にはなかったことである。
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 思えば、この4月からはずっと仕事が忙しかった。週末にかかる出張も多く、5月の連休も殆どをそれに費やしてしまった。加えて、自宅マンションの管理組合の関係で引き受けざるを得ない仕事が増え、週末も何かと時間を取られている。そんな訳で、今年は山の新緑を眺める機会もないまま、気がつけば今はもう梅雨の末期だ。いつもの山仲間たちにも不義理が続いている。

 汗を拭き、水分を補給しながら山道を歩き続ける。塔ノ岳への登山道は何と言っても大倉尾根がメジャーで、上り下りの登山者も多いのだが、かなり人の手が加えられていて木道や石段などが多く、有り体に言えばあまり風情がない。それに対して小丸尾根はもっと素朴な登山道で、登山者もずっと少なく、ひっそり感がある。そして、同じ高度を稼ぐにしても、小丸尾根の方がはるかに歩きやすいのだ。

 足元に姿を見せた山のキノコ。木漏れ日に輝く鮮やかな緑。鳥のさえずり。樹林の中の黙々とした登りだが、そんな山道を愚直に歩いて行くことの楽しさ、何よりも山の中にいることの幸せを、改めて思う。
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(タマゴタケ)

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 登山道入口から一時間足らずで、「小丸まで1,000m」の標識に到着。そこからは山道が尾根の左側に出る時に鍋割山稜の一部が見える。上空はよく晴れているのに沢筋からどんどんガスが上がるという、丹沢特有のパターンが今日も始まっていて、山は白い世界の中だ。それでも、カンカン照りの中を登るよりはいいだろう。
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 更に一時間ほど登って、9時40分頃に小丸に到着。ガスに包まれて遠くの展望はないが、そのガスが少しの間だけ晴れた時に、夏の濃い青空がのぞいた。あたりの若々しい緑との鮮やかなコントラストが、やはり7月の山だ。
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 鍋割山稜の上に出たので、山道の傾斜は緩やかになった。丹沢では植生保護のために木道が整備されている箇所が多いのだが、この尾根道もその一つである。
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 20分ほど歩くと、右側から登山者の声が聞こえてくる。大倉尾根との合流地点・金冷シだ。このあたりからは左手に丹沢の最高峰・蛭ヶ岳(1673m)が見えてくる。目的地の塔ノ岳の山頂まで残り20分ほど。そして最後の階段状の登りをひと頑張りして、ちょうど10時半に私たちは塔ノ岳に着いた。

 小丸尾根登山口からここまで、標高差1,200mほどの登り。4ヶ月のブランクを埋める足慣らしとしては骨のあるコースで、足が攣ったりしないか心配がなくもなかったのだが、まずは順調にここまで来ることができた。それに、昨日一日晴れていたので、山道が思っていたほどぬかるんでいなかったのも幸いだった。
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(塔ノ岳頂上から眺める蛭ヶ岳と不動ノ峰)

 丹沢の「丹」は、古朝鮮語で「深い谷」を意味するという。そして沢はまさに谷を刻む渓流のことだから、丹沢という名前は山の尾根の形よりも谷の深さに注目した地名だと言えようか。確かに丹沢は昔から沢登りのメッカで、私の高校時代には今頃の季節になると山岳部で沢登りの日程が必ず組まれていた。そして、丹沢の勘七ノ沢などの遡行をしたものだった。

 晴れれば暑くなる今頃は、冷たい沢の水を浴びながらの遡行は涼しく、大きな荷物を背負っていないから体の動きも軽快で、実に楽しいものだった。何よりも、岩登りの基礎を先輩方から教わったのは、当時の自分にとっては実に新鮮なことだったのである。

 そうやって沢を詰め、最上部の草付を慎重に登り、花立あたりで尾根に出て昼食。その時も、丹沢ではあちこちの谷からガスがムクムクと湧き上がり、今日のような眺めが広がっていたことを、おぼろげながらも今思い出している。あの頃からもう40年余り。還暦の一歩手前になった私自身は、当時から変わった部分とちっとも変わらない部分とが斑(まだら)模様なのだが、少なくとも塔ノ岳から眺めるガスの中の丹沢は、少しも変わっていないのではないだろうか。
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(ガスが湧く鍋割山稜)

 11時10分、昼食休憩を終えて、私たちは大倉尾根の下りに取り掛かる。先ほどの金冷シまで戻って大倉尾根に入ると、稜線が痩せた「馬の背」では知らない間に岩場を迂回する木道が設置されていた。この尾根はとにかく登山者が多いから、安全のためにはこうした手当てが必要なのだろう。
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 塔ノ岳から30分も下ると花立山荘に着く。周辺のベンチは多くの登山者で満席だ、このあたりはカンカン照りになると上りも下りも辛い所だが、幸いにして今日はガスが強い日差しを遮ってくれている。それでも私たちは汗でびっしょりだ。

 木の階段の多い大倉尾根だが、ここから堀山の家までの間には小さな岩がゴロゴロしていて荒れ気味の箇所がしばらく続く。これだけ登山者が多いにもかかわらず、大倉尾根は何だか歩きにくい。昔のボッカ訓練のイメージが残っているからか、自分の中で大倉尾根のイメージが何十年経ってもいっこうに改善しないのは、残念なことだ。

 それはともかく、12時10分に堀山の家に到着。実は、大倉尾根の下りはここからが長く、まだあと1時間半ほど歩かねばならない。そして、この時間になっても塔ノ岳を目指して登って来る登山者と頻繁にすれ違う。

 高度が下がると、その分だけ暑さが増してくる。行動中に補給した水分は全て体の外に出て行ってしまった感じだ。大倉尾根の最後の部分はいささか飽きてしまったが、足が攣ることも膝が痛くなることもなく、13時50分に私たちは大倉バス停に到着。まずは、失われた水分を別の飲み物で補給することにした。
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 元気を取り戻した私たちは、タクシーで渋沢方面へ。スーパー銭湯で汗を流した後、渋沢駅北口近くの路地裏の店で更に一杯やることになった。

 私たちの学生時代は、小田急の渋沢駅は今のような立体構造ではなかったし、そもそも大倉行きのバスは南口から出ていた。(その頃に北口があったのかどうかは覚えていないが。)下山後にビールを飲むこともなく、新宿行きの電車に乗ったら最後、汗くさい姿のままひたすら眠りこけていたはずだ。

 それから思うと、今日の私たちは、少なくともこんなバス・ロータリーなどなかった北口の路地裏にある居酒屋で、風呂上りの爽快さを体一杯に感じながら、よく冷えた秦野の地酒を楽しんでいる。時代は変わったものだ。それだけに、今日歩いた丹沢の山々が昔とちっとも変わらずにいたことが、妙に嬉しかった。

 冷奴やおしんこをツマミに四合瓶を空けた後、H氏と駅の改札口で別れ、私は上り線のホームへ。その時、小田急ロマンスカーのLSEが下り線を通過して行った。東京五輪の前年に登場して一世を風靡した小田急NSE。そのスタイルをしっかりと受け継いだのがこのLSEである。そのレトロな車体が、初めて丹沢を歩いた高校時代を再び思い出させてくれた。
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 今日の山歩きのフィナーレに、神様は粋な計らいをしてくれたものである。

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