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申の年 [季節]


 2016年の年明け。東京は例年よりかなり暖かく穏やかな三ヶ日を迎えた。

 我家では元日の朝、朝食前に初詣を済ませることが長年の習慣になっているのだが、いつもの年と同じように朝8時15分頃に神田明神へ行ってみると、境内は既に大変な混雑だ。冷え込みがさほどではないから、どこの家庭も外へ出やすかったのだろうか。
hatsumoude2016.JPG

 ともかくも一家四人で明神さまに頭を下げ、一年の誓いを立てる。続いて回った湯島天神も長蛇の列で、幾らも離れていないこの二ヶ所のお参りに計1時間ほどを要することになった。

 三ヶ日の過ごし方は毎年ほぼ決まったようなものなのだが、今年は1月3日が特に暖かくなり、昼前から夕方まで、綿のセーター一枚で外を出歩けるほどだった。東シナ海にある移動性高気圧に覆われて、緩やかな南風。空は晴天。桜が咲く頃の陽気だとテレビでは盛んに報じている。この日が復路となった箱根駅伝の選手たちも大変な汗をかいたことだろう。

 調べてみると、この日の最高気温16.2℃というのは、1876年以降140年間の東京都心の気象観測データの中では過去2番目の記録である。
temperature on 03Jan.jpg
(1月3日の東京都心部の気温 1876~2016年)

 過去最高記録は2000年の16.5℃なのだが、その当時私は海外駐在中だったから、それは体験していない。その次には1996年の15.6℃という記録があるが、その時のことは残念ながら覚えていない。我家では子供達がまだ小学二年と幼稚園生だった年だが、今年と同じように朝早く明神さまと天神さまへ初詣に出かけたはずである。そのお正月から、考えてみれば今年でちょうど20年。二人とも既に社会人になり、一方の私は今年還暦を迎えようとしている。月日が経つのは本当に早いものだ。

 昨年の二月、旧正月の時期に私は以下のようなことをこのブログに書いた。

 二十四節気と同様に中国オリジナルで、現代の私たちにも馴染みが深いのは、十干十二支の干支(えと)である。

 古代の中国では10日間が一つの時間単位になっていて(今でも「旬」という言い方が残っている)、その10日の一つ一つに甲・乙・丙・丁・・・という名前が付けられた。それが十干である。一方の十二支の方は、モノの本に寄れば、木星が地球を一周するのが約12年なので、空の方角を12に分けて、それぞれに動物の名前を付したのがその始まりなのだそうである。この十干と十二支が組み合わされて、60年を1サイクルとする年の数え方になったのは言うまでもない。60年たって元の十干十二支に戻るのが「還暦」という訳だ。

 十干十二支は、やがて陰陽五行説と結びつき、「木・火・土・金・水」と陰・陽を表す「兄(ね)」と「弟(と)の組み合わせと対応するようになった。chinese zodiac.jpg

 今年、2015年は「乙未(きのとひつじ)」である。乙は「木の陰」で未は「土の陰」。木と土の組み合わせは「木剋水(木が土の養分を奪う)」という「相剋(克)」の関係にあるといわれる。「水生木(水が木を生じる)」というような「相生」の関係とは逆で、何かを滅ぼしてしまうことを示しているそうである。

 羊という字は「吉祥」の祥と同じ読みだから、中国人にはおめでたい動物である。いつも群れをなして暮らす穏やかなイメージがあり、家畜として特に中国の北の方の生活には欠かせないものだ。それが乙(きのと)と組み合わさることで相剋の世になるとは、一体いかなることなのか。

 もっとも、今年に入ってイスラム国の姿が世界中を脅かし、テロと空爆の応酬が更なる憎悪を招いていることを考えると、この陰陽五行説にも何やら含蓄がありそうである。http://alocaltrain.blog.so-net.ne.jp/2015-02-18

 そして実際に蓋を開けてみると、2011年から続くシリア内戦は2015年になって一段と深刻かつ混迷の度合いを深め、欧州各国に大量の難民が押し寄せることになった。IS(イスラム国)の脅威は増幅し、ロシアをも含めた欧米諸国との間での空爆とテロが繰り返され、まさに憎悪が新たな憎悪を呼ぶ負の連鎖の一年だったことは確かだ。他方、アジアでは中国の対外拡張主義が周辺諸国との摩擦を呼び、更には米国との間で南シナ海での覇権を巡って睨み合いを始めた年となった。更には、そのような対立を背景に、世界中で過激なナショナリズムが勢いを強めた一年だったとも言える。

 そして年が明け、2016年は「丙申(ひのえさる)」だ。丙申は「火の陽」と「金の陽」。つまり火と金の組み合わせだから、「火剋金」で、再び相剋の年にあたる。ついでながら、来年の「丁酉(ひのととり)」も同じ「火剋金」の相剋だ。
ancient chinese calender.jpg

 十干十二支の60年サイクルでは、「相生」の年と「相剋」の年がそれぞれ24年、「比和」(同じ気が重なる年で、良い場合は益々良く、悪い場合は益々悪い年)が12年という構成なのだが、西暦でいうと1998年から2019年までの22年間は、その内の17年が「相剋」となる相剋ラッシュの期間なのである。そして、次の東京オリンピックが予定されている2020年になると、そこから「相生」が4年続き、2031年までの12年間に「相生」が10回という、今度は相生ラッシュの期間となる。世の中は、次の安定期に入るまでにもうしばらく動乱を続けるのだろうか。

 この60年サイクルをもう1サイクル前に戻すと、前述の「相剋ラッシュ」の22年間は1938年から1959年までの期間にあたる。第二次大戦勃発の前年からの22年間で、1940年・46年・54年の3年が「相生」、1949年と58年が「比和」で、他は全て「相剋」だ。そして今から60年前、つまり今年と同じ丙申の1956年は - 私の生まれ年だが -もちろん「相剋」の年だった。それは、第二次大戦の終結時点で一度固定された世界の姿が再び変わろうとし始めた年でもあった。

 この年の2月25日にソ連共産党第一書記のニキータ・フルシチョフが党大会で突如スターリン批判を開始。当のスターリンは3年前に死んでいたのだが、彼が君臨していた時代の個人崇拝、独裁政治、粛正の事実がソ連の体制側から公にされたことの衝撃は大きかった。事実、これが契機となって6月にはポーランドのポズナンで反ソ暴動が発生。10月にはハンガリー全土で市民による反ソ蜂起が起こり、ソ連軍の介入によって鎮圧されることになった(いわゆるハンガリー動乱)。
Budapest in Oct 1956.jpg

 一方、中東のエジプトでは、この年の6月に大統領に就任したガマール・アブドゥール=ナセルが7月26日にスエズ運河の国有化を宣言。財政難に苦しむエジプト政府がアスワン・ハイ・ダムの建設費用を獲得するためという理由であったが、これに反発した英・仏・イスラエルとの間で10月にスエズ戦争(第二次中東戦争)が勃発。しかし、これは米・ソの力によって11月に停戦に持ち込まれた。この年の初めにはスーダンが英国から、モロッコとチュニジアがフランスからそれぞれ独立を果たしていたが、このスエズ戦争の顛末を米・ソに仕切られたことで、国際政治上の英・仏の衰退ぶりが一層露わになった。
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(スエズ運河国有化宣言を行ったナセル)

 そして我が日本では、この年の10月の日ソ共同宣言によってソ連との国交回復・関係正常化を実現。それはソ連嫌いの吉田茂から念願の政権を獲得した鳩山一郎の、吉田政治へのアンチテーゼだったとも言える。

 丙申の1956年とは、そういう年だった。
amulets of monkeys 01.JPG
(東京・日枝神社の申の置物の数々)

 暦はめぐる。2016年の丙申も、これまでの世界の枠組みを変えていくような何かが、再び起こるのだろうか。そんなことを暗示するかのように、新年のビジネスの初日となった1月4日(月)は、世界各国の株式市場で株価の大幅な値下がりが連鎖する一日となった。キーワードは米国景気、中国、そして中東情勢だった。

 少なくとも、退屈することのない一年になりそうである。

a year of monkey.JPG


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