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台地の縁を歩く (その1) [散歩]


 登山者用の地図ソフト、「カシミール3D」。山へ行く前の準備作業などのために私はよく利用しているのだが、昨年11月にリリースされた「スーパー地形セット」がスグレモノだ。

 国土交通省が作成し公開している「デジタル標高モデル(DEM)」を基に、全国各地の詳細な地形図をPC画面上に表示することができる。DEMは地上を5m四方のグリッドに分割し、各グリッドについて最小で10㎝単位の標高データを記載したものだ。航空機から地上をレーザー光でスキャンすることによって得られた標高データから、樹木や人工の構築物に関するものを取り除いて作成されているという。

 カシミール3DはそのDEMを使い、予め用意された色々なパターンの表示方法によって、地上の生の姿のレリーフ図を描いてくれる。しかも、そのレリーフ図を国土地理院の25000分の1の地図や空撮写真と重ね合わせて表示することもできるのだ。国内の全ての箇所についてこんな作業が自由にできるのだから、私たちは何と恵まれた環境にいることだろう。

 DEMがこのように詳細な標高データなので、山岳地帯だけでなく都市部でも建物の陰に隠れた地表の凹凸をレリーフにすることがカシミール3Dはできる。例えば東京の皇居の西側の地図を表示してみると以下のようになる。
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 これは標高差を8倍に拡大して地形の凹凸を強調したものだが、東京の都心にも実に様々なアップダウンがあることが改めてわかる。確かに、クルマで通り過ぎるだけでは認識することが難しいが、自分の足で歩いてみると、東京の山手線の内側には坂が多いことを実感するものだ。このレリーフ図はそうした「足で歩いた実感」を再現してくれるものであるとも言える。

 良く晴れた5月3日(火)、連休の最中で東京の都心部は(一部の繁華街を除けば)ガランとしている。その感じを楽しむのが好きで、私は5月の連休中には遠出をしない。わざわざ渋滞に巻き込まれて遠くへ出かけるよりも、静かな都心を歩いて身近なことの再発見をする方を、どうしても選んでしまうのだ。

 予めカシミール3Dで調べたことを基に、今日は小石川、小日向、目白の各台地の南側の縁を歩き、神田川が台地を刻んで作り上げた地形の凹凸を自分の足で確かめてみることにしよう。

後楽園駅前 → 江戸川橋交差点

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 東京メトロ丸ノ内線・後楽園駅の北側にある富坂下交差点。そこから西方向を眺めると、小石川台地の尾根を登るように春日通りが坂道を作っている。
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(① 富坂下交差点から見た春日通り)

 駅の南側の都道を西方向へ進むと、その小石川台地の南斜面が続いていて、その縁に沿って造られた築堤の上を丸ノ内線が走っている。(ここから茗荷谷駅までは二ヶ所のトンネルを伴う地上区間である。)
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(②後楽園駅付近の丸ノ内線の築堤)

 牛天神交差点で都道と別れて右への道を進むと、伝通院から降りてくる安藤坂を横切って、小石川台地の南の縁沿いになおも道が続く。巻石通り、或いは水道通りと呼ばれる道路で、かつての神田上水が流れていたルートを明治時代になって暗渠にしたものだ。

 そして小学校を過ぎると、右側に緑の多い一角が現れる。道路沿いには「徳川慶喜公屋敷跡」の碑。維新後は駿府に隠棲していた慶喜が明治34年以降はこの地に住み、そして終焉を迎えた場所で、現在は国際仏教学大学院大学の敷地となっている。キャンパスを左手に見ながら登っていく坂道は今井坂と呼ばれ、登りつめると、掘割の中を走る丸ノ内線を小さな橋で跨ぐことになる。
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(③徳川慶喜公屋敷跡と今井坂)
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 水道通りに戻り、西を目指そう。あたりは小日向地区に入る。確かに本来の地形は日当りの良さそうな南斜面だ。やがて右手に小日向神社へと上がっていく服部坂が現れる。上り一方通行の結構な傾斜の坂道で、左カーブで小日向神社の上へと登っていくと、江戸川橋方面を見下ろせる。
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(④服部坂)

 水道通りを更に進むと、右手に現れるのは下り一方通行の大日坂。坂の途中に大日如来を祀る小さなお堂があることがネーミングの由来なのだが、これは小日向の南斜面を上がっていく長い坂である。
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(⑤大日坂)

 ここまで来ると小日向台地は終わりに近く、道路の先方を横切る音羽通りが見えてくる。左に行けば江戸川橋の交差点だ。

江戸川橋交差点 → 雑司ヶ谷鬼子母神

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 江戸川橋交差点の一つ北の信号で音羽通りを横断すると、首都高速の5号池袋線をくぐって丘を登っていく道がある。ここから先は関口台地が始まるのだが、それを上がっていくこの坂が目白坂だ。上りつめると左側の深い緑の中に椿山荘が現れる。言うまでもなく、明治の元勲・山形有朋の屋敷だった場所である。
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(⑥目白坂を上る)

 椿山荘の前で目白通りに合流。カトリック東京カテドラル関口教会の特異な建物を右に見ながら目白通りを進み、左手に現れる最初の路地に入ると、200mほど先の右側に永青文庫がある。旧熊本藩主・細川家の屋敷跡だ。そして、その直ぐ先に鬱蒼とした緑の中を細い坂道が急傾斜で下っている。その名も胸突坂。あまりに急なので中央に手摺が設けられている。あたりはひっそりとした緑の中で、東京の山手線の内側とは思えないほどだ。
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(⑦胸突坂)

 そして、平地と台地の境にあたる部分には神社がよくあると言われる通り、胸突坂を下りきると右側に「水神社」の社が見える。前を流れる神田川のもう少し下流方向(=江戸川橋方向)には、江戸時代に神田上水用の取水のために神田川の流れを堰き止める「大洗堰」が設けられ、水神社はその守護神を祀ったのだそうだ。更には、俳人・松尾芭蕉が一時期はこの場所の水管理に係わっていたというのも、何やら興味の湧く話である。
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(水神社と大イチョウ)

 先ほどは目白坂を登ってせっかく関口台地の上まで来たのに、謎めいた胸突坂をつい下ってしまった。台地の上に戻るためには、またどこかの坂を上がらねばならない。水神社から神田川沿いの道を上流方向へと歩いていくと、道は直ぐに神田川を離れて住宅街の中へと続いている。300mほど歩くと右側に左クランク状の登り坂があり、それを登り返すことにしたのだが(豊坂というそうだ)、これがまた結構な傾斜である。

 この坂を登りきって再び関口台地の上に出た所が「日本女子大前」の交差点で、通りの向こう側にもこちら側にも日本女子大関連の施設がある。そして、目白通りを西方向へと進んでいくと、三差路の手前左側に小さな区立の公園があり、台地の下を眺めることができる。
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(⑧台地の下の眺め)

 その直ぐ先の目白台二丁目交差点が区の境になっていて、そこから先は豊島区になるのだが、この信号を過ぎて最初の左の路地の先に、またしても急な坂があった。

 これはちょっと不思議な景色だ。一方通行ながら車が通る急な下り坂の途中で、三角形の民家の敷地を挟んで左に階段を下っていく細い坂道がもう一つある。右側は富士見坂、そして左側は日無坂と呼ばれ、日無坂はまさに文京区と豊島区の境界線を成している。途中まで降りてみたが、どちらも相当な急坂である。
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(⑨日無坂と富士見坂)

 小石川、小日向、そして目白の各台地と低地とを結ぶ坂道に興味を惹かれて、ここまで歩いてきた。そろそろどこかで一休みしようか。

 目白通りを更に西方向に向かい、高田一丁目の信号を右に曲がると、鬼子母神への参道であった道路が始まる。都電荒川線の踏切を渡ると、背の高いケヤキの木が道なりに並び、いかにも寺社の参道らしい雰囲気だ。
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(⑩鬼子母神の参道)

 そして、鬼子母神堂の境内のベンチで一休み。室町時代から続くこのパワースポットの中にいると、何だか時が止まったかのようだ。憲法記念日の今日は南風が強いがよく晴れている。ここまでせっせと歩いてきて、半袖・短パンという軽装ながら、それなりに汗をかいた。それだけに、鬼子母神の深い緑陰が、今は何ともありがたい。
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(⑪鬼子母神堂)

(To be continued)


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コメント 2

SILENT

こんにちは、昨年の秋、江戸川沿いに胸突坂を登って永青文庫まで出かけました。帰りにうなぎの、橋本に入り堪能できました。
中沢新一著「アースダイバー」のファンです。
by SILENT (2016-05-10 15:59) 

RK

SILENTさん、いつもご覧ごただきありがとうございます。
私も3年前の2月に永青文庫へ行ったことがあります。
その時の記事も宜しければどうぞ。
http://alocaltrain.blog.so-net.ne.jp/2013-02-09
by RK (2016-05-13 02:06) 

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