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再会 (3) [自分史]


 日曜日の朝、ホテルの部屋で目が覚めたのは5時半を少し回った頃だった。

 今からちょうど35年前、社会人一年生の私にとって最初の任地となった北陸の富山。そこで約3年間の支店生活を共にした先輩方と計8組の夫婦で懐かしい富山に集まった昨夜の会合は、二次会も大いに盛り上がり、ホテルに帰り着いたのは夜の11時少し前。それから大浴場で汗を流し、部屋に戻った後は家内も私も当然のことながらバタンキューだった。

 朝食までにはまだ時間がある。家内には朝風呂を楽しんでもらうことにして、私は懐かしい富山の街中へ30~40分ほど散歩に出ることにした。金曜・土曜と二日続いた晴天。今日はそれがゆっくりと下り坂になる予報だ。雨になる心配はないようだが、雲量は時間と共に増えていくようである。

 ホテルを出ると、小ぶりな富山城が昔と変わらぬ姿を見せている。
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 今は富山市の西部を南から北へ真っ直ぐに流れて海に出る神通川。けれどもそれは、昭和の初めまでは富山市内で大きく東へ蛇行し、それから半円を描くようにして現在の富山駅の北側へと流れていた。つまり、現在の松川という小さな川の流れが昔の神通川の蛇行の名残で、あの戦国の武将・佐々成政が居住した富山城は、蛇行する神通川の右岸に接して築城されていたのである。
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(松川が昔の神通川のルートだった)

 蛇行する神通川は氾濫を繰り返し、常設の橋を架けるのも難しいため、64艘の舟を鎖でつなぎ、中央に板を渡した「舟橋」が設けられた。慶長年間に加賀前田家の二代目・前田利長が造らせたのがその始まりだそうで、以後、日本一の舟橋として全国に知られるようになる。

 今月の初めに東京のサントリー美術館で「原安三郎コレクション 広重ビビッド」という美術展を開催していて、家内と二人でゆっくりと鑑賞する機会があったのだが、その際に展示されていた歌川広重の『六十余州名所図会』の中にも、この日本一の舟橋が描かれていた。水流によって舟が川下側に弧を描くから、この絵は蛇行する神通川の北側、つまり現在の富山駅のあたりから南方向を眺めた絵であることになる。
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 富山城の前から路面電車の通る道を西方向に歩き続けると、現在の神通川に架かる富山大橋の近くにやって来る。歩いてきた方向をふり返ると、今朝は立山・剣岳の山頂は雲の中だが、北方の毛勝三山が市街の彼方によく見えている。やっぱり富山は北アルプスが近いなと改めて思う。
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 そして脇道に入ると、今朝の散歩の目的地であった、かつて私が3年弱を過ごした独身寮が、ほぼそのままの姿で残っていた。私の社会人生活の第一歩がここから始まった。そう思うと、やはり胸が熱くなってしまう。
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 学生上がりで世間知らずの生意気な若者であったに違いない私を、あたたかく迎えてくれた独身寮の緒先輩方。あの時代の寮生の声が今でも聞こえて来そうだ。昨夜の会合でも話題に上った私たちの「武勇伝」の数々も、今となっては笑い話だが、若気の至りとはいえ、今から思えば随分ととんでもないことをしていたものである。

 あれから30年以上もの歳月が過ぎたというのに、思い出は尽きない。それは先輩方も同じで、だからこそ昨夜は8組の夫妻が集まることが出来たのだ。そんな風にして心の故郷を先輩方と今も共有できるとは、何と幸せなことだろう。

 昔の自分に戻ったような気分に半ば囚われながらホテルに帰り、家内と朝食をとる。そして送迎バスで富山駅に向かい、予定通り08:31発の金沢行き新幹線「つるぎ709号」に乗車。乗ってしまえば金沢までたったの22分なのだから驚きである。

 土曜日を富山で過ごすのであれば、日曜日は金沢を半日歩こうか。家内とはそんな約束をしていて、訪れるスポットも家内が行きたい場所を選んでもらった。かつての富山時代に私は何度か金沢にも遊びに行ったが、いわゆる観光スポットはあまり訪れていない。家内は学生時代に一度行ったきりだというから、どちらにとっても遠い昔のことだ。そして、若い頃と今とでは嗜好も変わる。見違えるほど近代的になった金沢駅から路線バスに乗り、私たちが最初に降り立ったのは東山ひがし茶屋街と呼ばれるエリアだった。
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 第二次大戦で米軍による空襲を受けなかった金沢は、古い町並みを至る所に残しているのだが、この茶屋街は特に伝統的な木造家屋の街並みを残している。それを目当てに、梅雨の最中の今日も、朝の10時前だというのに数多くの観光客が訪れている。その中で国指定重要文化財のお茶屋さんの中を見学させていただいたが、外国人の観光客も多く、大盛況というほどの混雑ぶりだった。

 江戸末期の文政時代から明治期にかけての木造の街並みがそのまま残るこの地区は確かに魅力的なのだが、金沢の伝統工芸を売りに観光客をあて込んだ土産物屋やカフェなども多く、私たちも最初はしげしげと眺めていたものの、次第に飽和感に囚われるようになった。一時間ほどで、もういいかなという気分になってきたのである。

 たまたまその地区の中に、家内の大学時代の先輩であるUさんが外国人観光客向けの簡易宿泊施設をこの4月に開いたというので、少しだけお邪魔して様子を拝見することにした。茶屋街の中心地から徒歩5分程度。一人幾らではなく一部屋幾らの料金体系で、食事は提供せず、トイレ、シャワー、キッチンなどは共同という、外国人が比較的安価で滞在する時に利用するタイプの宿である。
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 部屋の様子も見せていただけるというのでお言葉に甘えてしまったが、小さな個室あり、二段ベッドの大部屋あり、畳敷きの和室に二段ベッドの部屋ありと、旅行者の様々なニーズに合わせた部屋が幾つか用意されていた。
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 共同のキッチンの壁には世界地図が貼ってあり、これまでに滞在した旅行者の母国がマークされている。既に30ヶ国を超えたそうで、中国や東南アジアが中心のようだが、最近では東欧や中東からの旅行者も増えて来ているという。旅の宿はいわゆるホテルだけではなく、こうした宿泊施設で安価に、その代わりじっくりと滞在するニーズは確かにあるのだろう。そして評判が良ければインターネットを通じて世界中から予約が入る。面白い世の中になったものだ。

 最新の金沢旅行事情を拝見させていただいた私たちはUさんとお別れをして、再び路線バスを利用。金沢城址と兼六園の間を抜けて、広坂に出た。そして、金沢能楽美術館をゆっくりと見学し、すぐ隣の加賀友禅のショップを眺める。富山と同様、金沢も昨日の晴天が今日はゆっくりと曇っていくお天気なのだが、お昼に近くなり、外はだいぶ蒸し暑くなってきた。

 たまたま金沢能楽美術館の隣の二階に小さなカフェがあり、和風のケーキやアイスクリームを楽しめるようなので、そこで一休みしようと、階段を上がる。本当に行き当たりばったりで入ったカフェだったのだが、これが大正解で、広々とした間取りに席が用意され、窓から見下ろす外の緑の眺めが実に心地よい。そしてお茶のテイストのケーキやアイスクリーム・パフェのあっさりとした甘味が何とも美味であった。特に旅を急ぐ訳でもなく、伝統美術を楽しんだ後にこうしたカフェでゆったりとした一時を過ごす。家内も私も、いつの間にか大人の旅をするようになったものである。
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 カフェで緑を眺めながらしばし涼を取った後、私たちは徒歩で香林坊経由、武家屋敷街へ。その中でも、ミシュランの観光地格付けで2つ星を得たという野村家では、その縁側に腰掛けて、心落ち着く庭園をじっくりと眺めることができた。
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 武家屋敷街からは近江町市場を経由して、私たちは結局金沢駅まで歩いてしまった。午後2時を回り、駅ビルの中はお土産品の買物客で混雑。そして、東京行きの新幹線「568号」の指定席は満席だった。乗車1ヶ月前に指定券を買っておいたからよかったが、梅雨の時期ながらも北陸旅行はなかなかの盛況ぶりである。
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 昨年の北陸新幹線開業を受け、今年になって実現した「富山会」。30年以上も前に富山支店勤務でお世話になった先輩方と夫婦単位で再会することが出来た今回の集まりは、私の人生の中でも思い出に残るイベントであった。そして、4年後に再び集まることを皆で約束した以上は、お互いに今まで以上に健康に気をつけて、それぞれに夫婦仲良く暮らして行こう。

 砺波平野の水田風景が、新幹線の窓の外を流れていく。

 さらば、富山。また4年後に!

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