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再会 (1) [自分史]


 6月11日(土)の午前8時半過ぎ。東京駅の21番ホームから、紙コップのコーヒーを片手に家内と私は新幹線車両に乗り込む。8時36分発の「かがやき505号」。昨年3月14日の開業以来、北陸新幹線E7系の車両に乗るのは私たちにとって初めてのことになる。
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 「乗り鉄」という言葉が登場する遥かに前から、私はその言葉によって括られるべき種族の一人であったと自認している。今までに乗ったことのない鉄道路線に乗ってみたい、或いは乗ったことのある路線でも新型車両が登場したらそれに乗ってみたい、或る路線の全ての駅で乗降してみたい・・・そんな思いを幾つになっても抱えている奇妙な人種なのである。

 だから、初めてE7系に乗ることになる今日のことはずっと楽しみしていたし、そういう時の高揚感は子供の頃と少しも変わっていないと、自分でも思う。しかしこの日の朝の気分の高まりは、単なる「乗り鉄」だけによるものではなかった。私にとっては、人生の中でも特別な日であったといっていいだろう。
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 定刻にゆっくりとホームを離れる「かがやき505号」。普通車でも座席の間隔は広々としていて、座席のリクライニングを倒すと実に快適だ。これから上野、大宮、長野に停まると、その次はもう富山。そこまでの所要時間が2時間14分というのは、昔を知る私にとっては夢のようなことである。

 今から35年前の1981年4月15日、社会人になってから二週間の集合研修が終わったばかりの私は、会社の同期生のM君と二人で北陸の富山に新入社員として赴任した。上越新幹線もまだ開業していなかったその当時、私たちが揺られていったのは列車番号3011M、上野駅を午前9時16分に出る信越本線経由の特急『白山1号』だった。

 途中、横川で二両の電気機関車(EF62+EF63)を上野方に連結し、後ろから押し上げてもらう形で碓氷峠を超え、長野から黒姫への上り勾配に喘ぎ、直江津では列車の進行方向がスイッチバックするなどして、富山まで410kmの行程に何と6時間8分を要していたのである。単純に割り算すれば表定速度は66.8kmだから、特急といっても当時は実にのんびりしたものだったのだ。
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(1981年当時の特急『白山1号』の列車ダイヤ

 私はその富山で約3年を暮らすことになった。東京に生まれ、その後も基本的には東京で育った私は大学卒業まで親元を離れたことがなかったので、社会人になったら遠隔地で一人頑張りたいと思っていて、その願いがかなったのである。もっとも、富山という場所は想像もしていなかったのだが、学生時代から山登りに親しんで来た私にとって、山が近く自然が豊かな富山は何とも居心地がよく、楽しかったことしか覚えていない、実に愛すべき土地であった。

 日本海側というと冬場の気候に陰鬱さを感じてしまいがちだが、私はそれが嫌だと思うこともなく、特に雪の季節は東京では経験できないことが沢山あって、本当に楽しく過ごさせていただいた。だから、そこでの生活ももうすぐ丸3年というところで東京への帰任の辞令が出て、2月の下旬に雪の降りしきる富山駅のホームで多くの同僚たちに見送られた時には、何とも心残りだったことを今でもよく覚えている。

 その富山を「卒業」して以来、なかなか再訪する機会もなく時は流れ、気がつけば私はもう還暦になった。当時の職場のメンバーは、私も含めて皆がとっくにセカンド・キャリアに入っており、異なる会社でそれぞれに活躍している。

 そんな中、昨年の秋口に、かつて富山の独身寮で一緒だった、私と入社年次の近い先輩二人と久しぶりに飲む機会があった。お互いに歳が平行移動しているだけで、私たち三人の間では当時の先輩・後輩の関係に何ら変わりはなく、いつものようにタイム・スリップして富山にいた頃の話に花が咲く。そして半分は酔った勢いながら、当時の職場のメンバーに声をかけて皆で富山に集まらないか、という話になった。北陸新幹線が出来たおかげで、富山は今や東京から2時間ちょっとの距離なのだ。

 話は今年に入ってから具体的に進み始め、6月11日(土)の夕刻に8組の夫妻が本当に富山に集合することになった。冒頭に今日が「私にとっては、人生の中でも特別な日」と書いたのはそのことである。それにしても、あの当時から30数年の時を経て、それだけのメンバーが是非現地で集まろうというのだ。やはり富山には、今でも私たちを強く引きつける何かがあるのだろう。
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 朝食代わりのフルーツ・ケーキを食べながら紙コップのコーヒーをすすり、新聞に目を通しているうちに、列車はもう高崎を通過。そして軽井沢を過ぎると右手に浅間山が綺麗に見えていた。

 10:00ちょうどに長野に到着。そこから富山まで50分足らずという列車ダイヤに私は半信半疑のままだ。だが、飯山を過ぎて長いトンネルを抜け、里の風景が続くようになると、右の車窓の遠くに海が見え始める。35年前の4月に白山1号の車窓に広がった寒々とした海とは違って、梅雨の晴れ間の今日は日本海も明るく輝いている。糸魚川を通過するあたりからはその海も更に車窓に近づいて、早速車内アナウンスも始まった。さあ、いよいよ富山県に入る。

 県境のトンネルを抜け、平野部を横切るように走る新幹線は間もなく黒部川を渡り、黒部宇奈月温泉駅を通過。左の車窓には雪を抱く立山連峰が姿を見せた。(私たちは進行右側の席だったので、その様子は遠目にチラッとしか見えなかったのだが。) 富山平野では北陸新幹線は在来線よりも内陸側を走っているので、海岸線からは少し遠いのだが、逆に山には少し近い。しかも基本的には高架の上を走るので、立山・剱岳を眺めるにはいいかもしれない。(もっとも、防音壁で視界を遮られる箇所も多いのだが。)

 そして、列車は少しずつ速度を落とし、最後はS字を描くようにカーブして富山駅へ。定刻の10時48分に到着し、ホームに降り立つと、35年前の記憶からは想像も出来ない最新の駅の姿がそこにあった。
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(To be continued)

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